国を追われましたが、文官令嬢としてセカンドライフを送ります!
第八章 隠されし魔法①
最大のチャンスだというのに、突如として攻撃が止まった。その理由にロゼッタは即座に思い至る。
(魔力を使い果たしたのね。あれだけ乱発していたら、底をつくのは時間の問題だったけれど)
しかし、魔力切れを起こしているのはこちらも同じだった。破壊された個所を修復すべく再び防御魔法を唱えてみたが、手元の魔導書が光を宿すことはなかった。
しかも仮に魔力が回復したところで、あの攻撃を防ぐ手段を見つけない限り、結界はわずかな時間稼ぎにしかならない。
「ご無事ですか、ロゼッタ様?」
「ええ。私はなんとか……」
近衛兵の問いに短く答えると、ロゼッタは苦渋に満ちた表情で周囲の惨状を見渡した。
民家や商店は無残に砕け散り、あちこちから不気味な火の手が上がっている。石畳には巨大な氷柱が突き刺さり、立ち並ぶ街路樹も無惨に焼き尽くされていた。
人々は阿鼻叫喚の中で逃げ惑い、血を流して倒れる者や、親とはぐれて泣きじゃくる子供の姿が目に映る。
鼻を突く焦げた臭いと、絶望に満ちた悲鳴。
目を背けたくなるような凄惨さに、ロゼッタは堪らず口元を手で覆った。
(どうして……どうして、こんな残酷なことができるの……?)
尊敬する祖父が作り上げた魔導書と、それを私欲のために振りかざすレオナールによって、長い年月をかけて育んできた美しい街並みも、人々の穏やかな笑顔も、一瞬にして奪い去られてしまった。
自分が守らなければいけなかったのに、何ひとつとして守れなかった。
身を引き裂かれそうな無力感に襲われ、足が凍りついたように竦んで一歩も動けない。
目の前に迫る恐怖に震え、思考が白く塗りつぶされそうになる。
「皆さん、こちらです! さあ、早く!」
悲鳴を掻き消すほどの力強い声が、ロゼッタの意識を強引に引き戻す。
弾かれたように顔を上げると、視界に入ったのは人々を避難誘導する兵士たちの姿だった。怪我人を肩に担ぎ、幼い子供を抱きかかえて走る者もいる。
「ロゼッタ!」
人混みをかき分け、息を切らしてエドガーが駆け寄ってくる。
「エドガーさん、わ、私……街を守れなかっ……」
言いかけた言葉は、柔らかな温もりによって遮られた。一瞬遅れて、エドガーの腕の中に抱きしめられているのだと気づく。
「……君が無事で、本当によかった」
安堵からか、耳元で囁かれたその声はか細く震えていた。つられるように、ロゼッタの瞳からも熱いものがじわりと溢れ出す。
エドガーはゆっくりと体を離すと、硬い表情で周囲に目を向けた。
「今、街の人々を城へ誘導している。ロゼッタ、君も早く行くんだ」
「ですが、城にすべての王都民を収容できるだけの広さは……」
「転移魔法の写しを使って、城の正門から辺境地へ人々を送り届けているんだ。どうやら敵の狙いはこの王都だけに絞られているようだからね」
エドガーの声には、隠しきれない悔しさが滲んでいる。人々の命を救うためとはいえ、守るべき街を見捨てるという道を選んだのだ。どれだけ苦渋の選択だったのか、痛いほど理解できる。
(わかっているわ。命を犠牲にするわけにはいかない)
レオナールの魔導書が魔力を取り戻すまで、あとどれほどの時間が残されているのか。今はただ被害を最小限に食い止める以外に、抗う術はなかった。
それでも。
「あ、ロゼッタさん! 宰相様も!」
喧騒を突き抜けて、聞き覚えのある声が響いた。
ふたりが振り返った先には、汗だくになりながら走ってくる顔馴染の司書の姿があった。
「はぁ、はぁ……せっかくの休みだったのにさ。家ごと吹き飛ばされるかと思って、肝が冷えたよ」
「お怪我はありませんか!?」
「見ての通り、ピンピンしてるよ。さあ、ふたりも危ないから早く逃げなよ。じゃあね!」
軽く手を挙げると、司書は息を乱しながら再び走り出した。
――王城とは、真逆の方向に向かって。
「ま、待ってください! おじさんは逃げないんですか?」
「うん。図書館の本を地下に避難させなくちゃ。今日いる職員たちだけじゃ、とても運びきれないだろうし」
ロゼッタに呼び止められ、司書が平然と言い切る。
「待て! いつまた攻撃が始まるかわからないんだぞ!」
