桜ふたたび 前編
Ⅷ リヴィエラの朝

1、リヴィエラの朝

眠りから覚めた澪は、瞼を開けるのがもったいなくて、しばし夢の余韻を漂っていた。

──最高にいい夢だった。

華やかなイタリアンカラーに彩られた空港のクリスマスデコレーションの中で、ジェイと熱いキスを交わした。
美しい港の灯りを車窓に眺めながら、逢えなかった時間を埋めるように語り合った。
優雅なイルミネーションの庭園を抜け、中世の城でふたりクリスマス・イブの晩餐をした。

うふふ、と寝返りを打ったとたん、雪が溶けるように意識が覚醒して、澪はゆっくりと瞼を開いた。

ぼんやりとした視界の先、緑のペルシアーナ(鎧戸)の隙間から、ほのかに光が差し込んでいる。

──夢じゃない。ここはジェノヴァなんだ。

澪は跳ねるように体を起こし、ぐるりと部屋を見渡した。

大理石の床、ヴェネチアン漆喰の壁。アーチ型の開口部の向こうに続き間があって、アンティークなライティングデスクと、壁いっぱいの本棚が見える。

ジェイが子どもの頃から使っていたという部屋は、呆れるほど広い。
ベッドに、ソファとテーブル。飾り気がないから、よけいに広く感じるのだとしても、隣接するバスルームだけで、澪の部屋がすっぽり収まりそう。

──でも、何だろう? この殺伐とした寂寥感。

窓から差し込む明りは薄暗く、まるで湖の底のような冷たさ。

以前、同じ感覚を覚えたことがある。
そう、京都ではじめて出会ったときのジェイの瞳だ。美しいアースアイの奥に、暗い孤独が沈んでいた。

澪は明るさを求めて、掃き出し窓を開けた。
心地のよいそよ風が頬を嬲った。

昨夜は暗くて気づかなかったけれど、ここは海に近い丘の上。緑の傾斜の先に、ラベンダーブルーの大海原が広がっている。

「澪!」

見下ろすと、広い芝庭に馬を引いたジェイの笑顔があった。
いつものスーツ姿ではなく、ジップアップのセーターとコーデュロイのパンツ。整髪剤でセットしていない黒髪が、風になびいている。

──馬?

「降りておいで。朝食の前に、散歩しよう」
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