桜ふたたび 前編
Ⅸ 海にかかる虹

1、迷宮の街

──どうしよう。

ジェノヴァのウォーターフロントで、澪は不安げに空を見上げた。

にわかに厚い雲が垂れ込んできた。椰子の葉陰が大きく揺らぎ、埠頭に羽を休めた海鳥たちが、風を読むようにじっと海を見つめている。──一雨来るかもしれない。

迎えの車が、約束の時間を一時間過ぎても現れない。
何か行き違いがあったのか。ドライバーの携帯電話番号くらい控えておけばよかった。

タクシーを使うにも、屋敷の住所がわからない。なにより言葉が通じない。この地で日本語が通じる相手を探すのは、砂漠で針を拾うようなものだ。

ふと、高架の向こうに電話ボックスが目にとまった。

──電話帳で住所を調べてみよう。珍しい姓だと言ってたし、見つけられるかもしれない。

さっそく高架下の大道りを渡り、広場の片隅の公衆電話へ。
あと少しというところで、背後から軽い衝撃を受け、澪は石畳に膝と手をついた。

──え?

なにが起こったのかわからなかった。
老女の怒鳴り声がして、すみませんと振り向くと、澪にではなく前方に向かって拳を振り上げていた。

何ごとかと目を向けて、路地へ走り去る少年たちの姿にハッとした。

──バッグがない!

太った老婦人が、〈もう遅いよ〉と、気の毒そうに首を振った。
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