45歳、妊娠しました

第32話 父としての覚悟

秋の午後、オフィスの窓から見える街並みはどこか遠くに感じられた。

健一は机に積み上がった書類を前に、ため息をひとつ。



「佐藤さん、奥さんの体調どう?」

同僚が気遣うように声をかけてくれた。



「……入院してて、しばらくは動けそうにないんだ」

言いながら、自分の声がどこか弱々しく響くのを感じた。



上司に申し出て時短勤務に切り替えてもらったが、その分、責任は軽くならない。

むしろ「周囲に迷惑をかけている」という重圧がのしかかる。



──家も守らなきゃいけないのに、仕事も疎かにできない。

頭の中で二つの責任がせめぎ合っていた。







その夜。

帰宅すると、結衣がエプロン姿でキッチンに立っていた。

「今日は私が作るから、パパは休んで」



食卓に並んだのは少し焦げたオムライス。

それでも健一は一口食べて、思わず笑みをこぼした。

「……うまいよ」



「本当? 味はちょっと濃いけど」

「いや、本当にうまい」



結衣は照れ臭そうに笑い、グラスの水を口に運んだ。





食事の後、二人で片付けをしていると、結衣がぽつりと口を開いた。

「ねえ、パパ。……ママのこと、不安?」



健一は手を止め、しばらく黙った。

「……不安だよ。でもな、それ以上に、この子を迎える責任を強く感じてる」



その言葉を口にした瞬間、健一は自分の中で何かが定まっていくのを感じた。

ただ支えるだけの夫ではなく、家を回す中心として立たなければならない。

そして、19年ぶりに「父親としての第一歩」をまた踏み出そうとしているのだ、と。



結衣はその横顔を見つめながら、小さく笑った。

「……なんか、パパがちょっと頼もしくなった気がする」



健一は苦笑しつつ、心の奥に灯った小さな自信をそっと握りしめた。

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