義弟の甘い罠は壊れるほど狂おしく【長編版】

20・まだ、終われない

 軽井沢さんも律も驚いている。
 先頭に立っていたのは御影先生だった。その一歩半歩後ろに、養父がいる。
 並んで立っているはずなのに、立場ははっきりしていた。主導権を握っているのは、間違いなく御影先生の方だ。
 嫌な予感がして、胸の内がざわりと嫌な音を立てる。
 ──どうしてここに?
 二人に問おうとすると、御影先生が、うなだれた養父を一歩前に立つよう促す。
 養父はこちらを見ようとしない。おおらかで豪快な、いつもの表情じゃない。
 明らかにおかしいと感じた時、養父が、床に膝をついた。
 ありえない光景に、思わず目を見開く。
 
「……すまん、菜月……!」
 
 震える声で。深く、深く頭を下げる。
 宝堂グループのトップとして、いつも背筋を伸ばしていた人が、床に額がつくほどの土下座をしている。
 
「何も聞かずに、御影先生と結婚してくれないか……!」
 
 一瞬、言葉の意味が理解できなかった。

「……え?」
 
 視界が、ぐらりと揺れる。
 結婚?
 御影先生と?
 彼を見ると、不敵な微笑を浮かべていた。

(どうして……?)
 
 養父は、少し前まで言っていたはずだ。「菜月には、自由に生きてほしい」と。
 無理に何かを背負わせるつもりはない、と。
 なのに。
 
「お父様……どうしたんですか? 急にそんな……」
 
 震えそうになる声を、必死で抑える。

「頼む……。なにも、聞いてくれるな……」

 養父は顔を上げないまま、かすれた声で言った。
 先ほどのタイミングでの、御影先生からの電話。
 彰人さんがいなくなった直後から急かされていた、後継者の話。
 その流れで、唐突に持ち上げられた私との結婚話──。
 偶然で片づけるには、出来すぎている。
 
 養父の姿を見て、確信に近い違和感が胸に広がる。
 これは、本人の意思じゃない。
 私はゆっくりと御影先生へ視線を移し、その薄い笑みを一度だけ確かめてから再び養父に向き直った。

「……もしかして」

 言葉を選ぶ必要は、もうない気がした。
 
「何か、弱みを握られているのではないですか?」

 空気が、一瞬で凍りつく。
 養父の肩が、びくりと跳ねた。
 御影先生の口元の笑みが、わずかに歪む。
 私は、はっきりと告げる。

「お父様──二十年前の、事故のことではないですか?」
「……!」

 養父がゆっくりと顔を上げる。
 その目は、驚きと恐怖と、そして諦めが入り混じっていた。

「菜月……おまえ……知って……」
 
 私は、こくりと頷いた。
 逃げずに、視線を受け止める。
 
「……悪い。俺が話した」
「俊……!」
 
 養父が、信じられないものを見るように軽井沢さんを見た。
 けれど軽井沢さんは屈んで養父と目線を合わせ、その胸ぐらを掴んだ。
 
「話して正解だったろうが! 現におまえは、こうしてそれをネタに脅されてる。二十年も抱え込んで、隠し続けて……ツケが回ってきたんだよ!」
 
 御影先生はなおも微笑んだまま、二人のやり取りを眺めている。
 彼の狙いはおそらく──。
 けれど私はもう、何も知らないまま従う立場ではいられなかった。 
 
 二十年前──。
 一組の夫婦が乗った自家用車と、男性会社員の運転する自家用車が衝突した。
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