追放された薬師ですが、冷酷侯爵に溺愛されて辺境でスローライフ始めます

第5章 目覚めの朝

白い光。
リディアは、その中にいた。
体がない。
重さがない。
ただ、意識だけがある。
リディアは、浮いている。
上も、下も、わからない。
時間も、わからない。
ただ、白い光だけが、全てを包んでいる。
リディアは、何も感じなかった。
痛みも、苦しみも、何もない。
ただ、静寂だけがある。
ここは、どこだろう。
リディアは、考えた。
死んだのだろうか。
そうだ。
リディアは、荒野で死んだ。
毒を飲まされて、死んだ。
では、ここは——。
死後の世界。
記憶が、蘇った。
前世の、記憶。
製薬会社の、研究室。
白衣を着た、リディア。
報告書を、破られた記憶。
上司の、冷たい言葉。
「君の研究は、会社の利益を損なう」
孤立。
左遷。
誰も、信じてくれなかった。
そして、今世の記憶。
王宮の、薬房。
セレナの、嘲笑。
アルヴィンの、裏切り。
国王の、昏睡。
追放。
石を、投げられた記憶。
「毒殺者!」
そして、毒を飲まされた。
荒野で、死んだ。
また、失敗した。
リディアは、自責の念に苛まれた。
前世でも、今世でも、何も変えられなかった。
真実を訴えても、誰も信じてくれなかった。
患者を救おうとしても、救えなかった。
リディアは、無力だった。
ただ、一人で死んだ。
何も、成し遂げられなかった。
リディアは、心の中で泣いた。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
誰にも、何も、してあげられなかった。
その時。
声が、聞こえた。
「お前は、諦めるのか」
リディアは、震えた。
誰だ? 
声は、どこからともなく響いている。
男性でも、女性でもない。
ただ、声だけがある。
「誰……ですか……」
リディアは、問いかけた。
だが、声は答えなかった。
ただ、再び問いかけてきた。
「お前は、諦めるのか」
リディアは、唇を噛んだ。
諦める……? 
「私には……力がない……」
リディアは、小さく答えた。
「前世でも、今世でも、何もできなかった……」
「誰も……信じてくれない……」
リディアの声が、震える。
「真実を訴えても……誰も聞いてくれない……」
「私は……無力です……」
リディアは、泣いた。
光の中で、声もなく泣いた。
「もう……疲れました……」
「何も……したくない……」
リディアは、諦めようとしていた。
もう、戦いたくない。
もう、傷つきたくない。
ただ、このまま消えてしまいたい。
リディアは、光の中で、小さくなった。
光が、揺らいだ。
そして、声が再び響いた。
「それでも、戦うか?」
リディアは、息を呑んだ。
「戦う……?」
「そうだ。お前は、また戦うのか?」
リディアは、震えた。
戦う。
また、あの苦しみを味わうのか。
また、裏切られるのか。
また、一人きりになるのか。
リディアは、恐怖した。
「私には……もう……」
「お前には、何がある?」
声が、問いかける。
リディアは、黙った。
私には、何がある? 
リディアは、考えた。
力も、ない。
味方も、いない。
証拠も、ない。
何も、ない。
「……何も、ありません……」
リディアは、小さく答えた。
「ならば、何故お前は生きていた?」
リディアは、息を呑んだ。
何故……? 
「わかりません……」
「お前は、何を望んでいた?」
リディアは、震えた。
何を、望んでいた? 
