追放された薬師ですが、冷酷侯爵に溺愛されて辺境でスローライフ始めます
第8章 妨害と試練
夜。
王宮図書館は、静寂に包まれていた。
蝋燭の灯りだけが、リディアの手元を照らしている。
リディアは、机の上に広げられた薬学書を見つめていた。
「魔力薬学概論」
「神経系疾患と魔力の関係」
「薬草学大全」
何冊もの本が、積み重ねられている。
リディアは、羽根ペンを手に取った。
そして、ノートに書き込む。
前世の化学式。
C₁₇H₁₉NO₃——アルカロイド。
この世界の薬草で、似た成分を持つものは——。
リディアは、薬学書をめくった。
「白い根草——鎮痛作用。成分:アルカノイド類似物質」
リディアは、ノートに書き込んだ。
「白い根草=前世のアルカロイド系」
リディアは、次の化学式を書いた。
C₆H₁₂O₆——グルコース。
この世界では——。
「黄色い花の蜜——栄養補給作用」
リディアは、書き込んだ。
「黄色い花の蜜=前世の糖類」
リディアは、ため息をついた。
苦労する。
前世の化学知識を、この世界の「魔力薬学」に変換するのは、容易ではない。
この世界の薬学は、魔力に依存している。
薬草に魔力を注入し、効果を高める。
だが、リディアの方法は違う。
魔力に頼らず、化学的な配合で薬を作る。
リディアは、ノートに図解を描き始めた。
エリスの病——魔力過多による自己免疫暴走。
前世の知識で言えば、自己免疫疾患に似ている。
治療法は——。
リディアは、矢印を描いた。
「魔力抑制」→「白い根草+青い葉」
「栄養補給」→「黄色い花の蜜+赤い実」
「体質改善」→「緑の苔+銀の草」
リディアは、図解を見つめた。
これで、エリスを救える。
リディアは、確信していた。
だが、問題がある。
この方法を、誰にも知られてはいけない。
特に、セレナには。
リディアは、ノートを閉じた。
そして、周囲を見回した。
図書館には、誰もいない。
リディアは、安堵した。
リディアは、再びノートを開いた。
次は、セレナの秘薬について。
リディアは、メモを取り出した。
セレナの秘薬の成分リスト。
「赤い蔓草の根——30%」
「月光花の花粉——15%」
「魔晶石の粉末——20%」
リディアは、それを前世の知識と照合する。
依存性薬物の配合比。
完全に一致する。
リディアは、拳を握った。
セレナは、確実に国王を毒殺しようとしている。
そして、貴族たちも、依存症にさせている。
リディアは、それを止めなければならない。
だが、まだ証拠が足りない。
リディアは、薬学書をめくった。
依存性薬物の副作用について、調べる。
「長期使用による神経破壊」
「記憶障害」
「倦怠感」
国王の症状と、完全に一致する。
リディアは、ノートに書き込んだ。
その時。
足音が、聞こえた。
リディアは、顔を上げた。
誰かが、図書館に入ってくる。
リディアは、急いでノートを閉じた。
そして、薬学書の下に隠した。
足音が、近づいてくる。
リディアは、別の本を開いた。
何気ない顔で、本を読むふりをする。
「あら、リディア」
声がした。
リディアは、顔を上げた。
セレナだ。
金髪が、蝋燭の光を受けて輝いている。
碧眼が、リディアを見ている。
セレナは、優雅に微笑んでいる。
リディアは、心臓が高鳴るのを感じた。
だが、表情には出さなかった。
「セレナ様。こんな夜遅くに、どうされたのですか?」
セレナは、リディアの机に近づいた。
「それは、私のセリフよ。リディア、最近図書館通いが多いわね」
セレナの声は、優雅だ。
だが、棘がある。
リディアは、冷静に答えた。
「はい。勉強をしています」
「勉強?」
セレナは、リディアの机の上を見た。
薬学書が、積まれている。
「薬学の勉強かしら?」
「はい」
「何故?」
セレナの目が、鋭くなった。
リディアは、慎重に答えた。
「婚約者として、恥ずかしくないよう、勉強をしたいと思いまして」
「婚約者として?」
セレナは、鼻で笑った。
「あなた、アルヴィン様は薬学になど興味がないわよ」
「はい。ですが、私は薬学に興味があります。少しでも、役に立ちたいと」
