【完結】悪気がないかどうか、それを決めるのは私です

26.自分とは違う考え方の人

 
 
 今しがた調合を終えたばかりの、黒い液体を満たしたガラス瓶が、鈍く輝いている。中身は静かに澱み、まるで私の心を映しているかのようだった。

「ねえ、フローリア。これを医療室に持っていけばいいのよね」

 背後から、ソフィアの明るい声がかかる。


「あ、うん」

 短く答えながら、私は瓶から視線を外した。それ以上の言葉が、どうしても続かなかった。



 結局、団長と室長が話し合った末、ソフィアは“お試し”として、二週間だけ騎士団で働くことになった。なぜそうなったのか、私には分からない。ただ、決定事項として静かに告げられただけだった。



「アドバン様! 新しいお薬、持ってきました!!」

 医療室の扉を勢いよく開き、ソフィアが言う。

 作業に集中していたアドバン様が手を止め、顔を上げる。


「ああ、ありがとう」

 穏やかな声とともに、彼はにこやかな笑みを浮かべた。

 私は一歩遅れて医療室に入り、その様子を黙って見つめていた。黒いガラス瓶を握る指先に、わずかに力がこもる。



「おお、若い薬師が二人もいると、この医療室もぱっと明るくなるな」

 朗らかな声に、私の心は暗いまま。

 ソフィアはその言葉を受けて、ほんのり頬を染め、照れくさそうに微笑んだ。私に足りないところはこういう所だろう。

 
 新しい環境に順応していく彼女の姿が、なぜか落ち着かない。




「フローリア、今日は魔獣除けの薬を作るって言ってたわよね。ここは私に任せて。もう取りかかってもいいわよ」

 任せて、というのは、本当に善意なのかしら。そんなふうに思ってしまう自分のことも嫌になる。


「大丈夫よ。時間には余裕があるから、私も手伝うわ」

 薬の効果を確認し、回復した人たちの表情を見るのが好きだから、ここの手伝いはとても楽しみにしている。だからこそ、ここでの仕事を、誰かに譲りたくはなかった。

 けれど、やっぱりソフィアは、引かなかった。

 作業の手を止めることなく、変わらぬ調子で瓶の配置を整えながら、私のことを見ずに言った。



「やだ、遠慮しないで。二人で役割分担した方が、絶対に効率がいいわ。それに、この一週間で騎士様たちとも、だいぶ仲良くなってきたし。心配はいらないわよ」

 この場所がもう彼女の居場所、私なんかここに居なくてもいいかのようにそう聞こえた。

 心配なんて、していないわ。

 嫉妬にも似た感情がわき上がる。でも、そんな感情を自分が抱くはずがないと、否定したくなる。




「……わかった。じゃあ、もう行くね」

 それ以上話せば、余計な感情がこぼれてしまいそうだった。


 作業室に戻り、薬づくりに集中しようとしたが、いつもと同じ手順のはずなのに、手応えがどこかない。

 香りが立たない。粉の具合も、しっくりこない。

 思考が、何度も医療室のほうへ引き戻される。

 はぁ、このままではだめね。

 

 少しだけ、気分を変えよう。そう思い、道具を片付け、温室の方へ向かった。

   ◇



 温室に足を踏み入れた瞬間、澄んだ鈴の音のような声が、響いた。


「あら、フローリア。今日は来ないって言っていなかったかしら?」

 声のする方を見ると、花棚の向こうから、侍女長様が優雅に立ち上がるところだった。葉の隙間から、その穏やかな微笑みが覗く。

 不思議と、モヤモヤしていた気持ちが、少しだけ和らいだ。不思議な人だわ。


 何度か、薬や試作品をお渡しし、その感想を聞くうちに、私はこの方に親しみを覚えるようになっていた。

 昔は、私のお姉様たちが話す美容の話題に、ほとんど興味を持てず、聞き流してばかりだった。それなのに、侍女長様が語る他国の美容事情や調合の工夫は、なぜか驚くほど新鮮に耳に残り、私の知的好奇心と制作意欲を刺激した。


 私が欲しいと零した珍しい薬剤や素材も

「そんなの、余裕よ」


そう言って笑いながら、あっさりと取り寄せてくださる。その気前のよさと行動力に、何度も助けられてきた。



 やがて、私は少しずつ自分のことを話すようになった。元は宮廷薬師だったこと。美容製品の開発に関わっていたこと。そして、新たに美容部門が立ち上がる際、あまりにも簡単に職を失ったこと――それも、隠しきれずに口にしてしまった。