リディアは、記憶を辿った。
前世で、何を望んでいたのか。
今世で、何を望んでいたのか。
そして——。
リディアは、思い出した。
「人を……救いたかった……」
小さな、声。
「薬害で、苦しむ人たちを……救いたかった……」
リディアの声が、震える。
「真実を……証明したかった……」
「誰かを……守りたかった……」
リディアは、泣いた。
それが、リディアの望みだった。
前世でも、今世でも。
ただ、人を救いたかった。
それだけだった。
光が、また揺らいだ。
そして、声が響いた。
「それでも、戦うか?」
光の中。
リディアは、浮遊していた。
声は、もう聞こえない。
ただ、静寂だけがある。
リディアは、考えた。
戦う。
また、戦うのか。
リディアは、震えた。
戦うのは、苦しい。
傷つくのは、痛い。
裏切られるのは、辛い。
このまま、消えた方が楽ではないか。
リディアは、その誘惑に引き寄せられた。
そうだ。
このまま、光の中で消えてしまえばいい。
もう、何も考えなくていい。
もう、何も感じなくていい。
ただ、楽になれる。
リディアは、目を閉じた。
光が、優しく包んでくれる。
このまま、眠ってしまおう。
永遠に。
だが——。
記憶が、蘇った。
前世の、孤独。
製薬会社の、廊下。
リディアは、一人で歩いていた。
同僚たちは、リディアを避ける。
誰も、リディアに話しかけない。
リディアは、透明人間だった。
存在しないかのように、扱われた。
上司は、リディアを左遷した。
地方の支社へ。
誰も知らない場所へ。
リディアは、そこで孤独に働いた。
毎日、毎日、誰とも話さず。
ただ、書類を整理するだけ。
リディアの研究は、無駄になった。
リディアの告発は、無視された。
患者たちは、苦しみ続けた。
リディアは、何もできなかった。
そして、孤独のまま、死んだ。
今世の、屈辱。
王宮の、謁見の間。
リディアは、民衆の前に晒された。
石を、投げられた。
「毒殺者!」
「許せない!」
罵声が、リディアを包んだ。
リディアは、血を流した。
だが、誰も助けてくれなかった。
アルヴィンは、婚約を破棄した。
セレナは、嘲笑った。
侍医長は、目を逸らした。
リディアは、追放された。
そして、毒を飲まされた。
荒野で、一人で死んだ。
二度も。
二度も、裏切られた。
二度も、孤独だった。
二度も、何もできなかった。
リディアは、痛みを感じた。
心が、引き裂かれるような痛み。
もう、嫌だ。
もう、疲れた。
リディアは、項垂れた。
光の中で、小さくなった。
「もう……疲れた……」
リディアは、呟いた。
「誰も……私を必要としていない……」
リディアの声が、震える。
「前世でも……今世でも……私は一人きりだった……」
「誰も……信じてくれなかった……」
「誰も……助けてくれなかった……」
リディアは、泣いた。
光の中で、声もなく泣いた。
「もう……いい……」
「このまま……消えてしまいたい……」
リディアは、諦めようとしていた。
戦うのを、やめようとしていた。
ただ、光の中で消えてしまおうとしていた。
だが——。
その時。
リディアの脳裏に、何かが浮かんだ。
ノート。
薬学ノート。
革表紙の、古びたノート。
リディアは、それを思い出した。
あのノートに、何を書いていたのか。
前世の、化学式。
今世の、薬草の記録。
そして——。
最後のページに、書いた言葉。
「いつか、人を救える日が来る」
リディアは、その文字を思い出した。
自分の、手書きの文字。
震える手で、書いた文字。
「人を、救いたい」
それが、リディアの願いだった。
前世でも。
今世でも。
ずっと、変わらない願い。
リディアは、息を呑んだ。
まだ。
まだ、終わっていない。
リディアは、誰も救えていない。
患者たちは、まだ苦しんでいる。
セレナは、まだ人を欺いている。
国王は、まだ昏睡状態だ。
リディアが諦めたら、誰が彼らを救うのか。
リディアは、震えた。
心の奥に、小さな火が灯った。
小さな、小さな火。
だが、確かに灯っている。
リディアは、顔を上げた。
光の中で、小さく呟いた。
「まだ……終わりたくない……」
その声は、小さい。
だが、確かにあった。
リディアの、意志。
リディアの、願い。
火が、少しだけ大きくなった。
リディアは、拳を握った。
体はない。
だが、リディアは拳を握った気がした。
「まだ……戦える……」