リディアは、嘘をついた。
セレナは、しばらくリディアを見つめていた。
その目は、疑念に満ちている。
リディアは、息を潜めた。
信じてくれるだろうか。
セレナは、ため息をついた。
「そう。まあ、勉強するのはいいことね」
セレナは、踵を返した。
「でも、あまり夜遅くまで起きていると、体に悪いわよ」
セレナは、図書館を出て行った。
リディアは、その背中を見送った。
足音が、遠ざかる。
完全に聞こえなくなった後、リディアは息を吐いた。
緊張が、解ける。
手が、震えている。
バレるわけにはいかない。
セレナに、リディアの計画を知られてはいけない。
リディアは、ノートを取り出した。
そして、再び開いた。
だが、集中できない。
セレナの疑念の眼差しが、脳裏に焼き付いている。
リディアは、ノートを閉じた。
今日は、ここまでにしよう。
リディアは、本を片付けた。
蝋燭を消す。
図書館は、再び暗闇に包まれた。
リディアは、図書館を出た。
廊下を歩きながら、リディアは心の中で呟いた。
気をつけなければ。
セレナは、気づき始めている。
カイル邸。
リディアは、エリスの部屋にいた。
手には、小さな陶器のカップ。
中には、淡い緑色の液体が入っている。
湯気が、立ち上っている。
リディアは、エリスのベッドに近づいた。
「エリスちゃん、お薬よ」
エリスは、ベッドに座り直した。
「どんな味?」
「少し、苦いかもしれないわ」
リディアは、カップをエリスに渡した。
エリスは、カップを受け取った。
そして、匂いを嗅いだ。
「草の匂いがする」
「ええ。魔力を抑えるハーブティーなの」
エリスは、カップを口に運んだ。
一口、飲む。
顔をしかめた。
「苦い」
「ごめんね。でも、これを飲めば、エリスちゃんは元気になれるわ」
エリスは、頷いた。
そして、カップを傾け、全て飲み干した。
「えらいわ、エリスちゃん」
リディアは、エリスの頭を撫でた。
エリスは、微笑んだ。
「リディア先生のためなら、頑張れるよ」
リディアは、胸が温かくなった。
リディアは、カップを受け取った。
そして、部屋の隅に立っているカイルを見た。
カイルは、無言で立っている。
腕を組み、壁に背中を預けている。
その目は、リディアを見ている。
鋭い。
無表情だが、圧力がある。
リディアは、唇を噛んだ。
カイルは、信じているのだろうか。
それとも、疑っているのだろうか。
リディアは、わからない。
ただ、カイルの視線が、重い。
数日後。
リディアは、再びカイル邸を訪れた。
エリスの部屋に入る。
エリスは、ベッドに横たわっている。
リディアは、エリスの脈を取った。
弱い。
変わらない。
リディアは、眉をひそめた。
エリスの顔を見る。
青白い。
頬は、相変わらずこけている。
効果が、見えない。
リディアは、焦りを感じた。
「エリスちゃん、体の調子はどう?」
エリスは、小さく微笑んだ。
「うん……あんまり、変わらないかな」
リディアは、唇を噛んだ。
まだ、数日だ。
効果が出るには、時間がかかる。
リディアは、それを知っている。
だが——。
リディアは、部屋の隅を見た。
カイルが、立っている。
無言で。
腕を組んで。
リディアを、見つめている。
その目には、何の感情もない。
だが、その無表情が、逆に恐ろしい。
リディアは、カイルに言った。
「カイル様、まだ数日です。効果が出るには、もう少し時間が——」
「わかっている」
カイルは、冷たく言った。
「だが、結果が全てだ」
リディアは、息を呑んだ。
カイルは、リディアに近づいた。
そして、低い声で言った。
「お前が、娘を救えなければ、契約は破棄だ」
リディアは、震えた。
契約破棄。
それは、つまり——死。
リディアは、拳を握った。
「わかっています」
カイルは、リディアを見つめた。
そして、部屋を出て行った。
リディアは、一人、エリスの部屋に残された。
リディアは、窓の外を見た。
庭が、見える。
灰色の、曇り空。
リディアは、心の中で呟いた。
前世の臨床データを、信じる。
この治療法は、必ず効く。
