【完結】悪気がないかどうか、それを決めるのは私です

23.温室での出会い

 騎士団がフェルディア地方へと出立してから、一週間が過ぎていた。


 エドモンド様は、ご無事でいらっしゃるのかしら。

 日々、伝令や書状によって情報は届く。でも、争いはいまだ終息には至っていないらしい。

 幸いにも、これまでのところ死者は出ていないと聞いている。けれど、それだけで不安が消えるはずもなく、落ち着かない思いは日ごとに募るばかりだった。


 穏やかで優しい、あの笑顔が、脳裏に浮かぶ。思い出すたび、どうしようもない苦しさと心細さが湧き上がる。


 館内は静まり返り、人影もほとんどない。

 このまま部屋に留まっていても、薬作りに気合いが入らないし、よくない想像ばかりが頭を支配し、なかなか手が進まない。

 薬草の気配に包まれれば、少しは心を鎮められるかもしれないわ。

 気分を変えようと、私は足先の向きを変え、温室へと向かうことにした。温室の扉を開けた瞬間、やわらかな光が一面に広がった。ガラス越しの光を受けて、薬草が瑞々しい葉を伸ばしている。

 よかったわ、ちゃんと育っている。

 この土地ではなかなか手に入らない種類も多く、最初は不安もあった。けれど、どの薬草も状態がよく、生い茂っている。


 これは、管理人の方のおかげね。

 エドモンド様が雇ってくださった方は、日々欠かさず手入れをし、細やかなところまで目を配ってくれている。真面目で誠実な働きぶりに、感謝だわ。


 私は葉の間をゆっくりと歩きながら、その静けさに身を委ねた。



「あら? 人がいるわね。あなた、ここの担当の人?」

 不意に背後から声をかけられ、思わずビクッとなってしまう。

 振り返ると、王妃様付きの侍女の装いの方が目に入る。けれど、見覚えはないわ。



 ――どなたなのかしら。

「あの……どちら様でしょうか」

 戸惑いを隠しつつ問いかけると、相手は一瞬考えるようにしてから、穏やかに微笑んだ。



「ええと……侍女長かしら?」

 侍女長――かしら?


 確か、王妃様付きの侍女は伯爵以上の家柄から選ばれると聞いている。ならば、その頂点に立つ侍女長ともなれば、地位も高いに決まっている。この落ち着きと気品、納得だわ。『かしら』が気になるけど。

 立ち居振る舞いの一つひとつに、優雅さが漂っている。



「一応、こちらの責任者を務めております。ですが……侍女長様が、どうして温室に?」

 そう尋ねると、侍女長様はどこか楽しげに目を細めた。


「ええ、新しく温室ができたと聞いてね。こっそり見に来たの。私、こう見えても薬草にはそれなりに詳しいのよ。もっとも、興味があるのは美容に役立つ薬草なのだけど。ふふ」

 そう言いながら、彼女は近くの薬草にそっと手を伸ばした。

 葉を傷つけないように指先で撫で、香りを確かめる。絵になる人だわ。立ち居振る舞いには、やはり隠しきれない気品がある。



「これは何? それから、あちらは?」

 侍女長様は、興味を隠さず、次々と問いかけてくる。説明を楽しげに聞いてくれるので、こちらもつい嬉しくなってしまう。

 気づけば、薬草の効用だけでなく、育てる際の注意点や手入れの工夫まで、いつも以上に熱心に説明していた。


「ああ、本当に、楽しい時間だったわ」

 一通り見て回ったあと、侍女長様はそう言って、名残惜しそうに温室を見渡した。



「でも、この温室。日当たりがよすぎるから、そろそろ失礼するわ。あまり日に焼けると、怒られてしまうの」

 冗談めかした口調でそう言い、肩口に差し込む光を気にする仕草を見せる。

 ――侍女長様ともなると、日差し一つにも気を配らなければならないのね。



「あら? そういえば、あなた、とても肌が白いわね。見たところ薬師かと思ったのだけれど……」

 唐突な指摘に、私は一瞬だけ戸惑いながらも、素直にうなずいた。



「ええ、そうです。薬師です」

「こんなに日当たりのいい場所で世話をしているのに、ほとんど日に焼けていないのね」

「はい。日焼け止めを塗っておりますので」

「……日焼け止め?」


 侍女長様が小さく首を傾げるのを見て、私は微笑みながら懐から小さな瓶を取り出し、そっと差し出した。


「はい、こちらです。一応、貴族令嬢ですので……父が、あまり日に焼けるのを嫌がるといいますか。少しでも焼けると、本気で心配してしまうものですから。外に出るときには、日差しを防ぐ薬を塗るようにしております」

「まあ……そんなものがあるの? 知らなかったわ」

 侍女長様は、瓶と私の顔を見比べながら、驚きの表情を浮かべていた。


「そうだと思います。売ってはおりません。私が作ったものですから」


 この日焼け止めは、まだ薬師として名乗る以前、何度も試作と改良を重ねて完成させたものだ。失敗も多かったが、その分だけ手応えもある。私にとっては、積み重ねてきた努力の結晶と言っていい。


「まあ、そうなの?」

 侍女長様は目を輝かせ、感心したように小さく息をのんだ。


「いいわね……少し、塗ってみてもいいかしら」

「よろしければ、たくさん作ってありますので、そのまま差し上げますわ。私の使いかけでも構わなければ」


 日常的に使っている、私にとっては、ごく当たり前のものだ。けれど、興味深そうに手に取り、価値を見出してくれた。そのことが、思っていた以上に嬉しい。


「いいの? 嬉しいわ。それにしても、あなた、髪も肌もとてもきれいね。もしかして、ほかにも何か作っているものがあるのかしら?」


 侍女長様ともなると観察眼をお持ちなのね。


「美容に関するものは、作ったらまず自分で試すようにしています。肌にはローズの化粧水を。髪にはヘアオイルを使っていますし、最近は洗髪料も改良したものを使っています」

 その瞬間、侍女長様の目が大きく見開かれた。


「……あなた、明日もここに来る?」

「はい。最近は、ほぼ毎日こちらにおります」

「それなら。明日、あなたが作ったものを見せてほしいの。できれば……いただけたら、とても嬉しいわ。もちろん、対価はきちんとお支払いするから。ねえ、どうかしら?」


 侍女長様は一歩身を乗り出し、声を少しだけ潜めた。その表情は、無邪気で期待に満ちている。思わず、こちらが微笑んでしまうほどだった。



「もちろんです。明日、お持ちいたしますね」

 侍女長様はぱっと顔をほころばせた。

 突然の申し出に驚きはしたけれど、これほどまでに自分の作ったものに関心を寄せてもらえるのなら、応えない理由はない。むしろ、その期待が嬉しかった。

 ――エドモンド様が以前、言っていたのは、こういうことだったのかしら。


 思い出して、ひとり小さく笑った。


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