桜ふたたび 前編
3、永日
その女性は、胸に白い箱包を大切に抱え持っていた。
スラリとした長身をパンツスーツの喪服で包み、ただでさえ目を引く美貌が、空港職員に先導され、黒服の男ふたりを随従した姿で、いっそうの存在感を放っている。
到着ロビーの空気が、息を呑むように静まり返り、次いで、波のようなざわめきが起こった。
気丈に振る舞う横顔が、ひどく疲れて見えるのは、丸二日に及ぶ長旅のせいだけではないだろう。
目が合うと、強がりな表情に一瞬の隙ができて、涙色を嫌うように、彼女は清風のように微笑んだ。
「ありがとう、来てくれて」
ルナは箱包を片手に抱いたまま、澪の頬にそっと頬を寄せた。
その腕に、いつもの力強さが欠けていた。
「元気でよかった」
アイスグレーの瞳に見つめられて、澪の胸に、甘い痛みが走った。
枕崎の家に、突然ルナから電話があったのは、三日前のことだ。
どうして居所がわかったのかと驚く澪に、〈CIAに知り合いがいるの〉と、ルナは本気か冗談かわからぬことを言った。
二週間前、スーダン・ダルフールのジェベルマラ山地で見つかった遺体が、DNA型鑑定の結果、MSFの医師・吉川伊織と確認されたとニュースを見て、澪は暗然と言葉を失った。
しかも、その亡骸の発見者がルナだったとは、彼女の口から明かされるまで知らなかった。
ルナは、診療所のあるニエルティティ周辺の難民キャンプをまわり、警察の監視を懼れる避難民たちの堅い口から、必死に伊織の最後の足取りを聞き出したのだと、ジャンボハイヤーの窓からよく晴れた桜島に目を向けて、語りはじめた。
──あの日、
彼は、JEM(ダルフール反政府勢力)が支配する山岳地帯の外れにある、小さな黒人集落にいた。
急患の報せに、診療所から車で三時間以上かけて、往診鞄一つで向かったらしい。
懸命の治療で患者は一命を取り留めたが、夜明け前、村がアラブ系民兵の襲撃を受け、彼は患者の盾になって銃弾に斃れたそうだ。
殺戮、強奪、放火、性的虐待。
命からがら逃げ出した村人たちもみな散り散りとなり、村は壊滅した。
ルナは、諌止する関係者を出し抜き、逃げ腰のガイドの尻を蹴飛ばして、焦土となった村へ乗り込んだのだと、武勇伝のように笑った。
「酷い状態だった。すべて焼け落ちて、何もなかった。偵察に来ていた兵士から、行き倒れを埋葬したと聞いて、ようやく彼を見つけたの。
撃たれたあと、彼、しばらく意識があったのだと思う。渓谷に逃げこんで……そこで力尽きたのね」
ルナは、小さくなった婚約者を膝に抱いたまま、頂に雪を冠した遠山に目を向けて、微かな溜め息を吐いた。
野辺に葬られた遺骸を、どんな思いで乾いた石塊から掘り起こしたのか──その壮絶さを想像すると、胸が痛い。
窓の外には、澄み渡った空の下、高原の森林が果てしなく続いていた。
スラリとした長身をパンツスーツの喪服で包み、ただでさえ目を引く美貌が、空港職員に先導され、黒服の男ふたりを随従した姿で、いっそうの存在感を放っている。
到着ロビーの空気が、息を呑むように静まり返り、次いで、波のようなざわめきが起こった。
気丈に振る舞う横顔が、ひどく疲れて見えるのは、丸二日に及ぶ長旅のせいだけではないだろう。
目が合うと、強がりな表情に一瞬の隙ができて、涙色を嫌うように、彼女は清風のように微笑んだ。
「ありがとう、来てくれて」
ルナは箱包を片手に抱いたまま、澪の頬にそっと頬を寄せた。
その腕に、いつもの力強さが欠けていた。
「元気でよかった」
アイスグレーの瞳に見つめられて、澪の胸に、甘い痛みが走った。
枕崎の家に、突然ルナから電話があったのは、三日前のことだ。
どうして居所がわかったのかと驚く澪に、〈CIAに知り合いがいるの〉と、ルナは本気か冗談かわからぬことを言った。
二週間前、スーダン・ダルフールのジェベルマラ山地で見つかった遺体が、DNA型鑑定の結果、MSFの医師・吉川伊織と確認されたとニュースを見て、澪は暗然と言葉を失った。
しかも、その亡骸の発見者がルナだったとは、彼女の口から明かされるまで知らなかった。
ルナは、診療所のあるニエルティティ周辺の難民キャンプをまわり、警察の監視を懼れる避難民たちの堅い口から、必死に伊織の最後の足取りを聞き出したのだと、ジャンボハイヤーの窓からよく晴れた桜島に目を向けて、語りはじめた。
──あの日、
彼は、JEM(ダルフール反政府勢力)が支配する山岳地帯の外れにある、小さな黒人集落にいた。
急患の報せに、診療所から車で三時間以上かけて、往診鞄一つで向かったらしい。
懸命の治療で患者は一命を取り留めたが、夜明け前、村がアラブ系民兵の襲撃を受け、彼は患者の盾になって銃弾に斃れたそうだ。
殺戮、強奪、放火、性的虐待。
命からがら逃げ出した村人たちもみな散り散りとなり、村は壊滅した。
ルナは、諌止する関係者を出し抜き、逃げ腰のガイドの尻を蹴飛ばして、焦土となった村へ乗り込んだのだと、武勇伝のように笑った。
「酷い状態だった。すべて焼け落ちて、何もなかった。偵察に来ていた兵士から、行き倒れを埋葬したと聞いて、ようやく彼を見つけたの。
撃たれたあと、彼、しばらく意識があったのだと思う。渓谷に逃げこんで……そこで力尽きたのね」
ルナは、小さくなった婚約者を膝に抱いたまま、頂に雪を冠した遠山に目を向けて、微かな溜め息を吐いた。
野辺に葬られた遺骸を、どんな思いで乾いた石塊から掘り起こしたのか──その壮絶さを想像すると、胸が痛い。
窓の外には、澄み渡った空の下、高原の森林が果てしなく続いていた。