離婚を切りだしたら無口な旦那様がしゃべるようになりました

17、わずかな希望

 そこは侯爵領の外れ。深い谷にひっそりとたたずむ小さな村だった。周囲を険しい崖に囲まれ、外界からはほとんど知られていない。
 この地の古びた一軒家で、フィリクスはゆっくりと目を覚ました。

「ここは……?」

 軋む天井を見上げ、体を起こそうとした瞬間、脇腹に鋭い痛みが走った。

「動いちゃだめだよ!」

 慌てて駆け寄ってきたのは、小柄な老婆だった。手には湯気の立つ器がある。

「……俺は、帰らねばならない」

 かすれた声で呟くフィリクスに、老婆は呆れたように肩をすくめた。

「何を言ってるんだい。あんた、崖から落ちたんだよ。村の医者に言わせれば生きてるのが奇跡だって」

 頭には包帯が巻かれ、右腕と脇腹も包帯で覆われている。
 目を凝らすと、その布がじわりと赤く滲んでいた。

「すまない……感謝する。ここは、どこだ……?」
「エシナ村さ。谷の底にある静かな村だよ。便利なものは何もないけど、そのぶん妙な奴も来ない。平穏な場所だよ」

 侯爵領の領境に村はいくつかあるが、エシナ村はほとんど人を寄せつけず、外界と交流を持たないと記憶している。

「エシナ村か。覚えておく」

 フィリクスは自身を救ってくれた恩をしっかり心に刻みつけた。

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