45歳、妊娠しました

第33話 父と娘、力を合わせて

母の入院で、家の中は空気をなくしたように静まり返っていた。

 美香が病院のベッドにいる──その事実だけで、これまで当たり前だった日常が大きく揺らいでいるように思えた。



 夕方、結衣はリビングのテーブルに広げた問題集を閉じ、ため息をついた。

「……ねえ、パパ。ママ、ちゃんと大丈夫なのかな」

 不安を隠せない娘の声に、健一は新聞をたたみ、ゆっくりと答えた。

「医師も看護師さんもついてる。心配ないさ。でも……俺たちも、母さんが安心できるようにしないとな」



 そう言って立ち上がった健一は、台所へ向かった。慣れない手つきで米を研ごうとする父の背中を見て、結衣は思わず吹き出した。

「お父さん、米粒落ちてるし」

「おっと……はは、母さんがいないと不器用なのがばれるな」



 結衣もエプロンを身につけ、冷蔵庫をのぞき込んだ。

「じゃあ、私が味噌汁作る。お母さん、入院する前に『結衣も料理ぐらい覚えなさい』って言ってたし」

「頼もしいな。俺は野菜切るよ。……うん、玉ねぎくらいなら大丈夫だ」



 ぎこちなく包丁を動かす父と、味噌を溶く娘。

 母がいない寂しさは残るが、台所に笑い声が戻ってくると、少しだけ胸の不安が和らいだ。



 食卓に並んだのは、白いご飯と湯気の立つ味噌汁、そして炒め物。決して豪華ではないけれど、温かい匂いにふたりの顔がほころぶ。

「お母さんが帰ってくるまで、私がちゃんとやるから」

「受験勉強もあるだろう。無理しなくていい」

「ううん。だって……私も、この家族の一員だから」



 結衣の言葉に、健一は言葉を失った。

 ただ「ありがとう」とだけ言って、箸を手に取る。



 母が病院で孤独と闘っているその瞬間、家でもまた、父と娘が力を合わせて支え合っていた。

 それは確かに、家族の絆を新たに結び直す時間だった。

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