97年から00年  意地悪される人、見下す事喋られる人、人不信なひとはみっともなく生きる資格ないほど弱虫という考えが、大人に根強くあり、だから自分を責めました

私は00年から、恐喝詐欺等されるひと、見下すこと喋られる人や人間不信な人はみっともないて思い込み

同時に
見下す馬鹿にする事しゃべられない、
恐喝詐欺無理強いされない人が1番偉いと思い込みました
2010年頃までだと。





恐喝詐欺無理強いされない,イジワルされない
見下す馬鹿にすることもいわれない、
まして絶対人間不信対人不信みたく人間不信恐怖症みたくならない
のが偉いと考えてました

それならば
ひとのこと見下す馬鹿にするひと
ひとのことを悲しませたり意地悪する人、
だれかに危害加えたりバカにするひと、
恐喝詐欺無理強いしたりするひとのほう
いじめられる側なることはありえないから、
人間不信ならないうえ夏休み終わり怖くならないだけでも、
そのひとのことを悲しませる,恐喝詐欺無理強いするひとや
人のことバカにしたり、危害くわえたりするひとのほうがまだ、
意地悪される人や人間不信なひとよりはまだましで偉いという思い込みに縛られてました

恐喝詐欺無理強いするひと
ひとのことを見下す馬鹿にするひと
人に危害くわえたり面倒かけるひとの方がまだ
いじめられないうえ人間不信ならないだけ偉いんだろか?
世間は、意地悪されるかするか二択しか絶対ない
意地悪されるのと人間不信対人不信なるのは避けなければ
とおもいこみました
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