時間がかかるだけだ。
リディアは、自分を奮い立たせた。
焦ってはいけない。
冷静に、治療を続ける。
リディアは、エリスの方を向いた。
エリスは、リディアを見ていた。
「リディア先生」
「何?」
エリスは、微笑んだ。
「私ね、リディア先生のこと、信じてるよ」
リディアは、息を呑んだ。
「エリスちゃん……」
「だって、リディア先生は、優しいもの」
エリスは、小さな手を伸ばした。
リディアは、その手を取った。
「それに、リディア先生は、一生懸命頑張ってくれてるもの」
エリスの目が、優しく輝いた。
「だから、私も頑張るよ。お薬、ちゃんと飲むから」
リディアは、涙が込み上げるのを感じた。
エリスは、こんなに幼いのに。
こんなに苦しいのに。
それでも、リディアを信じてくれている。
リディアを、励ましてくれている。
リディアは、エリスの手を強く握った。
「ありがとう、エリスちゃん」
リディアの声が、震えた。
「私、絶対にエリスちゃんを救うから」
「うん」
エリスは、微笑んだ。
「私も、リディア先生を信じてるから」
リディアは、エリスの頭を撫でた。
そして、心の中で誓った。
絶対に、救う。
どんなことがあっても。
エリスの純粋さに、応えるために。
カイルの信頼を、勝ち取るために。
そして、自分自身の使命を、果たすために。
リディアは、決意を新たにした。
王宮。
リディアは、薬草倉庫へ向かって廊下を歩いていた。
エリスの治療に必要な薬草を、取りに行くためだ。
白い根草。
青い葉。
黄色い花の蜜。
リディアは、リストを確認した。
倉庫の前に着く。
リディアは、鍵を取り出した。
いつも使っている、倉庫の鍵だ。
リディアは、鍵を鍵穴に差し込んだ。
だが——。
入らない。
リディアは、眉をひそめた。
もう一度、試す。
やはり、入らない。
鍵穴が、変わっている。
リディアは、息を呑んだ。
鍵が、変えられている。
何故?
リディアは、周囲を見回した。
誰もいない。
リディアは、倉庫の扉を叩いた。
「すみません! 誰かいませんか!」
返事はない。
リディアは、歯噛みした。
これは——セレナの仕業だ。
リディアは、確信した。
セレナは、リディアを疑い始めている。
そして、妨害を始めた。
リディアは、口を真一文字に閉じた。
時間がない。
エリスの治療に、薬草が必要だ。
リディアは、別の方法を考えた。
薬房に行けば、薬草があるかもしれない。
リディアは、薬房へ向かって走った。
廊下を駆け抜ける。
息が、切れる。
薬房に着いた。
リディアは、扉を開けた。
中には、下級薬師の少女、マリがいた。
「マリ!」
マリは、驚いた顔をした。
「リディア様! どうされたのですか?」
「薬草が必要なの。白い根草と、青い葉と、黄色い花の蜜」
マリは、頷いた。
「少々、お待ちください」
マリは、棚を探し始めた。
リディアは、イライラしながら待った。
時間が、無駄になっている。
カイル邸へ行くのが、遅れる。
マリが、戻ってきた。
「白い根草と青い葉は、ありました。ですが、黄色い花の蜜は……在庫がありません」
リディアは、顔面蒼白になった。
「ない……?」
「はい。昨日、セレナ様が大量に持って行かれまして」
リディアは、呆然と立ち尽くした。
やはり、セレナだ。
セレナは、わざとリディアの必要な薬草を持って行った。
リディアは、唇を噛んだ。
「どこか、他に入手できる場所は?」
マリは、考えた。
「街の薬草商でしたら、あるかもしれません」
「わかったわ。ありがとう、マリ」
リディアは、白い根草と青い葉を受け取った。
そして、薬房を出た。
街へ。
王宮を出て、街へ行かなければならない。
時間が、さらに無駄になる。
リディアは、走った。
王宮の門を出る。
街の薬草商へ。
リディアは、息を切らしながら、店に入った。
「黄色い花の蜜を、ください」
店主は、頷いた。
「ありますよ」
リディアは、安堵した。
店主が、蜜を持ってきた。
リディアは、代金を払った。
そして、店を出た。
時間を、大幅にロスした。
リディアは、王宮へ戻った。
