桜ふたたび 前編

2、誤解

暗闇のなかに、見覚えのある光の群を見出したとき、澪は救われたと胸を撫で下ろした。

真っ赤なアルファロメオを恐ろしいスピードで疾駆させるルイーザは、F1レーサーばりのドライビングテクニック。
だけど、彼女がヒデとお喋りしながらよそ見をしたり、ハンドルから手を離すたび、澪はギュッと目を瞑り、念仏を唱えていたのだ。

「なるほど、すごい家だ」

玄関に到着するまでに、いくつもゲートがあることを、澪も今まで知らなかった。
メイズもグロッタも防犯のためだと聞いたけど、最新のセキュリティを配備しているのなら、必要ないのではないかしら?

ジェイも、子どもの頃は常にボディーガードが付いていたと言うから、お金持ちは大変だ。
「誘拐の身代金より、彼らへの報酬の方が安い」と笑っていた。──ぜんぜん笑い事ではないと思う。

爆音を轟かせ走り去っていく車を見送って、玄関を見上げると、黒山羊が背筋を伸ばした姿勢で冷たく見下ろしていた。

澪は、門限を破った寮生の気分で、気まずく頭を下げた。


❀ ❀ ❀


部屋に戻った澪は、コートも脱がずにベッドへ倒れ込んだ。

妙に気怠かった。寒気もする。
車酔いしたのもあるけれど、雨に濡れたまま冷たい風に当たっていたから、身体の芯から冷えてしまったようだ。

──まずはPCを借りて、スマホを止めないと。

と、体を起こしたとき、テーブルの上で耳慣れたメロディーが鳴った。

──わたしのスマホ? どうしてここに?

狐につままれた思いで確認すると、画面表示に〝J〞。

「遅い」

すこぶる機嫌が悪い。

「すみません。あの……少し、道に迷ってしまって……」

圧迫するような間があった。

「ボディガードは解雇した」

「え? どうしてですか?」

「バールで酒を呑んでいた。重大な契約違反だ」

「あ、でも、わたしがいいって言ったんです。言葉が通じないし、美術に興味もなさそうだったし、気を遣わずにゆっくりと見学したかったから。迎えの時間も……きっと、英語を言い間違えて──」

「そのせいで、君はバッグを盗まれ、道に迷ってBirreria(ビアホール)で保護された」

「な、なんで知ってるんですか?」

「カラビニエリからファビオに連絡があった」

なるほど、それでスマホが戻ってきていたのか。イタリアの警察は優秀だ──と感心する澪に、ジェイはいきなり語気を強めた。

「なぜすぐ連絡しなかった。そのうえ、見ず知らずの男に家まで送らせるなんて、君はバカか!」

「あ、でも、日本人だし。親切な、いいひとですよ?」

ジェイは、危うく声を張り上げるところだった。
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