名前を呼ぶまで、春は来ない
第19話 呼ばれた名前
写真展最終日、月曜日。
本来なら学校があるはずだったが、代休で休みだった。朝からギャラリーへ行くことにした。
最終日は、午後三時で閉館する。
この三日間で、私の写真を見てくれた人たち。その全てに、感謝の気持ちでいっぱいだった。
午前十時、ギャラリーに着いた。
最終日だからか、来場者は少なかった。平日の午前中では、仕方がない。
受付で挨拶をして、会場に入る。
自分の写真の前に立つと、また違った感情が湧いてきた。
この三日間で、私は変わった。
母と話し、朝倉くんと再会し、美咲に謝ることができた。
全てが、この写真展から始まった。
写真を見つめながら、ふと気づいた。
この写真たちは、過去の私が撮ったものだ。
孤独で、寂しくて、誰とも関われなかった私が。
でも、今の私は──。
少しだけ、変わり始めている。
午後一時頃、朝倉くんが来た。
「桜井さん、いた」
「来てくれたんだ」
「最終日だから。最後まで見届けたくて」
彼は、いつもの優しい笑顔だった。
二人で、会場を回った。
私の写真だけでなく、他の出展者の写真も見て回る。
風景、人物、抽象、動物──。
色々な写真があった。
どれも、撮った人の『声』が聞こえてくる気がした。
「桜井さん」
朝倉くんが、ある写真の前で立ち止まった。
「この写真、いいね」
そこには、家族写真があった。
笑顔の両親と、二人の子供。
幸せそうな写真だった。
「こういう写真、いいなって思う」
朝倉くんが、小さく呟いた。
「兄が生きてたら、うちもこんな写真撮れたのかな」
彼の声は、少し寂しそうだった。
「朝倉くん」
私は、彼の手を取った。
朝倉くんが、驚いたような顔で私を見た。
「桜井さん?」
「……ありがとう」
「何が?」
「いつも、そばにいてくれて」
朝倉くんの目が、少し潤んだ。
「俺こそ、桜井さんに感謝してる」
「私に?」
「うん。桜井さんがいたから、俺も前を向けた」
彼は、私の手を握り返した。
「兄のこと、ちゃんと話せたのも、桜井さんが最初だった」
二人で手を繋いだまま、また会場を回った。
こうして朝倉くんと一緒にいると、心が落ち着く。
もう、怖くなかった。
彼を傷つけるかもしれない、という恐怖が──。
少しずつ、消えていく気がした。
午後二時、閉館まであと一時間。
私たちは、会場のベンチに座った。
「桜井さん」
朝倉くんが、真剣な顔で言った。
「俺、もう一度聞いていい?」
「……何を?」
「写真部、戻ってきてくれないかな」
写真部。
辞めてから、一ヶ月以上経つ。
三島先輩は、『いつでも戻ってきていい』と言ってくれた。
でも、私は──。
「朝倉くん」
「うん」
「私、まだ怖い」
「何が?」
「また、誰かを傷つけるんじゃないかって」
朝倉くんは、私の手を取った。
「桜井さん、一つだけ言わせて」
「……何?」
「人を傷つけない人間なんて、いないよ」
彼の目は、真っ直ぐだった。
「どれだけ気をつけても、誰かを傷つけることはある」
「でも、それを恐れて人と関わらないのは、もっと寂しいことだと思う」
朝倉くんの言葉が、胸に響いた。
「傷つけるかもしれない。傷つけられるかもしれない。でも、それでも人と関わりたいって思う」
彼は、私を見た。
「それが、生きるってことなんじゃないかな」
生きるってこと。
その言葉が、心に染みた。
「朝倉くん、ありがとう」
私は、涙を拭いた。
「私、決めた」
「何を?」
「写真部、戻る」
朝倉くんの顔が、明るくなった。
「本当?」
「うん。もう一度、みんなと一緒に写真を撮りたい」
「よかった」
彼は、嬉しそうに笑った。
「三島先輩、絶対喜ぶよ」
その時、会場の入り口から、三島先輩が入ってきた。
まるで、タイミングを見計らったかのように。
「桜井さん!」
三島先輩が、こちらへ走ってきた。
