追放された薬師ですが、冷酷侯爵に溺愛されて辺境でスローライフ始めます

第17章 予期せぬ敗北

夜。
王都の石畳が、月明かりに照らされている。
リディアとカイルは、宿舎へ向かって歩いていた。
謁見の間での緊張が、まだ体に残っている。
リディアは、資料の入った鞄を抱えていた。
「今日は……何とか、乗り切れました」
リディアの声が、小さく震える。
カイルは、無言で頷いた。
そして、リディアの横を歩く。
大通りから、路地へ入る。
静かな、夜道。
その時。
冷たい風が、吹いた。
カイルが、立ち止まった。
「……リディア」
カイルの声が、低い。
「俺の後ろに」
リディアは、息を呑んだ。
何か、いる。
闇の中から、影が現れた。
黒装束の男たち。
五人。
刺客だ。
リディアの心臓が、激しく打った。
刺客たちが、剣を抜く。
月明かりが、刃に反射する。
カイルは、リディアを背に庇った。
そして、剣を抜いた。
「下がっていろ!」
カイルの声が、鋭く響く。
刺客たちが、襲いかかってきた。
カイルの剣が、閃いた。
金属音。
火花。
カイルは、一人を斬り伏せた。
だが、刺客は次々と襲ってくる。
リディアは、壁に背を押し付けた。
震えが、止まらない。
カイルは、二人目を蹴り飛ばした。
三人目の剣を、受け止める。
隻眼でも、動きに迷いはない。
だが。
刺客の一人が、カイルの死角に回り込んだ。
そして、リディアに向かって走る。
手に、小さな針。
毒針だ。
「リディア!」
カイルが、叫んだ。
カイルは、刺客を突き飛ばし、リディアの前に飛び込んだ。
毒針が、放たれる。
カイルは、リディアを抱きしめた。
針が、リディアの腕をかすめる。
鋭い、痛み。
リディアは、悲鳴を上げた。
カイルは、激怒した。
獣のような、咆哮。
カイルの剣が、猛烈な速さで振るわれる。
刺客の腕が、飛んだ。
悲鳴。
カイルは、容赦しない。
次の刺客の喉を、剣が貫く。
残りの刺客たちは、恐怖に震えた。
そして、逃げ出した。
カイルは、追わなかった。
振り返り、リディアを見た。
リディアは、壁に寄りかかっていた。
腕から、血が流れている。
顔色が、青白い。
「リディア……!」
カイルは、剣を捨てて駆け寄った。
リディアを抱きしめる。
「毒……です……」
リディアの声が、か細い。
視界が、霞んでいく。
体が、重い。
意識が、遠のく。
「死ぬな!」
カイルの声が、必死に響く。
「絶対に、死ぬな!」
カイルは、リディアを抱き上げた。
リディアの体が、ぐったりとカイルに預けられる。
「リディア、目を開けろ!」
カイルの声が、震えている。
リディアは、カイルの顔を見た。
隻眼が、恐怖に歪んでいる。
こんな顔、初めて見た。
「カイル……様……」
リディアの声が、途切れる。
「喋るな! 今、解毒を……」
カイルは、リディアの腕を確認した。
毒針の跡。
皮膚が、黒く変色している。
カイルの手が、震えた。
「畜生……!」
カイルは、リディアを抱きしめたまま走り出した。
宿舎へ。
「死ぬな、リディア」
カイルの声が、夜に響く。
「お前を、失うわけにはいかない」
リディアは、カイルの腕の中で意識が薄れていく。
温かい。
カイルの腕が、温かい。
ああ、また。
また、毒で死ぬのだろうか。
リディアの瞼が、重くなる。
「リディア!」
カイルの叫び声が、遠くなる。
視界が、暗転していく。
最後に見えたのは、カイルの必死な顔だった。
宿舎の扉が、開け放たれていた。
カイルは、リディアを抱えたまま立ち止まった。
部屋の中が、見える。
荒らされている。
家具が倒され、書類が散乱している。
そして。
焼け焦げた紙の臭い。
カイルは、リディアを慎重に床に降ろした。
部屋の中へ入る。
机の上に、灰。
黒く焼けた紙片が、散らばっている。
リディアの論文資料。
全て、焼失していた。
カイルは、拳を握りしめた。
手が、震えている。
「畜生……!」
カイルの声が、低く響く。
「セレナの仕業だ……!」
カイルは、灰を握りしめた。
怒りで、体が震える。
リディアは、壁に寄りかかっていた。
毒が、体中に回っている。
だが、リディアは机に近づいた。
よろめきながら。
灰を、見つめる。
「証拠が……」
リディアの声が、震える。
「全部……」
リディアは、膝をついた。
涙が、頬を伝う。
何週間もかけて書いた論文。
前世の知識を、全て注ぎ込んだ資料。
セレナの罪を証明する、唯一の証拠。
全て、灰になった。
「ああ……」
リディアの声が、絶望に沈む。
カイルは、リディアの元へ駆け寄った。
肩を抱く。
「もういい」
カイルの声が、低く響く。
「お前の命の方が、大事だ」
カイルは、リディアの顔を見た。
青白い顔。
汗が、額を濡らしている。
毒が、進行している。
「辺境に戻るぞ」
カイルの声が、命令口調だ。
「今すぐに」
リディアは、首を横に振った。
「でも……証拠が……」
「証拠など、どうでもいい!」
カイルの声が、怒鳴るように響く。
「お前が死んだら、意味がない!」