廊下で、アルヴィンとすれ違った。
「アルヴィン様」
リディアは、アルヴィンを呼び止めた。
アルヴィンは、面倒そうに振り返った。
「何だ?」
「薬草倉庫の鍵が、変えられていました」
「鍵?」
「はい。私が持っている鍵では、開かなくなっていました」
アルヴィンは、興味なさそうに言った。
「それは、管理部門に言え」
「ですが、これはおそらくセレナ様が——」
「リディア」
アルヴィンは、冷たく遮った。
「些細なことで、俺を煩わせるな」
「些細なこと……?」
「そうだ。鍵が変わったくらい、大したことではない」
アルヴィンは、そう言い放ち、行ってしまった。
リディアは、その場に立ち尽くした。
孤立。
誰も、リディアの味方をしてくれない。
アルヴィンも、セレナの側だ。
リディアは、一人きりだ。
リディアは、震える声をこらえた。
だが、今は——。
今は、エリスの治療が最優先だ。
リディアは、自分にそう言い聞かせた。
セレナのことは、後で考える。
今は、エリスを救うことだけに集中する。
リディアは、自室へ戻った。
夜。
リディアは、自室の机で、薬を調合していた。
白い根草を、すり潰す。
青い葉を、煎じる。
黄色い花の蜜を、混ぜる。
リディアの手が、震えている。
疲労が、全身を包んでいる。
今日は、走り回った。
時間を、ロスした。
セレナに、妨害された。
だが、リディアは諦めなかった。
エリスのために。
リディアは、薬を調合し続けた。
蝋燭の炎が、揺れている。
リディアの影が、壁に映っている。
リディアは、目をこすった。
眠い。
だが、まだ終わっていない。
リディアは、薬を瓶に詰めた。
明日、カイル邸へ持って行く。
リディアは、瓶を机に置いた。
そして、椅子に深く座り込んだ。
体が、重い。
目が、霞む。
リディアは、このまま倒れそうだった。
だが——。
リディアは、立ち上がった。
まだ、やることがある。
セレナの秘薬についての、調査。
国王の症状についての、記録。
リディアは、ノートを開いた。
そして、再び書き始めた。
蝋燭の炎が、小さくなっている。
リディアは、新しい蝋燭を灯した。
夜は、まだ長い。
リディアは、孤独だった。
だが、止まらなかった。
戦い続けた。
王宮図書館は、静寂に包まれていた。
蝋燭の灯りだけが、リディアの手元を照らしている。
リディアは、机の上に広げられた薬学書を見つめていた。
「魔力薬学概論」
「神経系疾患と魔力の関係」
「薬草学大全」
何冊もの本が、積み重ねられている。
リディアは、羽根ペンを手に取った。
そして、ノートに書き込む。
前世の化学式。
C₁₇H₁₉NO₃——アルカロイド。
この世界の薬草で、似た成分を持つものは——。
リディアは、薬学書をめくった。
「白い根草——鎮痛作用。成分:アルカノイド類似物質」
リディアは、ノートに書き込んだ。
「白い根草=前世のアルカロイド系」
リディアは、次の化学式を書いた。
C₆H₁₂O₆——グルコース。
この世界では——。
「黄色い花の蜜——栄養補給作用」
リディアは、書き込んだ。
「黄色い花の蜜=前世の糖類」
リディアは、ため息をついた。
苦労する。
前世の化学知識を、この世界の「魔力薬学」に変換するのは、容易ではない。
この世界の薬学は、魔力に依存している。
薬草に魔力を注入し、効果を高める。
だが、リディアの方法は違う。
魔力に頼らず、化学的な配合で薬を作る。
リディアは、ノートに図解を描き始めた。
エリスの病——魔力過多による自己免疫暴走。
前世の知識で言えば、自己免疫疾患に似ている。
治療法は——。
リディアは、矢印を描いた。
「魔力抑制」→「白い根草+青い葉」
「栄養補給」→「黄色い花の蜜+赤い実」
「体質改善」→「緑の苔+銀の草」
リディアは、図解を見つめた。
これで、エリスを救える。
リディアは、確信していた。
だが、問題がある。
この方法を、誰にも知られてはいけない。
特に、セレナには。
リディアは、ノートを閉じた。
そして、周囲を見回した。
図書館には、誰もいない。
