氷の法医学者と、秘密の共犯になりました
第3話
病院の廊下は、監察医務院とは違う匂いがした。
消毒薬。
人の体温。
足早に通り過ぎる看護師の靴音。
どこかで小さく鳴る電子音。
死者のために整えられた白ではなく、生きている人をつなぎ止めるための白だった。
私はその白さの中を、沢渡先生の背中を追って走った。
「藤堂さんのフルネームは確認できていますか」
「藤堂誠司、五十八歳です。白峰メディカルケアの患者で、今朝訪問予定だったと橘さんが」
「既往歴」
「まだ詳細は取れていません。受付の話では、糖尿病と不眠の相談歴があるそうです」
「家族構成」
「妻と二人暮らし。救急要請は奥さんからです」
答えながら、私は先生の横顔を見た。
冷静だった。
さっき、白峰メディカルケアを出るときから、先生は一度も足を緩めていない。
けれど、私は知っている。
この先に血があったら。
それが、生きている人間の血だったら。
「沢渡先生」
呼ぶと、彼は前を向いたまま答えた。
「なんだ」
「無理なら、私だけで確認します」
「不要だ」
「でも」
「今井刑事」
冷たい声だった。
その声に、私は言葉を止めた。
先生は廊下の角で足を止め、こちらを見た。
「俺は、死体しか見られない飾りではない」
「そんなこと言ってません」
「君の顔が言っている」
私は口を閉じた。
また顔に出ていたらしい。
嫌になるくらい、先生はそういうところを見逃さない。
「私はただ……」
言いかけて、続きが出なかった。
心配です。
そう言えば、何かが変わってしまう気がした。
私たちは、取引でつながっている。
私は先生の秘密を知り、それを使って協力を引き出した。
その事実は、まだ消えていない。
心配する資格があるのか。
守りたいなんて思っていいのか。
迷った一瞬を、先生は見逃さなかった。
「今は事件を見ろ」
静かな声だった。
「俺を見るな」
胸に、小さく刺さった。
その通りだ。
今は、救急搬送された人がいる。
三件の変死と同じ線上にいるかもしれない人が、生きて病院に運ばれている。
優先順位を間違えてはいけない。
でも。
私は先生を見るなと言われて、ますます見てしまった。
消毒薬。
人の体温。
足早に通り過ぎる看護師の靴音。
どこかで小さく鳴る電子音。
死者のために整えられた白ではなく、生きている人をつなぎ止めるための白だった。
私はその白さの中を、沢渡先生の背中を追って走った。
「藤堂さんのフルネームは確認できていますか」
「藤堂誠司、五十八歳です。白峰メディカルケアの患者で、今朝訪問予定だったと橘さんが」
「既往歴」
「まだ詳細は取れていません。受付の話では、糖尿病と不眠の相談歴があるそうです」
「家族構成」
「妻と二人暮らし。救急要請は奥さんからです」
答えながら、私は先生の横顔を見た。
冷静だった。
さっき、白峰メディカルケアを出るときから、先生は一度も足を緩めていない。
けれど、私は知っている。
この先に血があったら。
それが、生きている人間の血だったら。
「沢渡先生」
呼ぶと、彼は前を向いたまま答えた。
「なんだ」
「無理なら、私だけで確認します」
「不要だ」
「でも」
「今井刑事」
冷たい声だった。
その声に、私は言葉を止めた。
先生は廊下の角で足を止め、こちらを見た。
「俺は、死体しか見られない飾りではない」
「そんなこと言ってません」
「君の顔が言っている」
私は口を閉じた。
また顔に出ていたらしい。
嫌になるくらい、先生はそういうところを見逃さない。
「私はただ……」
言いかけて、続きが出なかった。
心配です。
そう言えば、何かが変わってしまう気がした。
私たちは、取引でつながっている。
私は先生の秘密を知り、それを使って協力を引き出した。
その事実は、まだ消えていない。
心配する資格があるのか。
守りたいなんて思っていいのか。
迷った一瞬を、先生は見逃さなかった。
「今は事件を見ろ」
静かな声だった。
「俺を見るな」
胸に、小さく刺さった。
その通りだ。
今は、救急搬送された人がいる。
三件の変死と同じ線上にいるかもしれない人が、生きて病院に運ばれている。
優先順位を間違えてはいけない。
でも。
私は先生を見るなと言われて、ますます見てしまった。