国を追われましたが、文官令嬢としてセカンドライフを送ります!
第七章 暴走する元婚約者②
……まさか。
「ロゼッタ!?」
エドガーが呼び止めるのも構わず、ロゼッタは謁見室を飛び出した。
向かった先は製本室だ。自分が翻訳したノートが並ぶ棚の中から、ある特定の区画を慌ただしく確認していく。
「やっぱり、なくなってる……」
掠れた声で呟くロゼッタの顔から、たちまち血の気が引いていく。
「どうしたんだい、ロゼッタ?」
追いかけてきたエドガーが、肩で息をしながらロゼッタの顔を覗き込む。
「魔導書の解読ノートが一冊、なくなっているんです!」
「それは本当かい? いや……そういえば、先日製本係のひとりが親の病を理由に退職しているんだ。まさかとは思うけど、彼が持ち出したのか……?」
そのまさかだろう。どの箇所が抜き取られたのかを確かめ、ロゼッタはさらに深く顔を歪めた。
「しかも盗まれたのは、広範囲を壊滅させる攻撃魔法の呪文を纏めたノートです。これが、レオナール陛下の手に渡ったのだとしたら……」
異界の門から劫火を呼び出す火魔法。
空を埋め尽くす氷柱で刺し貫く氷魔法。
地底から巨大な岩の棘を突き上げさせる土魔法。
そして、荒れ狂う暴風ですべてを塵に帰す風魔法。
そのどれもが一国を滅ぼしかねない危険なものだ。
故にルミナリア王国では平和への脅威として使用を固く禁じられたが、レオナールには、自らの野望を叶える最強の武器にしか見えなかっただろう。
ロゼッタたちは血相を変えて謁見室に引き返すと、すぐさま国王とブランドール伯に事の次第を報告した。
「魔導書をこのような私欲のために汚すとは……ここまで度し難いバカだとは思わんかった」
腹の底から込み上げる怒りで、ブランドール伯は体を震わせると勢いよく椅子から立ち上がった。
「リカルド陛下よ、謁見の場を設けていただいたこと感謝する。私は今すぐ領地へ戻り、あの愚か者をこの手で叩き伏せてくる!」
「待て、ブランドール伯」
荒々しく退室しようとするブランドール伯を、国王が鋭い声で呼び止める。
「今のレオナールは完全に箍が外れている。たとえ正論を説いたところで、耳など貸すまい。それどころか、王に背いた反逆者としてそなたを拘束する可能性さえある」
「だが、このままでは……」
「無論、むざむざやられるつもりはない。我が国からも兵を出すつもりだ」
国王はそう断言すると、傍らのエドガーに目配せをした。
「承知いたしました。直ちに兵を集結させ、出陣の準備を整えます」
「待ってください、エドガーさん。行く前に少しだけいいですか?」
背を向けたエドガーに、ロゼッタが咄嗟に声をかける。
「レオナール陛下は恐らく身の安全を優先し、国境付近から魔法を放つはずです。それに対抗するため、こちらも国全体を覆う結界を張ります。その魔法の起点として、ルミナリア王国の中心地点を正確に知りたいんです」
一刻の猶予もない。ロゼッタの説明を聞いて、エドガーは硬い表情で頷いた。
「わかった。今急いで地図を持ってく……」
「いや、それには及ばん。王都の噴水通りだ」
ふたりの会話を遮るように、国王が言葉を挟んだ。
「陛下、よくご存知でしたね」
エドガーは虚を突かれたように目を見開いた。
「昔、国の中心でフランシスカにプロポーズしようと調べたことがあってな。……それはともかく、ロゼッタ。そなたを危険な表へ出すわけにはいかん。魔導書は他の者に使わせよう」
「いえ、私にやらせてください」
ロゼッタは迷う素振りを見せずに、首を横に振った。
この美しい国が戦火に焼かれる恐怖はある。けれど、それ以上にレオナールの浅ましい野心に対する激しい怒りがロゼッタを突き動かしていた。
「エリアン王国の人間として、こんな時に隠れているわけにはいきません。……そもそも私の祖父が作った魔導書のせいで、このような事態が起きているんです。誰かが血を流す姿なんて、私は見たくありません。その前に必ず私が止めてみせます。それがオーヴァン・レイファールの孫である私の務めです」
腕の中の魔導書を強く抱き締め、自分の思いをぶつける。
ここで逃げてはならない。祖父だって、きっとロゼッタがこうすることを望んでくれるはずだ。
「お願いします。私に行かせてください」
「……止めても無駄のようだな」
強い意志を宿した菫色の瞳に見つめられ、国王は小さく溜め息をついた。
「だが、無防備に行かせるわけにはいかん。私の近衛を数名つけよう」
「ありがとうございます、陛下」
国王に一礼して顔を上げると、エドガーと視線がぶつかった。心配でたまらないはずなのに、ロゼッタの決意を尊重したい。そんな行き場のない葛藤が、彼の表情から痛いほど伝わってくる。
「エドガーさん、私のことは大丈夫ですから」
「だが、君に万が一のことがあれば……」
「ですから、今はお互いできることをしましょう?」
ロゼッタが柔らかく微笑むと、エドガーは少し間を置いてから、ぎこちなく笑い返した。
「いいかい、くれぐれも無茶はしないように。危ないと思ったら、すぐに戻ってくるんだ」
「安全第一、肝に銘じておきます」
