愛に目覚めた冷徹孤高の心臓外科医は、政略結婚妻を離さない ――旦那様、この結婚は契約ですよね?

9 愛のある『夫婦』

 窓の外では、満開になった桜の花弁がひらひらと舞い落ちている。
 それを見下ろせる広縁の一対の腰掛けに、私は瑞樹さんと身を預けていた。

 彼は糊のきいた浴衣の着流しに、深い紺の羽織をさらりと引っかけている。月明かりに照らされた夜桜の白さが、瑞樹さんの着る紺の羽織に淡く映り込んでいた。

 間にある小机には、酒杯が用意されている。瑞樹さんはそれを時折傾けながら、穏やかな顔で桜を眺めている。
 ここは、京都にある老舗旅館の一室。私たちは今、初めての夫婦旅行に来ているのだ。


 あれから、季節はふたつ巡った。

 鴎川家はあのパーティーの後、程なくして横領が明るみに出て、警察の捜査が入った。
 院長、副院長は退職を余儀なくされ、瑞樹さんは私の父とともに、その後始末に奔走する日々を送っていた。光前寺総合病院は、抜本的な組織改革を迫られたのだ。

 瑞樹さんは外科医としての執刀に加え、それまでの体制を根底から見直し、病院の再生に全力を注いでいた。
 そんなふうに多忙を極めながらも、彼は私を不安にさせるような顔は一度も見せなかった。

『万智の顔を見られることが、一番の癒しなんだ』

 そう言って、ウェルネススペースで寄り添う時間を大切にしてくれた。

 私もそんな旦那様を支えようと、彼のためにできることをひとつひとつこなす日々を送っていた。

 だが、以前とは違う。彼のために動くたび、自然と心が弾んでしまうのだ。あんなに義務感でこなしていたはずの毎日が、こんなに愛おしく感じてしまうなんて、不思議だ。

 約半年をかけてようやく事態が落ち着き、瑞樹さんはこの春から院長に就任することが決まった。その直前である今、彼はこうして、私を旅行に連れ出してくれたのだ。

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