塩対応だった旦那様が記憶喪失になったら、執着溺愛して離してくれなくなりました

偽りの甘い夜

 薄暗い部屋の中、ベッドの上でラシェルは少しでも快楽を紛らわそうと強くシーツを握りしめていた。一糸纏わぬ身体はまるで酒を飲んだ時のように熱く、どこに触れられてもびくびくと震えてしまうくらい敏感になっている。

 小柄なラシェルを押し潰さないよう腕で身体を支えながら覆いかぶさる黒髪の男は、夫のレナルドだ。彼はラシェルの身体のあちこちに口づけを落としては、快楽を与えてくる。

 首筋にかかった吐息に肩を弾ませると、小さな笑い声と共に今度は頬に口づけられた。

「ラシェル、愛してる」
「……っ」

 至近距離で告げられた言葉に、ラシェルの鼓動が大きく跳ねた。新緑を思わせる緑の瞳を甘く細めて見下ろすその顔は薄暗闇の中でも整っていて、思わずじっと見惚れてしまう。しなやかな筋肉が美しい彼の身体は微かに汗ばんでいて、それがとても艶っぽい。

 結婚して一か月ほど経つが、レナルドに抱かれるのは今夜が二回目だ。いわゆる政略結婚であった二人の間には愛などなく、初夜だって淡々とすませた。なのに、今夜は何もかもが前回と違いすぎて心がついていかない。

 甘い声で名前を呼ばれるのも、愛おしげな表情を向けられるのも、そして愛を囁かれたことだって、あの夜はなかった。
 こんなにも情熱的な人だったなんて、信じられない。

「レナルド、様」

 思わず名前を呼ぶと、彼は嬉しそうに頰を緩めた。そして返事をするように胸元へ口づけられる。

 ちくりと微かな痛みを感じ、また新たな印をつけられたのが分かった。さりげなく視線を向ければ、白い肌のあちこちに赤い痕が散っている。こんな執着の証をつけられるはずがないのに。
 
――まるで、本当に愛されているみたい。そんなはず、ないのに……。

 心の中でそうつぶやくと、胸の奥がずきんと痛む。

 騎士であるレナルドは、任務の最中の事故でここ数年の記憶を失ってしまった。結婚の理由を忘れてしまった彼は、妻を愛していたと思い込んでいるのだ。本当は、そんなこと全くなかったのに。

 ラシェルは昔からレナルドのことが好きだったから、たとえ愛されなくてもそばにいたいと思い、この結婚を受け入れた。

 そして結婚生活は予想していた通りに、愛のない淡々とした日々だった。ずっとそれが続いていくと思っていたのに、どうしてこんなことになっているのだろう。

 レナルドから欲しかった愛の言葉を向けられても、それが真実でないことを知っているから切なさは募るばかり。

 思わず視線を逸らしたら、レナルドの手が頬に添えられて、再度彼を見るよう促された。

「ラシェル、よそ見しないで。俺だけを見ていて」
「……っ」

 緑の瞳が、愛おしそうにラシェルを見つめている。これが本当のことだったなら、どれほど幸せだろう。

 疼く胸を抑えて、ラシェルは懸命に口角を上げた。

「私には……レナルド様だけ」

 震える声で囁くと、彼は満足げにうなずいた。そして肌に唇を落とされ、また新たに痕を刻まれる。

「うん。ラシェルは俺のものだ。ずっと……愛してる。俺の、大切な奥さん」

 吐息まじりに告げられた言葉は嬉しいのに、胸が締めつけられるように苦しい。

 これ以上余計なことは考えたくないと強く抱きつくと、同じように抱きしめ返される。そのぬくもりを感じながら、ラシェルは強く目を閉じた。
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