桜ふたたび 前編

2、スキャンダル

カン、カン、カン──。

靴音を響かせて、千世は猛然とアパートの玄関前へ駆けつけた。
ドア脇で、剥がれかけた紙が風に音をたてている。
千世はぷるぷると拳を振るわせた。
赤く大きく暴力的な字。捲らなくとも中傷ビラだとすぐわかる。
見るとそこここに紙を剥がした跡がある。

──いったい、澪があんたらに何したって言うんよ! こんなん、イジメやん。

誰も真剣に考えてなんかいない。ただ噂に便乗して、日頃の憂さを晴らしているだけ。

千世は張り紙を引っ剥がすと、ぐしゃりと丸め、コートのポケットへねじ込んだ。

爆発しそうな怒りを指先に込め、急かすようにチャイムを連打。
いくら待っても応答はない。
千世はドアに耳を寄せ、気配をうかがい、今度はこぶしでドンドンと叩きはじめた。

「澪! おるんやろ? うちや、ち・せ!」

拳を叩きつけること数十秒、ようやく「千世?」と、か細い声が返ってきた。

「そや! 開けて!」

チェーンの外れる音がして、ドアがゆっくりと開いた。

目の前に現れた澪の姿に、千世は思わずアッと声を上げてのけぞった。

まさかと思っていたけれど、本当にトレードマークの黒髪をばっさり切っている。だめ押しの証拠を突きつけられた気分だ。

澪は周囲を憚り千世の腕を引っ張った。

「入って」

言葉より先に、千世の腕を引いて引き入れる。
ドアを施錠しチェーンを掛け、澪はふうっと息を吐いた。

それから急に思い出したように、「そうだ!」と千世の脇を強引に抜けて奥へ向かう。
紙袋を手に振り返ると、まだ憤然と玄関で立ち続ける千世に向かって、おいでおいでをした。

「遅くなったけど、明けましておめでとう。
これ、頼まれてたバッグとお財布。レートがわからなかったから、明細書が来たら言うね。で、こっちは千世と武田さんにお土産。リモンチェッロって言うカプリのレモンのお酒と、アーモンドの蜂蜜漬けなんだけど、すごく美味しかったから──」

一気に喋りすぎてゴホゴホと咳き込み、それでも澪は急き立てられるように続ける。

「教会のことだけど、結婚式は新郎か新婦どちらかがカソリック教徒じゃないとダメなんだって。でもね、プロテスタントのチャペルならOKだって聞いたから、パンフレットもらってきた。イタリアは100%カソリックだと思ってたけど、いるんだね、プロテスタントも」

そこで言葉が切れた。常に聞き役の澪にはしょせん無理がある。
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