「先輩、どうしてここに?」
「朝倉から聞いたの。桜井さんの写真展、今日が最終日だって」
三島先輩は、会場を見回した。
「桜井さんの写真、どれ?」
私は、自分の写真の前へ先輩を案内した。
三島先輩は、一枚一枚じっくり見ていた。
「……すごい」
先輩が、小さく呟いた。
「桜井さん、一人でこんなにいい写真撮ってたんだ」
「ありがとうございます」
「特に、この傘の写真。文化祭の時より、深みが増してる」
三島先輩は、私を見た。
「桜井さん、成長したね」
成長。
その言葉が、嬉しかった。
「先輩、あの──」
「ん?」
「私、写真部に戻りたいです」
三島先輩の目が、大きく開いた。
「本当?」
「はい。迷惑かけるかもしれないけど──」
「迷惑なんかじゃないよ」
三島先輩は、私を抱きしめた。
「おかえり、桜井さん」
その言葉に、涙が溢れた。
「ただいま、です」
三人で、しばらく会場にいた。
三島先輩は、他の写真も見て回り、「次の部活で、ここの話しよう」と言っていた。
朝倉くんは、ずっと嬉しそうに笑っていた。
私も、久しぶりに心から笑えた気がした。
午後三時、閉館時間。
係員が、「ありがとうございました」と声をかけてくれた。
三日間の写真展が、終わった。
私は、自分の写真にもう一度向き合った。
雨に濡れた窓ガラス越しの街。
夕暮れの空と街灯。
誰もいない公園のベンチと、忘れ物の傘。
これらの写真は、孤独だった私の心だった。
でも、これから撮る写真は──。
きっと、少しだけ違うものになる気がした。
会場を出ると、外は晴れていた。
梅雨が明けたのだろうか。
青い空に、白い雲。
久しぶりに見る、夏の空だった。
「桜井さん」
朝倉くんが、私を呼んだ。
いつもは『桜井さん』と呼ぶ彼が、少し躊躇いながら言った。
「……澪」
私の名前を、下の名前で呼んだ。
心臓が、跳ねた。
朝倉くんが、私の名前を──。
「澪、って呼んでもいい?」
彼は、少し照れくさそうに聞いてきた。
「……うん」
私は、頷いた。
「いいよ」
朝倉くんは、嬉しそうに笑った。
「じゃあ、澪」
「……何?」
「俺のことも、恒一って呼んで」
恒一。
朝倉くんの、名前。
名前を呼ぶこと。
それは、私にとってずっと怖いことだった。
誰かの名前を呼ぶことは、その人の人生に踏み込むこと。
でも──。
「……恒一」
小さく、その名前を呼んだ。
恒一の顔が、明るくなった。
「もう一回」
「え?」
「もう一回、俺の名前呼んで」
彼は、真剣な顔で言った。
「……恒一」
今度は、少しだけ大きな声で。
恒一は、私の手を取った。
「ありがとう、澪」
「……何が?」
「俺の名前を、呼んでくれて」
彼の目には、涙が浮かんでいた。
「兄の名前、最後まで呼べなかった俺の名前を、澪は呼んでくれた」
私も、涙が溢れてきた。
二人とも、大切な人の名前を呼べなかった。
でも、今──。
お互いの名前を、呼び合うことができた。
「澪」
恒一が、もう一度私の名前を呼んだ。
「俺、澪のことが好きだ」
その言葉に、心臓が止まりそうになった。
「友達としてじゃなくて、もっと特別な存在として」
彼は、真っ直ぐ私を見た。
「付き合ってください」
告白。
恒一が、私に告白してくれた。
返事を、しなければいけない。
でも、私の気持ちは──。
「恒一」
私は、彼の名前を呼んだ。
「私も、恒一のことが好き」
恒一の目が、大きく開いた。
「本当?」
「うん。いつからかわからないけど、恒一と一緒にいると安心する」
私は、正直に言った。
「恒一の笑顔が見たいって思う。恒一が悲しんでたら、私も悲しくなる」
「それが、好きってことなんだと思う」
恒一は、私を抱きしめた。
「ありがとう、澪」
「こちらこそ」
私も、恒一を抱きしめ返した。
「ありがとう、恒一」
三島先輩が、少し離れた場所から拍手をしていた。
「おめでとう、二人とも!」
