ヴィスタリア帝国の花嫁Ⅱ 〜婚約破棄された小国の公爵令嬢は帝国の皇子に溺愛される〜

5.それぞれの葛藤

「私は今でも、ずぶ濡れで戻られたあの日の殿下のお顔を忘れることができません。――当時、女性には特に強い嫌悪感を示されるようになっていた殿下が、『少女に命を救われた』と、頬を赤く染めていたのですから」
「――!」
「もうお分かりですよね? 殿下はあの日、恋をされたのです。あなたの姉君のエリス様に、命のみならず、心までも救われたのです」
「……っ」

 刹那、シオンは言葉を失った。
 まさかアレクシスに、そんな悲惨な過去があるとは思いもしなかったからだ。

(殿下の初恋が姉さんであることは、姉さんから直接聞いていたけど……)

 彼は既に知っていた。十年前ランデル王国で出会った少年が、アレクシスであったことを。
 この二週間の間に、エリスから直接聞かされていたからだ。

「ねぇシオン、覚えてる? わたしたち、十年前にランデル王国で、湖に落ちた男の子を助けたことがあったでしょう? ほら、二人で宿を抜け出して、迷子になったときの」――と。

 忘れるはずがなかった。

 エリスと離れるのが嫌で、「姉さんと離れたくない」と我が儘を言った自分のことを。
 そのせいで迷子になり、エリスを不安にさせたこと。

 けれど街を彷徨う最中、切羽詰まった表情の年上の少年を見つけたエリスが、謎の正義感を発揮して少年をどこまでも追いかけたこと。

 その後、湖のほとりで、何かを取ろうと手を伸ばして水に落ちた少年を、エリスと共に助けたことを――。

 とは言えシオンは、エリスにこの話を聞かされるまで、その少年がアレクシスだったとは思いもしなかったけれど。
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