 かつては「人の命を支える薬を作りたい」という思いだけを正義のように抱いていたこと。

 けれど、今は、美容もまた、誰かの自信や明日を支えるものだと気づき、今は薬師として、分野にこだわらず努力を続けていることも。

 侍女長様は、そんな私の話を、いつも穏やかな笑みで聞いてくださった。けれど、ほんの時折。
彼女の口元や目元に、わずかな引きつりが走っていたように思えた。



「侍女長様、いらしていたのですね。ええ……ちょっと、気分転換に」

 言い訳めいた言葉になってしまい、私は視線を逸らした。



「薬づくりで、行き詰まったのかしら? 元気もないわね。いつものお礼に、何でも聞くわよ。力になれるかは……まあ、話次第だけど」

 くすりと微笑みながらの言葉。押しつけがましさのない、その言葉がありがたかった。

 
「……自分とは、まったく違う考え方の人と出会った時、どうすれば、それを受け入れることができるのでしょうか」


 答えを求めているわけではなかった。ただ聞いてほしかった。


「それは受け入れなきゃ、いけないの?」

 侍女長様は、少しだけ首を傾げた。その一言は、私の心を静かに揺らした。

 思いもよらなかった問い返しに、私は言葉を失う。
 


「受け入れたくは、ないのです。でも、自分の考えを言い続けることが、まるで悪いことをしているみたいに感じてきて……。その人と話していると、自分がとても……みじめな人間に思えてしまうのです」


 感情をそのまま並べただけの、拙い言い方になってしまった。侍女長様はすぐには答えず、少しだけ視線を落として考え込んでいた。

 温室に、短い沈黙が落ちる。

 やがて彼女は、静かに口を開いた。



「そうね。事実は一つだけど、真実は人の数だけあるのよ。相手には、相手なりの生きてきたストーリーがあるわ。だから、考え方を全部否定してしまうのは、確かによくないと思う」

 
 そうよね。私は、ソフィアが私の言い分を聞いてくれない、と感じている。でもきっと、ソフィアの側から見れば、私こそが彼女の話を受け入れない人間に映っているのだろう。


 

「私は……その人の提案を、断っているのです。それなのに、『遠慮しないで』『気にしないで』と言われて……結局、その人の言い分どおりに話が進んでしまうのです」

 気づけば、声が少しだけ震えていた。思い出すのは、何度も飲み込んだ言葉と、作った笑顔のに隠した本音。



「まあ、少し違うかもしれないけれど。貴族がね、言い方に含みを持たせて、相手を思いどおりに動かそうとするなんて、よくある話よ。私も、やるわ」


 ――そういうもの、なの?
 
 自分が“操作されている”など、これまで考えたこともなかった。ソフィアの場合は、計算しているというより、そう信じて疑っていないようにも思える。

 侍女長様は、私の沈黙を咎めることなく、くすりと小さく笑って続けた。



「だからこそ、私は発言にはとても気をつけているの。立場上ね……言葉ひとつで、他の人の命に関わることもあるから」

 命に、関わる?

 一瞬、言葉の意味を理解できなかった。遅れて、背筋に冷たいものが走る。


 怖いわ。王宮の侍女の世界は想像以上に厳しいのね。


 

「フローリアは……受け入れたくないのでしょう?」

 侍女長様は、私の目をまっすぐ見つめて、静かに問いかけた。
 
「だったら。受け入れなくていいわ。思い切って、その人に嫌われちゃえばいいのよ。みんなと仲良く、なんて夢物語だわ」

 穏やかな声なのに、言葉は容赦がない。



「当事者じゃない私が、客観的に見て判断するなら――その人は、あなたに必要のない人間よ。共存なんて、できない」


 嫌われてもいい? え? いいの? そんなこと考えたことはなかった。

 でも、そう言われると好かれたい、とは思っていないことに気付いた。



「あなたも、貴族令嬢の端くれでしょう。自分の考えを通すために、したたかに生きなさい。女の武器を使って、利用できるものは利用する。その心意気で、戦ってみなさい」

 その言葉は、叱責でも嘲りでもなかった。

 

「返事は?」

「は、はい……!」

 私は背筋を伸ばし、力を込めて答えた。



「頑張ります!」


 ――とはいえ。

 『したたかに、女の武器を使って、利用できるものは利用する』

 うぅ……。果たして、本当に私にそんなことができるのだろうか。


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