令嬢から成り下がったメイドの分際で、侯爵様と目が合ってしまって

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 舞踏会はまさにたけなわで、会場内は正気を疑うほどの喧騒と熱気に包まれていた。
 人手が足りないのか、あるいは意図的に減らされたのか。
 私が給仕として立ち働いているのは、王都にほど近い侯爵家の壮麗な城――今はその「侯爵邸」の広間が、煌びやかな光に彩られた戦場と化している。

 国中の名士や貴族、王族までもが、豪奢なドレスや正装に身を包んで優雅にステップを踏んでいる。
 その華やかな輪の間を縫うようにして、私はシャンパングラスを載せた銀トレイを運び、空いた皿を片付けて回る。

 すでに二時間以上、一歩も足を止めることさえ許されない。

 地味なメイド服に身を包み、ただの風景の一部として動いているはずの私に、時折、冷ややかな視線が突き刺さる。
 かつて、私も彼らと同じ側にいた。
 この広間で、同じように着飾り、微笑みを振りまいていた時期があったのだ。

「あの子よ。ルミナス家の令嬢だった……」
「正確には、『元』令嬢、でしょう?」

 耳をかすめるひそひそ話に、私は思わず唇を噛みしめる。
 湧き上がる感情を押し殺し、ただ目の前の仕事に集中することだけを考える。

 それでも視線はやまない。
 ルミナス家が没落し、平民にまで転落した私が公の場に姿を現すのは、これが初めてだったからだ。

 屈辱を感じるよりも先に、ただひたすらに疲弊していた。
 込み上げる涙を堪えるために、あえて肉体を酷使し、その疲労感で心の痛みを相殺しようと必死だった。

 悲しくなどない。
 そう自分に言い聞かせても、体が勝手に震えそうになるから、さらに動きの強度を上げる。

「あら、これはこれは」

 不意に、揶揄するような声が飛んできた。
 新しいシャンパンを並べ、テーブルを整えようとした私の元へ、四人組の令嬢たちが歩み寄ってくる。
 声に引かれるように顔を上げると、そこには見慣れた顔があった。

「……イザベラ」

 懐かしさから、その名を口にした瞬間だった。
 視界が激しく火花を散らし、一瞬だけ目の前が暗転する。
 遅れてやってきたのは、頬を焼くような熱い衝撃。
 強引に横を向かされた首の痛みに、ようやく自分がビンタを食らったのだと理解した。
 手に持っていたトレイが指先から滑り落ち、大理石のフロアに派手な音を立ててシャンパングラスが砕け散る。
 静寂が広がり、周囲の視線が一斉にこちらへと集まった。
 衝撃に耐えきれず、私はその場にへたり込んでしまう。

「平民の下働きの分際で、貴族たる私の名を気安く呼ぶなんて」

 見下ろすイザベラの声は、冷酷な怒りに満ちていた。

「無礼千万だわ。身の程をわきまえなさい。目をつぶることさえ許されない卑しい身分でありながら、名前を呼ぶなど、万死に値する無作法ですわよ」

 かつての友人に対して、私は謝罪の言葉を捻り出す。
 平民が貴族を愛称や下の名で呼ぶことは、この国では法に触れかねない失態だ。染み付いたかつての習慣が、今の私を苦しめる。
 逃げ出したくなる心を必死に繋ぎ止め、私は震える膝を立てて立ち上がった。

「も、申し訳ありません、クレイソンお嬢様。大変失礼いたしました。どうか、お許しくださいませ……」

 イザベラはなおも憤った様子で手を振り上げたが、連れの令嬢たちが彼女を宥めるように引き止めた。

「今回は見逃してあげるわ。でも、次はなくてよ。自分の立場を、その汚れた体に刻んでおくことね」
「……ありがとうございます。申し訳ありませんでした」

 私は何度も深く頭を下げ、その場を去っていく彼女たちの背中を見送った。
 涙を堪えるために、何度も何度もお辞儀を繰り返す。

 割れたガラスを片付けるため、同僚のメイドたちが雑巾を手に駆け寄ってきた。そのうちの一人が、私に静かな怒りをぶつける。

「令嬢を名前で呼ぶなんて、あんた正気なの?」
「ごめんなさい……本当に、ごめんなさい……」

 周りにまで迷惑をかけた申し訳なさに、私はただ謝り続けるしかなかった。

「あんたはもう、裏の厨房に引っ込んでなさい。休めって言ってるんじゃないわよ。その汚れた制服じゃ表には出られないから、そこで皿洗いでもしてなさいってこと」

 突き放すような言葉だったが、今の私にはそれが救いだった。
 自分のメイド服を見下ろすと、飛散したシャンパンで無惨に汚れている。

 早くここから消えよう。人々の視線が届かない場所へ。
 私は表情を固く強張らせ、逃げるように裏方へと歩き出した。

 伏せたままで歩くと、誰かにぶつかって更なる騒ぎを起こすかもしれない。それだけは避けなければならなかった。
 私は辛うじて重い頭を上げ、前を見据える。

 その時、ふと視線がぶつかった。
 広いダンスホールの端から端ほども離れた距離だったが、その瞳とぴたりと目が合ってしまったのだ。
 心臓が跳ね上がり、私は慌てて視線を逸らす。
 また何か過ちを犯したのではないか。
 メイド長にこれ以上叱責されたら、今度こそ居場所がなくなる。

 混乱と恐怖に突き動かされるように、足早にこの煌びやかな空間から姿を消そうとした、その時。

「君」

 背後から、私を呼び止める声が響いた。
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