先輩は、嬉しそうに笑っていた。
「お似合いだよ」
その言葉に、私たちは顔を見合わせて笑った。
その日の夜、家に帰ると、母が待っていた。
「おかえり。写真展、最終日だったわね」
「うん」
「どうだった?」
「……色々あった」
私は、母に全部話した。
写真部に戻ること。恒一と付き合うことになったこと。
母は、嬉しそうに笑った。
「よかったわね、澪」
「うん」
「朝倉くん、いい子ね」
「……うん」
少し照れくさかった。
「お母さん」
「ん?」
「ありがとう」
「何が?」
「いつも、見守っていてくれて」
母は、私を抱きしめた。
「当たり前よ。澪は、お母さんの大切な娘なんだから」
その夜、ベッドに横になりながら、今日を振り返った。
恒一と付き合うことになった。
写真部に戻ることになった。
全てが、新しく始まる気がした。
スマホに、恒一からメッセージが来た。
『今日はありがとう、澪。これから、よろしくね』
私は、返信した。
『こちらこそ。よろしく、恒一』
そして、美咲にもメッセージを送った。
『美咲、報告。彼氏できた』
すぐに返事が来た。
『え!?詳しく教えて!』
私は、笑いながら恒一のことを説明した。
窓の外を見ると、満月だった。
明るい月が、夜空を照らしている。
カメラを手に取って、窓を開ける。
月を撮った。
明るい光が、闇を照らしている。
液晶画面を見る。
今までの私の写真とは、違っていた。
暗いだけじゃない。
光がある。
希望がある。
これが、今の私の心なのかもしれない。
まだ完全に明るくはない。
でも、光が差し始めている。
少しずつ、前を向き始めている。
名前を呼ぶこと。
名前を呼ばれること。
それは、人と関わることの始まり。
誰かの人生に踏み込むこと。
そして、自分の人生を肯定すること。
私は、恒一の名前を呼んだ。
恒一は、私の名前を呼んでくれた。
それだけで、私は少しだけ──。
生きていてもいいんだと、思えるようになった。
本来なら学校があるはずだったが、代休で休みだった。朝からギャラリーへ行くことにした。
最終日は、午後三時で閉館する。
この三日間で、私の写真を見てくれた人たち。その全てに、感謝の気持ちでいっぱいだった。
午前十時、ギャラリーに着いた。
最終日だからか、来場者は少なかった。平日の午前中では、仕方がない。
受付で挨拶をして、会場に入る。
自分の写真の前に立つと、また違った感情が湧いてきた。
この三日間で、私は変わった。
母と話し、朝倉くんと再会し、美咲に謝ることができた。
全てが、この写真展から始まった。
写真を見つめながら、ふと気づいた。
この写真たちは、過去の私が撮ったものだ。
孤独で、寂しくて、誰とも関われなかった私が。
でも、今の私は──。
少しだけ、変わり始めている。
午後一時頃、朝倉くんが来た。
「桜井さん、いた」
「来てくれたんだ」
「最終日だから。最後まで見届けたくて」
彼は、いつもの優しい笑顔だった。
二人で、会場を回った。
私の写真だけでなく、他の出展者の写真も見て回る。
風景、人物、抽象、動物──。
色々な写真があった。
どれも、撮った人の『声』が聞こえてくる気がした。
「桜井さん」
朝倉くんが、ある写真の前で立ち止まった。
「この写真、いいね」
そこには、家族写真があった。
笑顔の両親と、二人の子供。
幸せそうな写真だった。
「こういう写真、いいなって思う」
朝倉くんが、小さく呟いた。
「兄が生きてたら、うちもこんな写真撮れたのかな」
彼の声は、少し寂しそうだった。
「朝倉くん」
私は、彼の手を取った。
朝倉くんが、驚いたような顔で私を見た。
「桜井さん?」
「……ありがとう」
「何が?」
「いつも、そばにいてくれて」
朝倉くんの目が、少し潤んだ。
「俺こそ、桜井さんに感謝してる」
「私に?」
「うん。桜井さんがいたから、俺も前を向けた」