リディアは、安堵した。
リディアは、再びノートを開いた。
次は、セレナの秘薬について。
リディアは、メモを取り出した。
セレナの秘薬の成分リスト。
「赤い蔓草の根——30%」
「月光花の花粉——15%」
「魔晶石の粉末——20%」
リディアは、それを前世の知識と照合する。
依存性薬物の配合比。
完全に一致する。
リディアは、拳を握った。
セレナは、確実に国王を毒殺しようとしている。
そして、貴族たちも、依存症にさせている。
リディアは、それを止めなければならない。
だが、まだ証拠が足りない。
リディアは、薬学書をめくった。
依存性薬物の副作用について、調べる。
「長期使用による神経破壊」
「記憶障害」
「倦怠感」
国王の症状と、完全に一致する。
リディアは、ノートに書き込んだ。
その時。
足音が、聞こえた。
リディアは、顔を上げた。
誰かが、図書館に入ってくる。
リディアは、急いでノートを閉じた。
そして、薬学書の下に隠した。
足音が、近づいてくる。
リディアは、別の本を開いた。
何気ない顔で、本を読むふりをする。
「あら、リディア」
声がした。
リディアは、顔を上げた。
セレナだ。
金髪が、蝋燭の光を受けて輝いている。
碧眼が、リディアを見ている。
セレナは、優雅に微笑んでいる。
リディアは、心臓が高鳴るのを感じた。
だが、表情には出さなかった。
「セレナ様。こんな夜遅くに、どうされたのですか?」
セレナは、リディアの机に近づいた。
「それは、私のセリフよ。リディア、最近図書館通いが多いわね」
セレナの声は、優雅だ。
だが、棘がある。
リディアは、冷静に答えた。
「はい。勉強をしています」
「勉強?」
セレナは、リディアの机の上を見た。
薬学書が、積まれている。
「薬学の勉強かしら?」
「はい」
「何故?」
セレナの目が、鋭くなった。
リディアは、慎重に答えた。
「婚約者として、恥ずかしくないよう、勉強をしたいと思いまして」
「婚約者として?」
セレナは、鼻で笑った。
「あなた、アルヴィン様は薬学になど興味がないわよ」
「はい。ですが、私は薬学に興味があります。少しでも、役に立ちたいと」
リディアは、嘘をついた。
セレナは、しばらくリディアを見つめていた。
その目は、疑念に満ちている。
リディアは、息を潜めた。
信じてくれるだろうか。
セレナは、ため息をついた。
「そう。まあ、勉強するのはいいことね」
セレナは、踵を返した。
「でも、あまり夜遅くまで起きていると、体に悪いわよ」
セレナは、図書館を出て行った。
リディアは、その背中を見送った。
足音が、遠ざかる。
完全に聞こえなくなった後、リディアは息を吐いた。
緊張が、解ける。
手が、震えている。
バレるわけにはいかない。
セレナに、リディアの計画を知られてはいけない。
リディアは、ノートを取り出した。
そして、再び開いた。
だが、集中できない。
セレナの疑念の眼差しが、脳裏に焼き付いている。
リディアは、ノートを閉じた。
今日は、ここまでにしよう。
リディアは、本を片付けた。
蝋燭を消す。
図書館は、再び暗闇に包まれた。
リディアは、図書館を出た。
廊下を歩きながら、リディアは心の中で呟いた。
気をつけなければ。
セレナは、気づき始めている。
カイル邸。
リディアは、エリスの部屋にいた。
手には、小さな陶器のカップ。
中には、淡い緑色の液体が入っている。
湯気が、立ち上っている。
リディアは、エリスのベッドに近づいた。
「エリスちゃん、お薬よ」
エリスは、ベッドに座り直した。
「どんな味?」
「少し、苦いかもしれないわ」
リディアは、カップをエリスに渡した。
エリスは、カップを受け取った。
そして、匂いを嗅いだ。
「草の匂いがする」
「ええ。魔力を抑えるハーブティーなの」
エリスは、カップを口に運んだ。
一口、飲む。
顔をしかめた。
「苦い」
「ごめんね。でも、これを飲めば、エリスちゃんは元気になれるわ」
エリスは、頷いた。
そして、カップを傾け、全て飲み干した。
「えらいわ、エリスちゃん」
リディアは、エリスの頭を撫でた。
