桜ふたたび 前編

4、孤独な白鳥たち

薄絹のような光のシャワーが、恋人たちを包み込んでいる。
窓の外では、小鳥たちが美しい愛の輪唱を奏でていた。

澪は、鳳のように広く逞しい翼のなかで、イタリアニ日目の朝を迎えた。

身も心もゆだねて、彼の温もりのなかで目覚める。
胸の奥から充ちる幸福感に、なぜか涙がこみ上げた。
愛おしくて、切なくて、苦しくて、そして──おそろしい。

澪は、感情を表現することに慣れていない。
彼への思いを意識するたびに、甘皮を一枚ずつ剥がされるように、自己が剥き出しになる。あらわになった気持ちに、どうしていいかわからなくなるのだ。

幸せ。だから、こわい。けれど、手放せない。
満ちたものはいつか欠けてゆくとわかっているのに、今、このいっときの幸福感を、神にも奪われまいと息を潜めている。

澪はそろりと顔を上げた。
ちょうど額の前にジェイの唇があった。

何度見ても、見とれるほどきれい。
そして──どうしようもなく、好き。

額にかかった前髪を、そっと指先でよける。
自然にカールした長いまつ毛。眉は太い筆で引いたように力強いラインを描いている。高く整った鼻筋、形のいい唇。顎のあたりには、うっすらと髭が伸びていた。

──一日で、伸びるんだ。

顎にそっと触れると、ざらっとした感触があった。
ジェイの口元が微かに動いた。

──意地悪で、やさしい唇……。

唇に触れたか否か、白い歯が澪の指先を軽く噛んだ。

「いたっ!」

思わず引っ込めた手は、すぐに長い指に捕まった。

「おはよう」

美しいアースアイの瞳がゆっくりと現れて、悪戯な指にキスをした。

「おはようございます」

ジェイは微笑むと、また静かに澪を胸に抱き寄せた。

いつもなら跳ね起きる彼が、今朝はなかなか動こうとしない。

《流石にきつい……》

「なんですか?」

「澪のカラダが、よすぎるってこと」

澪の耳朶がたちまち赤くなるのを確認して、ジェイは笑いながら朝のキスをした。
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