国を追われましたが、文官令嬢としてセカンドライフを送ります!

第七章 暴走する元婚約者①

 波乱の幕切れとなった両国間の会談から十日。長く伸びた影を伴って、ひとりの男がエリアン王城を訪れた。

「止まれ。何者だ、用件を述べよ」

 門番たちが槍の切っ先を向け、警戒心を露にする。
 慌てて後ずさり、男は敵意がないことを示すように両手を上げた。

「ル、ルミナリア王国から来たんだ。レオナール陛下と宰相殿に会わせてくれ」

 男の正体は、宰相に買収された製本係だった。指示を受けて、エリアン王国へと密かに渡ってきたのである。

「よくぞ来てくれたね。君の到着を心待ちにしていたよ」

 レオナールが両手を広げて迎え入れる。

「……それで、例のものは間違いなく持ってきたのであろうな?」

 宰相の問いに、男は生唾を飲み込んで頷く。震える手でコートの内側から取り出したのは、一冊のノートだった。

「こちらが魔導書の呪文を書き記したノートにございます」
「おおっ!」

 レオナールはすかさず男の手からノートを奪い取った。ぱらぱらとページをめくれば、そこには几帳面な筆致で文章が綴られている。

「これですべての魔法が使えるようになるのだな!」
「あ、いえ」

 子供のように表情を輝かせるレオナールに、製本係が困り顔で冷や水を浴びせる。

「原本を写したノートは全部で二十冊ほどございます。ですが、監視の目を盗んで全てを持ち出すのは、流石に不可能でした」
「なんだと!?」

 喜びも束の間、レオナールの顔が驚愕に凍りついた。

「馬鹿者! 魔導書の資料をすべて持ち出すようにと命じたではないか!」

 宰相も額に青筋を立て、地響きのような怒声を上げる。ふたりがかりで詰め寄られ、製本係は情けなく眉尻を下げた。

「も、申し訳ありません! ですが、その中でもとりわけ破壊力の高い魔法が記されたものを持ってまいりましたので……」
「……破壊力の高い魔法か」

 レオナールは怒りを引っ込め、再びノートに目をやった。

(そんなものが国政の役に立つとは思えんが)

 宰相が内心で深く溜め息をつく傍らで、レオナールはすっかり機嫌を直していた。

「なら、試さない手はないな。宰相、内容を確認したら即刻、実験に取りかかるぞ!」
「あ、ちょ、陛下……」

 ノートを宰相に押しつけ、レオナールは自室へと向かった。
 最高級の調度品に囲まれた室内の隅には、重厚な黒い金庫が鎮座している。懐から取り出した鍵で解錠し、慎重に扉を開くと、レオナールは性急な手つきで魔導書を掴み取った。

(待ちわびたぞ。ようやく、これを使う時が来た!)

 程なくして、王城の官吏たちは宰相の命により、郊外の荒れ地に集められた。突然の招集に、誰もが「何が始まるのか」と訝しげに顔を見合わせている。
 困惑する臣下たちを前にして、レオナールは声高らかに叫んだ。

「諸君、我が国はついに魔導書の力を手に入れた! 今こそ、至高の力をその目にとくと焼きつけるがいい!」

 意気揚々と魔導書のページをめくる。唱え方はあらかじめ宰相に確認済みだ。
 あとは実践あるのみ――。

「『満天を焦がす紅き凶星よ、触れるもの悉(ことごと)くを無に還せ』!」

 ページが青白い光を放ち始める。
 標的はここから少し離れた場所に位置する小山だ。レオナールは前方を指差し、魔法の射程距離を誇らしげに唱えた。
 次の瞬間、澄み切った青空にぽっかりと黒い穴が生じた。
 不気味な空洞から姿を現したのは、太陽と見紛うばかりの巨大な火球だった。禍々しい火の塊が、赤い尾を引いて小山を直撃した。
 凄まじい爆風が一同の服を激しくなびかせる。土煙が収まった後、そこにあったはずの山は文字通り消失していた。
 ただ、風に乗って流れてくる焼け焦げた臭いだけが、現実であることを物語っている。

「…………」

 あまりの衝撃に、宰相の体から力が抜けた。腕に抱えていた書類が、ばさばさと地面に散らばっていく。周囲に控える官吏たちも膝を震わせ、言葉を失って立ち尽くしている。
 重苦しい沈黙を引き裂いたのは、レオナールの狂喜乱舞する声だった。

「み、見たかっ? 山が一瞬で吹き飛んだぞ! 跡形も残っていない!」
「ですなぁ……」

 先ほどから冷や汗が止まらない。レオナールに両肩を激しく揺さぶられ、宰相は気の抜けた声で相槌を打った。

「素晴らしい……これで大陸の覇権は私のものだ!」

 一方、目の前の絶大な破壊力を目の当たりにしたレオナールは、胸の奥に燻っていた野心を一気に燃え上がらせていた。

「というわけで、手始めにルミナリア王国を攻め落とすぞ」
「陛下!?」

 過激な発言に、宰相は目を見張った。

「くくく……ロゼッタも、あの偉そうな国王も王妃も、そしてサンジェストとかいうくそ生意気な男も……私をコケにしたツケは、必ず払わせてやる!」
「あ、あの……よろしいでしょうか」

 勝手に盛り上がるレオナールに、文官のひとりが待ったをかける。

「万全な魔導書はルミナリア王国にもございます。もし、戦争になった場合、使える魔法が限られている我が国は圧倒的に不利なのでは……」
「むむ……それは……」

 真っ当な正論を突きつけられ、レオナールが渋面を作る。すると製本係がしたり顔で近づいて、とっておきの情報を吹き込んだ。

「ご心配には及びません、陛下。ルミナリア王国では民への配慮から、攻撃魔法の使用を厳しく制限する法律が施行されております。あちらがモタついている隙に仕掛けてしまえば、後はこっちのものですよ」
「ふん。これほどの力を腐らせておくとは、めでたい連中だな」

 唯一の懸念さえ払拭され、もはやレオナールの野望を阻むものは何もなかった。
 大きな成果と次なる目標を手に、王城に帰還する。
 庭園を通りかかると、ちょうど散歩中だったシャロンが可憐な笑顔で駆け寄ってきた。

「お帰りなさいませ、レオナール様。そんな嬉しそうな顔をなさって、何かいいことでもありましたの?」

 機嫌を伺いつつ、何かねだるチャンスを窺っているのだろう。けれど、今のレオナールには、そんな透けて見える下心さえも愛らしく感じられた。

「実はね、シャロン。近いうちに、君を世界一の王妃にしてあげられそうなんだ」

 甘い香水の香りに包まれたその体を抱き寄せ、レオナールは耳元で熱っぽく囁いた。

「まあ、それって本当ですの?」
「もちろんだとも。これからは君のどんなわがままも叶えられるよ」
「ふふっ、嬉しいですわ。でしたら、まずは今まで我慢していたドレスと宝石を山ほど買ってもらおうかしら。あ、それから、わたくしのカフェも世界中に百店舗……いえ、千店舗は欲しいところですわね!」

 底なしの強欲さを剥き出しにする妻を、レオナールは微笑ましく見守る。けれど、心の中では元婚約者について考えを巡らせていた。

(ロゼッタの頭脳は捨てがたいからな。ルミナリア王国を蹂躙した後に連れ戻し、便利な文官として死ぬまでこき使ってやるとしよう)

 夢のような未来を思い描きながら、レオナールは邪悪に唇を歪めた。
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