エリスは、微笑んだ。
「リディア先生のためなら、頑張れるよ」
リディアは、胸が温かくなった。
リディアは、カップを受け取った。
そして、部屋の隅に立っているカイルを見た。
カイルは、無言で立っている。
腕を組み、壁に背中を預けている。
その目は、リディアを見ている。
鋭い。
無表情だが、圧力がある。
リディアは、唇を噛んだ。
カイルは、信じているのだろうか。
それとも、疑っているのだろうか。
リディアは、わからない。
ただ、カイルの視線が、重い。
数日後。
リディアは、再びカイル邸を訪れた。
エリスの部屋に入る。
エリスは、ベッドに横たわっている。
リディアは、エリスの脈を取った。
弱い。
変わらない。
リディアは、眉をひそめた。
エリスの顔を見る。
青白い。
頬は、相変わらずこけている。
効果が、見えない。
リディアは、焦りを感じた。
「エリスちゃん、体の調子はどう?」
エリスは、小さく微笑んだ。
「うん……あんまり、変わらないかな」
リディアは、唇を噛んだ。
まだ、数日だ。
効果が出るには、時間がかかる。
リディアは、それを知っている。
だが——。
リディアは、部屋の隅を見た。
カイルが、立っている。
無言で。
腕を組んで。
リディアを、見つめている。
その目には、何の感情もない。
だが、その無表情が、逆に恐ろしい。
リディアは、カイルに言った。
「カイル様、まだ数日です。効果が出るには、もう少し時間が——」
「わかっている」
カイルは、冷たく言った。
「だが、結果が全てだ」
リディアは、息を呑んだ。
カイルは、リディアに近づいた。
そして、低い声で言った。
「お前が、娘を救えなければ、契約は破棄だ」
リディアは、震えた。
契約破棄。
それは、つまり——死。
リディアは、拳を握った。
「わかっています」
カイルは、リディアを見つめた。
そして、部屋を出て行った。
リディアは、一人、エリスの部屋に残された。
リディアは、窓の外を見た。
庭が、見える。
灰色の、曇り空。
リディアは、心の中で呟いた。
前世の臨床データを、信じる。
この治療法は、必ず効く。
時間がかかるだけだ。
リディアは、自分を奮い立たせた。
焦ってはいけない。
冷静に、治療を続ける。
リディアは、エリスの方を向いた。
エリスは、リディアを見ていた。
「リディア先生」
「何?」
エリスは、微笑んだ。
「私ね、リディア先生のこと、信じてるよ」
リディアは、息を呑んだ。
「エリスちゃん……」
「だって、リディア先生は、優しいもの」
エリスは、小さな手を伸ばした。
リディアは、その手を取った。
「それに、リディア先生は、一生懸命頑張ってくれてるもの」
エリスの目が、優しく輝いた。
「だから、私も頑張るよ。お薬、ちゃんと飲むから」
リディアは、涙が込み上げるのを感じた。
エリスは、こんなに幼いのに。
こんなに苦しいのに。
それでも、リディアを信じてくれている。
リディアを、励ましてくれている。
リディアは、エリスの手を強く握った。
「ありがとう、エリスちゃん」
リディアの声が、震えた。
「私、絶対にエリスちゃんを救うから」
「うん」
エリスは、微笑んだ。
「私も、リディア先生を信じてるから」
リディアは、エリスの頭を撫でた。
そして、心の中で誓った。
絶対に、救う。
どんなことがあっても。
エリスの純粋さに、応えるために。
カイルの信頼を、勝ち取るために。
そして、自分自身の使命を、果たすために。
リディアは、決意を新たにした。
王宮。
リディアは、薬草倉庫へ向かって廊下を歩いていた。
エリスの治療に必要な薬草を、取りに行くためだ。
白い根草。
青い葉。
黄色い花の蜜。
リディアは、リストを確認した。
倉庫の前に着く。
リディアは、鍵を取り出した。
いつも使っている、倉庫の鍵だ。
リディアは、鍵を鍵穴に差し込んだ。
だが——。
入らない。
リディアは、眉をひそめた。
もう一度、試す。
やはり、入らない。
鍵穴が、変わっている。
リディアは、息を呑んだ。
鍵が、変えられている。
何故?