リディアは、呟いた。
「まだ……諦めない……」
光が、揺らいだ。
まるで、リディアの言葉に反応したかのように。
リディアは、光の中で立ち上がった。
体はない。
だが、リディアは立ち上がった気がした。
心の中の、小さな火。
それが、リディアを支えていた。
リディアは、光を見つめた。
眩い、白い光。
リディアは、その光に向かって、叫んだ。
「もう一度!」
リディアの声が、光の中に響いた。
「もう一度、チャンスをください!」
リディアは、叫び続けた。
「今度こそ、戦います!」
「今度こそ、諦めません!」
「今度こそ、真実を証明します!」
リディアの声が、だんだん大きくなる。
「患者たちを、救います!」
「セレナを、止めます!」
「もう、逃げません!」
リディアは、全てを込めて、叫んだ。
「お願いです! もう一度だけ!」
光が、揺れた。
そして——。
爆発した。
眩い、眩い光。
リディアは、その光に包まれた。
光が、爆発的に広がる。
リディアの意識が、引っ張られる。
どこかへ。
どこか遠くへ。
リディアは、抵抗しなかった。
ただ、光に身を任せた。
光が、リディアを包む。
温かい。
だが、眩しい。
リディアは、目を閉じた。
光が、だんだん遠くなる。
そして——。
音が、聞こえた。
耳鳴り。
キーンという、高い音。
リディアは、顔をしかめた。
痛い。
頭が、痛い。
リディアは、手を頭に当てようとした。
そして、気づいた。
手がある。
体がある。
リディアは、目を開けた。
眩暈。
視界が、ぐるぐると回る。
リディアは、何かに横たわっている。
柔らかい。
ベッドだ。
リディアは、必死に焦点を合わせた。
視界が、だんだんはっきりしてくる。
そして——。
天井が、見えた。
白い、天井。
木の梁が、走っている。
リディアは、その天井を見つめた。
見覚えがある。
この天井は——。
リディアは、飛び起きた。
体が、重い。
だが、動く。
リディアは、周囲を見回した。
狭い部屋。
石造りの壁。
質素な木製のベッド。
古びた机と、椅子。
そして、壁にかけられた小さな鏡。
リディアは、その部屋を見つめた。
知っている。
この部屋は、リディアの部屋だ。
王宮の、侍女部屋。
リディアは、震えた。
何故? 
リディアは、荒野で死んだはずだ。
毒を飲まされて、死んだはずだ。
では、何故ここにいるのか? 
リディアは、ベッドから降りた。
足が、ふらつく。
だが、なんとか立った。
そして、鏡の方へ歩いた。
鏡の前に、立つ。
リディアは、鏡を見た。
そして——。
息を呑んだ。
鏡に映っているのは、リディアだ。
だが——。
若い。
頬の傷が、ない。
額の血も、ない。
石で打たれた痕も、ない。
リディアは、自分の顔を触った。
滑らかだ。
傷が、ない。
リディアは、手を見た。
手錠の痕も、ない。
綺麗な、白い肌。
リディアは、震えた。
これは——。
リディアは、鏡の中の自分を見つめた。
若返っている。
いや、違う。
これは、3年前のリディアだ。
追放される前の、リディアだ。
リディアは、息を呑んだ。
「死に、戻った……?」
リディアは、小さく呟いた。
鏡の中の自分が、同じように唇を動かしている。
リディアは、自分の頬を強くつねった。
痛い。
これは、夢ではない。
リディアは、本当にここにいる。
3年前の、自分の部屋に。
リディアは、震える手で、机を見た。
机の上に、革表紙のノートがある。
リディアは、それを手に取った。
開く。
そこには、前世の化学式と、薬草の記録が書かれていた。
リディアの、筆跡。
リディアは、ノートを抱きしめた。
本当だ。
本当に、戻ってきた。
リディアは、涙が溢れるのを感じた。
だが、今は嬉し涙だ。
リディアは、ノートを机に置いた。
そして、鏡の前に戻った。
鏡の中の自分を、見つめる。
3年前の、リディア。
これから、全てが始まる。
セレナの陰謀。
アルヴィンの裏切り。
国王の毒殺。
追放。
だが、今度は違う。
リディアは、全てを知っている。
何が起こるのか。
誰が敵なのか。
どうすれば勝てるのか。
リディアは、拳を握った。
鏡の中の自分も、拳を握っている。
リディアは、小さく呟いた。
「今度こそ、戦う」
その声は、決意に満ちていた。
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