【連載版】愛されない当て馬妻に転生したので、読者として推しの物語を堪能することにした。
3冊目、愛されない当て馬妻と良作の予感。
 これは、夢だ。
 払っても払っても、どこまでも追いかけてくる黒い夢。
 実体のないそれは、何年経っても色褪せることなくクラヴィルを襲いにかかる。

『ねぇ、いいこと教えてあげましょうか?』

 そう言ったのは誰だったのか? もはや覚えていない。

『ふふ、本能には抗えませんのよ』

 咽せ返るような甘い匂いと吐き気がする位耳障りな声。
 手を替え品を替え、姿を変えて、何度も何度も繰り返される、悪夢。

『理想の女を演じてきたではありませんか?』

 信じるたびに裏切られ。

『結果が欲しいのです』

 まるで物ように軽く扱われ。

『どうか私を選んで』

 と、綺麗な笑顔で獰猛な本性を隠した醜い悪魔が、幾度となく牙を剥く。
 弧を描く赤い唇も、獲物を狩るようなうっとりとした目つきも。
 全部が全部、怖かった。
 クラヴィルは自分のことを捉え絡みつくために伸びて来た白い腕を力の限り払い退ける。
 捕まりたくない。魔物なら、己の剣で断ち切れるのに、ヒトの皮を被ったそれらに対して自分はあまりに無力で。

『クラヴィル様』

 呼ぶな、とクラヴィルは耳を塞ぐ。
 美しい、と賞賛される綺麗な仮面をかぶっていても、一皮剥いたその中身は例外なく強欲で、醜悪で。
 手段を選ばないその悪魔達との悪夢は、今も自分の心を蝕んでいるーー。

「ーーま。……っさま! 旦那さまってば!!」

 シャーッと勢いよくカーテンが開けられる音と同時に部屋に注ぎ込む眩いばかりの陽の光。

「もう! いくら休みの日だからといって、いつまで寝てらっしゃるつもりですか?」

 怠惰が過ぎると脳みそ腐りますよ!? といういつも通りの失礼な物言い。
 それら全てがクラヴィルの中から悪夢を追い出して、急速に彼を覚醒させる。

「……ステイシー。ここは俺の部屋だ」

 何故いる、と不機嫌そうな低音ボイスに、

「あなたの部屋だから、私以外に旦那さまを起こせる人がいないのではないですか」

 当然、とばかり返ってくるのは呆れを滲ませた聞き慣れた声。
 ステイシーの主張は正当で、使用人に立ち入り禁止を命じてしまえばこの部屋に立ち入れる人間は彼女しかいない。
 そしてこの屋敷の女主人としての権限を与えたのはクラヴィル自身なのだが、普段離れで生活しているステイシーが訪ねて来ることなど皆無だったのですっかり忘れていた。

「本日は私とお出かけするお約束をしていたではありませんか? いい加減起きてくださいませ」

 約束、と言われ昨日の出来事を思い出す。
 そう、昨夜確かにステイシーとそんな約束をした。

「思い出していただけたようで何よりです。そろそろご準備を」

 そう促すステイシー。

「ああ、分かっている」

 だが、心ここにあらずといった感じでそう言ったクラヴィルは、ぼんやりとどこかに視線を彷徨わせる。

「やはり本日はお休みになられては?」

「……いや……行く」

 耳に響くのはステイシーの呆れ声。
 それに反応したクラヴィルが、ステイシーの輪郭を辿ったところで、彼女の手が赤く腫れていることに気がついた。
 先程の悪夢を思い出し、クラヴィルから血の気が引く。
 無我夢中に払い退けた手。
 夢と現実が混ざって濁る。

「ステイシー、すまな」

「ご許可もなく触れたこと、深くお詫び申し上げます」

 クラヴィルの謝罪を遮って、ステイシーは自身の手を撫でる。
 力任せに振り払われのだ。赤くなったそこは痛むだろうに、ステイシーはクラヴィルを責めることはなく、ご容赦くださいと微笑む。
 口を開こうとしたクラヴィルに対し、

「私としたことが、うっかりしておりました。次からは顔面に水をぶっかけ続けるか蒸しタオルを被せることにいたしますね!」

 にこにこにこにこと笑顔で押し切るステイシー。

「……ステイシー。それは死ぬ。普通に死ぬから」

「まぁ、この国で最強と謳われる騎士さまがそのようなご謙遜を」

 わざとらしく大袈裟に言ったステイシーに、

「騎士は超人じゃねぇんだよ!」

 思わずツッコむクラヴィル。全く、彼女の中で騎士はどんな存在なのかとぶつぶつ文句を言うクラヴィルに、

「ふふ、大きな声を出さずとも聞こえておりますよ。ところで、お寝坊さんな旦那さまに構っておりましたら、私お腹が空きました。なので、先に朝食いただきますね。湯浴みの準備を伝えておきますので、どうぞごゆっくり」

 ステイシーはそう言い残して部屋を後にした。
 相変わらずのマイペース。

「全く」

 と悪態をつき頭をガシガシとかいたクラヴィルだったが、ベッドから起き上がる頃には嫌な汗は引いていた。
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