リディアは、周囲を見回した。
誰もいない。
リディアは、倉庫の扉を叩いた。
「すみません! 誰かいませんか!」
返事はない。
リディアは、歯噛みした。
これは——セレナの仕業だ。
リディアは、確信した。
セレナは、リディアを疑い始めている。
そして、妨害を始めた。
リディアは、口を真一文字に閉じた。
時間がない。
エリスの治療に、薬草が必要だ。
リディアは、別の方法を考えた。
薬房に行けば、薬草があるかもしれない。
リディアは、薬房へ向かって走った。
廊下を駆け抜ける。
息が、切れる。
薬房に着いた。
リディアは、扉を開けた。
中には、下級薬師の少女、マリがいた。
「マリ!」
マリは、驚いた顔をした。
「リディア様! どうされたのですか?」
「薬草が必要なの。白い根草と、青い葉と、黄色い花の蜜」
マリは、頷いた。
「少々、お待ちください」
マリは、棚を探し始めた。
リディアは、イライラしながら待った。
時間が、無駄になっている。
カイル邸へ行くのが、遅れる。
マリが、戻ってきた。
「白い根草と青い葉は、ありました。ですが、黄色い花の蜜は……在庫がありません」
リディアは、顔面蒼白になった。
「ない……?」
「はい。昨日、セレナ様が大量に持って行かれまして」
リディアは、呆然と立ち尽くした。
やはり、セレナだ。
セレナは、わざとリディアの必要な薬草を持って行った。
リディアは、唇を噛んだ。
「どこか、他に入手できる場所は?」
マリは、考えた。
「街の薬草商でしたら、あるかもしれません」
「わかったわ。ありがとう、マリ」
リディアは、白い根草と青い葉を受け取った。
そして、薬房を出た。
街へ。
王宮を出て、街へ行かなければならない。
時間が、さらに無駄になる。
リディアは、走った。
王宮の門を出る。
街の薬草商へ。
リディアは、息を切らしながら、店に入った。
「黄色い花の蜜を、ください」
店主は、頷いた。
「ありますよ」
リディアは、安堵した。
店主が、蜜を持ってきた。
リディアは、代金を払った。
そして、店を出た。
時間を、大幅にロスした。
リディアは、王宮へ戻った。
廊下で、アルヴィンとすれ違った。
「アルヴィン様」
リディアは、アルヴィンを呼び止めた。
アルヴィンは、面倒そうに振り返った。
「何だ?」
「薬草倉庫の鍵が、変えられていました」
「鍵?」
「はい。私が持っている鍵では、開かなくなっていました」
アルヴィンは、興味なさそうに言った。
「それは、管理部門に言え」
「ですが、これはおそらくセレナ様が——」
「リディア」
アルヴィンは、冷たく遮った。
「些細なことで、俺を煩わせるな」
「些細なこと……?」
「そうだ。鍵が変わったくらい、大したことではない」
アルヴィンは、そう言い放ち、行ってしまった。
リディアは、その場に立ち尽くした。
孤立。
誰も、リディアの味方をしてくれない。
アルヴィンも、セレナの側だ。
リディアは、一人きりだ。
リディアは、震える声をこらえた。
だが、今は——。
今は、エリスの治療が最優先だ。
リディアは、自分にそう言い聞かせた。
セレナのことは、後で考える。
今は、エリスを救うことだけに集中する。
リディアは、自室へ戻った。
夜。
リディアは、自室の机で、薬を調合していた。
白い根草を、すり潰す。
青い葉を、煎じる。
黄色い花の蜜を、混ぜる。
リディアの手が、震えている。
疲労が、全身を包んでいる。
今日は、走り回った。
時間を、ロスした。
セレナに、妨害された。
だが、リディアは諦めなかった。
エリスのために。
リディアは、薬を調合し続けた。
蝋燭の炎が、揺れている。
リディアの影が、壁に映っている。
リディアは、目をこすった。
眠い。
だが、まだ終わっていない。
リディアは、薬を瓶に詰めた。
明日、カイル邸へ持って行く。
リディアは、瓶を机に置いた。
そして、椅子に深く座り込んだ。
体が、重い。
目が、霞む。
リディアは、このまま倒れそうだった。
だが——。
リディアは、立ち上がった。
まだ、やることがある。
セレナの秘薬についての、調査。
国王の症状についての、記録。
リディアは、ノートを開いた。
そして、再び書き始めた。
蝋燭の炎が、小さくなっている。
リディアは、新しい蝋燭を灯した。
夜は、まだ長い。
リディアは、孤独だった。
だが、止まらなかった。
戦い続けた。