桜ふたたび 前編
Ⅳ 七日目の蝉

1、遠雷

南部鉄の風鈴が、高く澄んだ音色を奏でている。
あと数日で、ひと月にわたる祇園祭のクライマックス、山鉾巡行。暑い京の街が、もっとも熱くなる。

澪は窓の桟に腰掛けて、薄月の浮かぶ空を見上げていた。

京都市は大学の街だ。このアパートも、半世紀ほど前に学生向けに建てられたもの。
リフォームはされているけれど、鉄骨の外階段に、外から丸見えの玄関。昭和の残り香を漂わせるその姿は、どこか哀愁を感じさせる。

安さだけが取り柄のこの物件は、いまどきの学生には見向きもされない。
住人は、くたびれた独り身の初老男。夜に働く母と少女の親子。工場勤めらしい東南アジア系の青年に、謎めいたミュージシャン。

顔を合わせれば軽く会釈する程度で、近所づきあいはほとんどないから、澪にとっては、その距離感がちょうどいい。

周囲には、外観が似た古く小さな民家が密集している。
猫も通れぬほど隣接しているのに、わずかなスペースに花をつくり、よけいに密度を濃くしていた。

何の花だろう? ふわりと、甘い香りがする。
芳香に誘われて眼下を覗き込むと、サンユウカの白い花が、薄闇に妖しく咲いていた。

そのままぼんやり眺めていると、からっぽの頭のなかに、いきなりジェイの笑顔が飛び込んできた。

鼓動が早まる。
心を鎮めるように、澪は大きく深呼吸した。

日常のふとした瞬間に、彼を思い出す。気づくと彼のさり気ない仕草や癖までも、思い起こしている。
本心から目を背けていたけれど、瞳は正直に彼を覚えていた。

澪は、左手に光るリングに目を落とした。

ウェーブしたプラチナの地金にディープブルーのダイヤ。流れ星の尾を描くように、アイスブルーとホワイトのメレーダイヤがあしらわれている。
< 71 / 313 >

この作品をシェア

pagetop