45歳、妊娠しました

第1話 兆し

朝、目覚めた瞬間から、体の重さに違和感があった。

佐藤美香はゆっくりとベッドから起き上がり、額に手をあてた。うっすらとしためまいが残り、体がふわふわと浮いているようだった。

「……更年期かしら」

ぼんやりとした頭のまま洗面所に向かい、鏡に映る自分の顔を見つめる。淡いクマと、乾燥した肌。45歳の現実が、そこにははっきりと刻まれていた。

娘の結衣はすでに朝食を済ませ、大学の予備校へ出かけていた。夫の健一は出社の準備をしている。家族の時間はいつも短く、交差するだけのような毎日だ。

「ちょっと最近、調子が悪いのよね……」

味噌汁を火にかけながら、ふとつぶやくと、背後から声がした。

「疲れてるんじゃない?最近ずっと帰り遅かったし」

健一が新聞をめくりながら言う。悪気はない。だがその言葉に、美香は言いようのないもやもやを覚えた。

「……そうね。そうかも」

笑って返すが、本当は違和感が積み重なっていた。

夜になると、今度は吐き気。食欲がなく、冷蔵庫の前で立ち尽くす。胃薬を取りに行こうとした瞬間、視界が歪んだ。

次の瞬間、視界が真っ暗になった。




目を覚ますと、そこは病院のベッドだった。

白い天井、点滴、そして心配そうにのぞき込む健一の顔。

「倒れたんだよ。リビングで。俺が帰ってきたら、君、床に倒れてて……」

声が少し震えている。こんな健一を見るのは何年ぶりだろう。

そこへ、担当医がやってきた。白衣の女性医師は、静かな口調で告げた。

「佐藤さん。驚かれるかもしれませんが……妊娠されています。今のところ、5週目です」

しばらく言葉の意味が理解できなかった。

「……妊娠?」

美香は自分の耳を疑った。まさか、自分が?この年で? 

「間違いじゃ……」

「血液検査と超音波で、間違いありません。高齢妊娠ということで、リスクについては丁寧に説明しますが、まずはお体を大事にしてください」

言葉が、遠くで響いていた。

横にいる健一も、目を丸くして医師を見ている。しばらく口を開けたままだったが、ふと目を細め、ぽつりとつぶやいた。

「……本当に、俺たちの子どもが?」

その言葉に、ようやく現実感が襲ってきた。

お腹に、新しい命が──。

混乱と驚きのなかで、美香の胸に、これまでにない震えが広がっていた。

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