桜ふたたび　前編
Ⅲ　嵐の夜に

1、真夜中の東京

漆黒のストレッチリムジンの外は、薄赤い靄に包まれた真夜中の東京。
新横浜あたりから雨は上がったけれど、新幹線を降りたとたん、ねっとりと肌に絡みつくような生暖かさに襲われた。

澪は、話しかけるタイミングを求めて、目の前の柏木と隣のジェイを交互に見やった。

柏木はタブレットPCに難しい顔を向けている。
ジェイは、長い足を伸ばし、背もたれにもたれ、真夜中にもかかわらず途切れることのない電話に無表情に応対中。

彼は七カ国語を操るのだと、柏木から聞いた。今は……フランス語っぽい。
柏木自身は〈英語とロシア語を少々〉と面目なさそうに笑っていたけど、バイヤーという職業は並外れた語学力と体力が必要らしい。

母国語すら覚束ない澪は、唇を結んで息を吐いた。

京都駅でジェイにいきなり新幹線に連れ込まれ、澪は十秒ほど唖然と、次に遮二無二抵抗した。
グイグイと引っ立てる手と、掴まれた腕を引きはがそうとする指。
無言の攻防戦に勝利しさっさと座席につくジェイに、澪は抗議する度胸もなく、ただ通路にわなわな立ち尽くすばかりだった。

そのとき救いの手を差し伸べてくれたのが、柏木だ。

大学は京都だったとか、妻が北山の出身だとか、プライベートな話題をくだけた笑顔で披露してくれたのも、澪を落ち着かせるための配慮だったのだろう。

そういえば、はじめて先斗町で出会ったときも、柏木はジェイに困らされていた。
年下の上司というだけでも色々と思うところもあるだろうし、息もつかせぬ彼のペースに付き合わされるのは大変そう。
……今はそんなことに思いを致している場合ではないけれど。
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