ヴィスタリア帝国の花嫁Ⅱ 〜婚約破棄された小国の公爵令嬢は帝国の皇子に溺愛される〜
44.シオンとの一夜
エリスの記憶の中のシオンは、よく泣く子どもだった。
何もないところで転んでは怪我もないのに大泣きし、小さな虫が部屋に入り込んだだけで悲鳴を上げ、夜中にトイレに行くことができずにおねしょをしては、グズグズと泣いて使用人を困らせる。
ひとたび笑えば少女のように可憐な笑顔で周りを陥落させたけれど、決して利発とは言い難く、初対面の相手には挨拶も返せないほどの人見知りで、父親から毎日のように叱られていた。
けれどエリスにとっては、シオンはたったひとりの弟であり、愛すべき存在だった。
いつだって自分の後ろについて回り、手を差し伸べればふにゃふにゃとした笑顔を浮かべ、「ねぇさま、ねぇさま」と自分を慕ってくれる弟を心の底から愛しく思っていたし、守らなければと思っていた。
母親が病気で死んだときも。
父親が継母とクリスティーナを屋敷に連れてきたときも。
親しかった使用人たちが次々に解雇され、居場所を失っていったときも。
自分が弟を守らなければと、シオンを守れるのは自分だけなのだと、必死に自分を奮い立たせた。
それなのに、自分はシオンを守れなかった。
寂しがりやで甘えん坊で、まだ何一つ満足にできない弟を、たったひとりで遠い国へと追いやってしまった。
その負い目は、幼いエリスの心に大きな傷痕を残した。
けれどそれでも、エリスは折れるわけにはいかなかった。
いつかシオンと共に暮らせるようになるそのときまで、強くあらねばならないと。
(シオンは、わたしが守るのよ)