その言葉はエドガーを安心させるためであり、自分を落ち着かせるための呪文でもあった。
「ロゼッタ!?」
エドガーが呼び止めるのも構わず、ロゼッタは謁見室を飛び出した。
向かった先は製本室だ。自分が翻訳したノートが並ぶ棚の中から、ある特定の区画を慌ただしく確認していく。
「やっぱり、なくなってる……」
掠れた声で呟くロゼッタの顔から、たちまち血の気が引いていく。
「どうしたんだい、ロゼッタ?」
追いかけてきたエドガーが、肩で息をしながらロゼッタの顔を覗き込む。
「魔導書の解読ノートが一冊、なくなっているんです!」
「それは本当かい? いや……そういえば、先日製本係のひとりが親の病を理由に退職しているんだ。まさかとは思うけど、彼が持ち出したのか……?」
そのまさかだろう。どの箇所が抜き取られたのかを確かめ、ロゼッタはさらに深く顔を歪めた。
「しかも盗まれたのは、広範囲を壊滅させる攻撃魔法の呪文を纏めたノートです。これが、レオナール陛下の手に渡ったのだとしたら……」
異界の門から劫火を呼び出す火魔法。
空を埋め尽くす氷柱で刺し貫く氷魔法。
地底から巨大な岩の棘を突き上げさせる土魔法。
そして、荒れ狂う暴風ですべてを塵に帰す風魔法。
そのどれもが一国を滅ぼしかねない危険なものだ。
故にルミナリア王国では平和への脅威として使用を固く禁じられたが、レオナールには、自らの野望を叶える最強の武器にしか見えなかっただろう。
ロゼッタたちは血相を変えて謁見室に引き返すと、すぐさま国王とブランドール伯に事の次第を報告した。
「魔導書をこのような私欲のために汚すとは……ここまで度し難いバカだとは思わんかった」
腹の底から込み上げる怒りで、ブランドール伯は体を震わせると勢いよく椅子から立ち上がった。
「リカルド陛下よ、謁見の場を設けていただいたこと感謝する。私は今すぐ領地へ戻り、あの愚か者をこの手で叩き伏せてくる!」
「待て、ブランドール伯」
荒々しく退室しようとするブランドール伯を、国王が鋭い声で呼び止める。
「今のレオナールは完全に箍が外れている。たとえ正論を説いたところで、耳など貸すまい。それどころか、王に背いた反逆者としてそなたを拘束する可能性さえある」
「だが、このままでは……」
「無論、むざむざやられるつもりはない。我が国からも兵を出すつもりだ」
国王はそう断言すると、傍らのエドガーに目配せをした。
「承知いたしました。直ちに兵を集結させ、出陣の準備を整えます」
「待ってください、エドガーさん。行く前に少しだけいいですか?」
背を向けたエドガーに、ロゼッタが咄嗟に声をかける。
「レオナール陛下は恐らく身の安全を優先し、国境付近から魔法を放つはずです。それに対抗するため、こちらも国全体を覆う結界を張ります。その魔法の起点として、ルミナリア王国の中心地点を正確に知りたいんです」
一刻の猶予もない。ロゼッタの説明を聞いて、エドガーは硬い表情で頷いた。
「わかった。今急いで地図を持ってく……」
「いや、それには及ばん。王都の噴水通りだ」
ふたりの会話を遮るように、国王が言葉を挟んだ。
「陛下、よくご存知でしたね」
エドガーは虚を突かれたように目を見開いた。
「昔、国の中心でフランシスカにプロポーズしようと調べたことがあってな。……それはともかく、ロゼッタ。そなたを危険な表へ出すわけにはいかん。魔導書は他の者に使わせよう」
「いえ、私にやらせてください」
ロゼッタは迷う素振りを見せずに、首を横に振った。
この美しい国が戦火に焼かれる恐怖はある。けれど、それ以上にレオナールの浅ましい野心に対する激しい怒りがロゼッタを突き動かしていた。
「エリアン王国の人間として、こんな時に隠れているわけにはいきません。……そもそも私の祖父が作った魔導書のせいで、このような事態が起きているんです。誰かが血を流す姿なんて、私は見たくありません。その前に必ず私が止めてみせます。それがオーヴァン・レイファールの孫である私の務めです」
腕の中の魔導書を強く抱き締め、自分の思いをぶつける。
ここで逃げてはならない。祖父だって、きっとロゼッタがこうすることを望んでくれるはずだ。
「お願いします。私に行かせてください」
「……止めても無駄のようだな」
強い意志を宿した菫色の瞳に見つめられ、国王は小さく溜め息をついた。
「だが、無防備に行かせるわけにはいかん。私の近衛を数名つけよう」
「ありがとうございます、陛下」
国王に一礼して顔を上げると、エドガーと視線がぶつかった。心配でたまらないはずなのに、ロゼッタの決意を尊重したい。そんな行き場のない葛藤が、彼の表情から痛いほど伝わってくる。
「エドガーさん、私のことは大丈夫ですから」
「だが、君に万が一のことがあれば……」
「ですから、今はお互いできることをしましょう?」
ロゼッタが柔らかく微笑むと、エドガーは少し間を置いてから、ぎこちなく笑い返した。
「いいかい、くれぐれも無茶はしないように。危ないと思ったら、すぐに戻ってくるんだ」
「安全第一、肝に銘じておきます」
その言葉はエドガーを安心させるためであり、自分を落ち着かせるための呪文でもあった。