彼は、私の手を握り返した。
「兄のこと、ちゃんと話せたのも、桜井さんが最初だった」
二人で手を繋いだまま、また会場を回った。
こうして朝倉くんと一緒にいると、心が落ち着く。
もう、怖くなかった。
彼を傷つけるかもしれない、という恐怖が──。
少しずつ、消えていく気がした。
午後二時、閉館まであと一時間。
私たちは、会場のベンチに座った。
「桜井さん」
朝倉くんが、真剣な顔で言った。
「俺、もう一度聞いていい?」
「……何を?」
「写真部、戻ってきてくれないかな」
写真部。
辞めてから、一ヶ月以上経つ。
三島先輩は、『いつでも戻ってきていい』と言ってくれた。
でも、私は──。
「朝倉くん」
「うん」
「私、まだ怖い」
「何が?」
「また、誰かを傷つけるんじゃないかって」
朝倉くんは、私の手を取った。
「桜井さん、一つだけ言わせて」
「……何?」
「人を傷つけない人間なんて、いないよ」
彼の目は、真っ直ぐだった。
「どれだけ気をつけても、誰かを傷つけることはある」
「でも、それを恐れて人と関わらないのは、もっと寂しいことだと思う」
朝倉くんの言葉が、胸に響いた。
「傷つけるかもしれない。傷つけられるかもしれない。でも、それでも人と関わりたいって思う」
彼は、私を見た。
「それが、生きるってことなんじゃないかな」
生きるってこと。
その言葉が、心に染みた。
「朝倉くん、ありがとう」
私は、涙を拭いた。
「私、決めた」
「何を?」
「写真部、戻る」
朝倉くんの顔が、明るくなった。
「本当?」
「うん。もう一度、みんなと一緒に写真を撮りたい」
「よかった」
彼は、嬉しそうに笑った。
「三島先輩、絶対喜ぶよ」
その時、会場の入り口から、三島先輩が入ってきた。
まるで、タイミングを見計らったかのように。
「桜井さん!」
三島先輩が、こちらへ走ってきた。
「先輩、どうしてここに?」
「朝倉から聞いたの。桜井さんの写真展、今日が最終日だって」
三島先輩は、会場を見回した。
「桜井さんの写真、どれ?」
私は、自分の写真の前へ先輩を案内した。
三島先輩は、一枚一枚じっくり見ていた。
「……すごい」
先輩が、小さく呟いた。
「桜井さん、一人でこんなにいい写真撮ってたんだ」
「ありがとうございます」
「特に、この傘の写真。文化祭の時より、深みが増してる」
三島先輩は、私を見た。
「桜井さん、成長したね」
成長。
その言葉が、嬉しかった。
「先輩、あの──」
「ん?」
「私、写真部に戻りたいです」
三島先輩の目が、大きく開いた。
「本当?」
「はい。迷惑かけるかもしれないけど──」
「迷惑なんかじゃないよ」
三島先輩は、私を抱きしめた。
「おかえり、桜井さん」
その言葉に、涙が溢れた。
「ただいま、です」
三人で、しばらく会場にいた。
三島先輩は、他の写真も見て回り、「次の部活で、ここの話しよう」と言っていた。
朝倉くんは、ずっと嬉しそうに笑っていた。
私も、久しぶりに心から笑えた気がした。
午後三時、閉館時間。
係員が、「ありがとうございました」と声をかけてくれた。
三日間の写真展が、終わった。
私は、自分の写真にもう一度向き合った。
雨に濡れた窓ガラス越しの街。
夕暮れの空と街灯。
誰もいない公園のベンチと、忘れ物の傘。
これらの写真は、孤独だった私の心だった。
でも、これから撮る写真は──。
きっと、少しだけ違うものになる気がした。
会場を出ると、外は晴れていた。
梅雨が明けたのだろうか。
青い空に、白い雲。
久しぶりに見る、夏の空だった。
「桜井さん」
朝倉くんが、私を呼んだ。
いつもは『桜井さん』と呼ぶ彼が、少し躊躇いながら言った。
「……澪」
私の名前を、下の名前で呼んだ。
心臓が、跳ねた。
朝倉くんが、私の名前を──。
「澪、って呼んでもいい?」
彼は、少し照れくさそうに聞いてきた。