リディアは、カイルを見た。
隻眼が、恐怖に震えている。
リディアは、唇を噛んだ。
そして、よろめきながら立ち上がった。
部屋の隅に、薬箱がある。
荒らされた部屋の中で、唯一無事だったもの。
リディアは、薬箱を開けた。
手が、震える。
「リディア、何を……」
「解毒薬……作ります……」
リディアの声が、途切れ途切れだ。
リディアは、薬草を取り出した。
白い根草。
青い花弁。
前世の知識が、蘇る。
毒の成分。
解毒の方法。
リディアは、震える手で薬草を砕いた。
乳鉢に入れ、すり潰す。
涙が、乳鉢に落ちる。
リディアは、震える手で解毒薬を調合した。
涙を拭いながら。
薬草を混ぜる。
水を加える。
前世の知識が、手を導く。
やがて、緑色の液体ができた。
リディアは、それを飲み干した。
苦い。
喉が、焼けるように痛い。
だが、毒の進行が止まる。
リディアは、深く息を吐いた。
「……大丈夫、です」
リディアの声が、か細い。
カイルは、リディアを抱き上げた。
ベッドに、横たえる。
「休め。明日、辺境に戻る」
リディアは、天井を見つめた。
涙が、まだ流れている。
窓の外、月が雲に隠れていく。
全て、失った。
証拠も。
希望も。
リディアは、目を閉じた。
「前世と……同じ……」
リディアの呟きが、闇に消える。
カイルは、ベッドの縁に座った。
リディアの手を、握る。
冷たい手。
まだ、毒が残っている。
リディアは、天井を見つめたまま動かない。
涙が、静かに流れている。
「リディア」
カイルの声が、優しく響く。
リディアは、カイルを見た。
隻眼が、自分を見つめている。
「お前は、何も失敗していない」
カイルの声が、力強い。
リディアは、首を横に振った。
「失敗しました……証拠を……守れなかった……」
リディアの声が、震える。
「前世でも……今世でも……私は……」
涙が、溢れる。
カイルは、リディアを抱き起こした。
そして、強く抱きしめた。
「生きているだけで、勝ちだ」
カイルの声が、リディアの耳元で響く。
「お前が、生きている」
カイルは、リディアの背中を撫でた。
「それだけで、十分だ」
リディアは、カイルの胸に顔を埋めた。
「でも……証拠が……」
リディアの声が、泣き声に変わる。
「真実を……証明できない……」
リディアは、カイルの服を握りしめた。
「また……誰も……信じてくれない……」
リディアは、声を上げて泣き崩れた。
全てが、崩れ去った。
何週間もの努力が。
希望が。
未来が。
全て、灰になった。
カイルは、リディアを抱きしめ続けた。
そして、静かに言った。
「俺が、証人だ」
カイルの声が、低く響く。
リディアは、泣きながらカイルを見上げた。
カイルの隻眼が、まっすぐリディアを見つめている。
「お前の薬が、何百人を救ったことを」
カイルは、リディアの涙を拭った。
「俺が、証明する」
カイルの声が、誓いの言葉のように響く。
「辺境の領民たちが、証人だ」
カイルは、リディアの頬に手を添えた。
「エリスが、証人だ」
カイルの声が、温かい。
「そして、俺が証人だ」
リディアは、カイルを見つめた。
涙で、視界が霞んでいる。
「侯爵様……」
リディアの声が、震える。
カイルは、眉をひそめた。
「カイルと呼べ」
カイルの声が、低い。
リディアは、息を呑んだ。
「……カイル様……」
「カイルだ」
カイルの声が、強い。
リディアは、頷いた。
「……カイル……」
カイルの隻眼が、優しく細められた。
「お前は、俺の……」
カイルの声が、止まった。
言葉を、探している。
リディアは、カイルを見つめた。
心臓が、激しく打っている。
カイルの顔が、近い。
二人の距離が、縮まる。
カイルの手が、リディアの頬に触れる。
温かい。
リディアは、目を閉じかけた。
その時。
激しい眩暈が、襲った。
「あ……」
リディアの体が、崩れる。
毒だ。
まだ、毒が残っている。
「リディア!」
カイルの声が、遠くなる。
視界が、暗転していく。
意識が、落ちていく。
カイルの腕が、リディアを支える。
「リディア、目を開けろ!」
カイルの声が、必死に響く。
だが、リディアの意識は遠のいていく。
最後に聞こえたのは。
カイルの声だった。
「必ず、守る」
低く、誓うような声。
「お前を、失わせない」
カイルの声が、闇に響く。
リディアは、その声を胸に、意識を手放した。

カイルは、リディアを抱きしめたまま動かなかった。
リディアの呼吸を、確認する。
浅いが、ある。
生きている。
カイルは、深く息を吐いた。
そして、リディアをベッドに横たえた。
毛布をかける。
カイルは、リディアの横に座った。
手を、握る。
「俺は、お前を守る」
カイルの声が、静かに響く。
「何があっても」
カイルは、リディアの髪を撫でた。
窓の外、夜が深まっていく。
月が、再び雲の隙間から顔を出す。
微かな光が、部屋を照らす。
カイルは、リディアの手を握ったまま、一晩中見守り続けた。
< 17 / 24 >

この作品をシェア

pagetop