離婚を切りだしたら無口な旦那様がしゃべるようになりました

11、初めての夜

 宿の階段を上がり、荷物を運ぶ店主のあとを追って部屋へ向かう。
 アリシアのとなりを歩きながら、フィリクスがため息まじりにこぼした。

「こんなことになってしまって、すまない」
「いいえ」
「セインに伝えたつもりだったが、俺の勘違いだったのか。忙しくて覚えていないな」

 アリシアは困ったように頭をかくフィリクスの横顔を見つめ、ふと思った。

(もしや旦那様、気づいていない……?)

 やがて部屋の前に着き、店主が扉を開けて一礼した。

「どうぞ、お入りくださいませ」

 中に入ると、テーブルとソファと使い込まれた家具が並び、その奥にベッドが一つだけ置かれていた。
 フィリクスとアリシアは揃って目を見開き、固まった。
 次の瞬間、フィリクスが鋭く店主に声を上げた。

「おい、ベッドが一つしかないじゃないか」
「ご夫婦のお部屋だと伺っておりましたので」
「狭いじゃないか」
「そりゃ、侯爵様のお屋敷に比べれば致し方ないかと」
「……っ!」

 フィリクスは言葉に詰まり、それ以上何も言えなくなった。
 アリシアは部屋を眺めてから、フィリクスに笑顔で向き直る。

「休める場所があれば十分だと思います」
「……そうか。それも、そうだな。騒いですまなかった」

 フィリクスはばつが悪そうに店主にも頭を下げた。

「では、どうぞごゆっくり」

 パタンと扉が閉まると、静寂が訪れ、ふたりはしばらく立ち尽くしたまま動かなかった。

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