桜ふたたび 前編

3、閉じた扉

オフィスビルの出口に澪の姿を見つけたとき、柚木は言葉を失った。

彼女の幸せそうな笑顔を見たのは、ほんの二か月前のことだ。
それが今は、冷たい氷雨のなか、傘も差さずに俯いて、虚ろに歩いてくる。

まるで糸目を失った凧。
危なげに空を漂っているのに、当の本人は、自分が傷ついていることにすら気づいていない。

「澪」

行き交う車が水を弾く音にかき消されたのか、街灯の下で待つ柚木の前を、澪は肩を落としたまま通り過ぎてゆく。

柚木はそっと背後から、傘を差しかけた。

「澪」

澪はビクリと肩を震わせ、まるで幽鬼の正体を確かめるかのように、のろのろと怯えた表情で振り返った。
柚木は静かに微笑みかける。
相手を認識するまで間があって、ようやく澪は、心からほっとしたように唇を緩めた。

「こんばんわ」

寂しい笑みだった。

「近くまで来たから、飯でもと思って待ち伏せしてた」

はははと、意味もなく笑ってみせ、澪の口が開く前に、柚木はタクシーに手を挙げた。

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