「……うん」
私は、頷いた。
「いいよ」
朝倉くんは、嬉しそうに笑った。
「じゃあ、澪」
「……何?」
「俺のことも、恒一って呼んで」
恒一。
朝倉くんの、名前。
名前を呼ぶこと。
それは、私にとってずっと怖いことだった。
誰かの名前を呼ぶことは、その人の人生に踏み込むこと。
でも──。
「……恒一」
小さく、その名前を呼んだ。
恒一の顔が、明るくなった。
「もう一回」
「え?」
「もう一回、俺の名前呼んで」
彼は、真剣な顔で言った。
「……恒一」
今度は、少しだけ大きな声で。
恒一は、私の手を取った。
「ありがとう、澪」
「……何が?」
「俺の名前を、呼んでくれて」
彼の目には、涙が浮かんでいた。
「兄の名前、最後まで呼べなかった俺の名前を、澪は呼んでくれた」
私も、涙が溢れてきた。
二人とも、大切な人の名前を呼べなかった。
でも、今──。
お互いの名前を、呼び合うことができた。
「澪」
恒一が、もう一度私の名前を呼んだ。
「俺、澪のことが好きだ」
その言葉に、心臓が止まりそうになった。
「友達としてじゃなくて、もっと特別な存在として」
彼は、真っ直ぐ私を見た。
「付き合ってください」
告白。
恒一が、私に告白してくれた。
返事を、しなければいけない。
でも、私の気持ちは──。
「恒一」
私は、彼の名前を呼んだ。
「私も、恒一のことが好き」
恒一の目が、大きく開いた。
「本当?」
「うん。いつからかわからないけど、恒一と一緒にいると安心する」
私は、正直に言った。
「恒一の笑顔が見たいって思う。恒一が悲しんでたら、私も悲しくなる」
「それが、好きってことなんだと思う」
恒一は、私を抱きしめた。
「ありがとう、澪」
「こちらこそ」
私も、恒一を抱きしめ返した。
「ありがとう、恒一」
三島先輩が、少し離れた場所から拍手をしていた。
「おめでとう、二人とも!」
先輩は、嬉しそうに笑っていた。
「お似合いだよ」
その言葉に、私たちは顔を見合わせて笑った。
その日の夜、家に帰ると、母が待っていた。
「おかえり。写真展、最終日だったわね」
「うん」
「どうだった?」
「……色々あった」
私は、母に全部話した。
写真部に戻ること。恒一と付き合うことになったこと。
母は、嬉しそうに笑った。
「よかったわね、澪」
「うん」
「朝倉くん、いい子ね」
「……うん」
少し照れくさかった。
「お母さん」
「ん?」
「ありがとう」
「何が?」
「いつも、見守っていてくれて」
母は、私を抱きしめた。
「当たり前よ。澪は、お母さんの大切な娘なんだから」
その夜、ベッドに横になりながら、今日を振り返った。
恒一と付き合うことになった。
写真部に戻ることになった。
全てが、新しく始まる気がした。
スマホに、恒一からメッセージが来た。
『今日はありがとう、澪。これから、よろしくね』
私は、返信した。
『こちらこそ。よろしく、恒一』
そして、美咲にもメッセージを送った。
『美咲、報告。彼氏できた』
すぐに返事が来た。
『え!?詳しく教えて!』
私は、笑いながら恒一のことを説明した。
窓の外を見ると、満月だった。
明るい月が、夜空を照らしている。
カメラを手に取って、窓を開ける。
月を撮った。
明るい光が、闇を照らしている。
液晶画面を見る。
今までの私の写真とは、違っていた。
暗いだけじゃない。
光がある。
希望がある。
これが、今の私の心なのかもしれない。
まだ完全に明るくはない。
でも、光が差し始めている。
少しずつ、前を向き始めている。
名前を呼ぶこと。
名前を呼ばれること。
それは、人と関わることの始まり。
誰かの人生に踏み込むこと。
そして、自分の人生を肯定すること。
私は、恒一の名前を呼んだ。
恒一は、私の名前を呼んでくれた。
それだけで、私は少しだけ──。
生きていてもいいんだと、思えるようになった。