「無理無理! 貴重な本を見捨てて逃げるなんて、私にはできませんよ!」
エドガーが鋭い声で制止するが、司書は首を激しく横に振った。
「図書館なんてまた建て直せばいい。でも、本は一度燃えちゃったら、それでおしまいなんです。こんな時、彼らを守れるのは私たち司書だけなんですよ!」
そう叫んで、司書は国立図書館に向かって走り去っていく。
どれだけ人手があろうと、館内の膨大な蔵書をすべて地下へ運び込むことなど不可能に近い。彼自身、そんなことは百も承知だろう。
けれど、決して諦めることだけはしない。自分にできることを、最後までやり通そうとしているのだ。
(そうよ。あんな男に屈してたまるものですか)
あの大切な図書館が焼けてしまうなんて、想像しただけで目の前が真っ暗になる。だが同時に、そんな不条理への猛烈な怒りが体の奥底からふつふつと湧き上がってきた。
(いいえ。本だけじゃないわ)
人も、本も、道端に咲く花でさえも。すべてがロゼッタにとって、何物にも代えがたい宝物なのだ。
(これ以上、何も奪わせはしない)
胸のうちで自分を奮い立たせながら、握りしめた魔導書に視線を落とす。
法律を無視して攻撃魔法で反撃する策も思いついたが、姿の見えない敵に対して放つのは流石に無謀すぎる。
そうしている間にも、次なる一撃がいつ空から降り注いできてもおかしくない。
(考えるのよ、ロゼッタ。きっと、レオナール陛下を止める方法があるはずだわ)
その時、ふっと頭をよぎった。
もしかすると、順序が逆なのかもしれない。
(魔力を使い果たしたのね。あれだけ乱発していたら、底をつくのは時間の問題だったけれど)
しかし、魔力切れを起こしているのはこちらも同じだった。破壊された個所を修復すべく再び防御魔法を唱えてみたが、手元の魔導書が光を宿すことはなかった。
しかも仮に魔力が回復したところで、あの攻撃を防ぐ手段を見つけない限り、結界はわずかな時間稼ぎにしかならない。
「ご無事ですか、ロゼッタ様?」
「ええ。私はなんとか……」
近衛兵の問いに短く答えると、ロゼッタは苦渋に満ちた表情で周囲の惨状を見渡した。
民家や商店は無残に砕け散り、あちこちから不気味な火の手が上がっている。石畳には巨大な氷柱が突き刺さり、立ち並ぶ街路樹も無惨に焼き尽くされていた。
人々は阿鼻叫喚の中で逃げ惑い、血を流して倒れる者や、親とはぐれて泣きじゃくる子供の姿が目に映る。
鼻を突く焦げた臭いと、絶望に満ちた悲鳴。
目を背けたくなるような凄惨さに、ロゼッタは堪らず口元を手で覆った。
(どうして……どうして、こんな残酷なことができるの……?)
尊敬する祖父が作り上げた魔導書と、それを私欲のために振りかざすレオナールによって、長い年月をかけて育んできた美しい街並みも、人々の穏やかな笑顔も、一瞬にして奪い去られてしまった。
自分が守らなければいけなかったのに、何ひとつとして守れなかった。
身を引き裂かれそうな無力感に襲われ、足が凍りついたように竦んで一歩も動けない。
目の前に迫る恐怖に震え、思考が白く塗りつぶされそうになる。
「皆さん、こちらです! さあ、早く!」
悲鳴を掻き消すほどの力強い声が、ロゼッタの意識を強引に引き戻す。
弾かれたように顔を上げると、視界に入ったのは人々を避難誘導する兵士たちの姿だった。怪我人を肩に担ぎ、幼い子供を抱きかかえて走る者もいる。
「ロゼッタ!」
人混みをかき分け、息を切らしてエドガーが駆け寄ってくる。
「エドガーさん、わ、私……街を守れなかっ……」
言いかけた言葉は、柔らかな温もりによって遮られた。一瞬遅れて、エドガーの腕の中に抱きしめられているのだと気づく。
「……君が無事で、本当によかった」
安堵からか、耳元で囁かれたその声はか細く震えていた。つられるように、ロゼッタの瞳からも熱いものがじわりと溢れ出す。
エドガーはゆっくりと体を離すと、硬い表情で周囲に目を向けた。
「今、街の人々を城へ誘導している。ロゼッタ、君も早く行くんだ」
「ですが、城にすべての王都民を収容できるだけの広さは……」
「転移魔法の写しを使って、城の正門から辺境地へ人々を送り届けているんだ。どうやら敵の狙いはこの王都だけに絞られているようだからね」
エドガーの声には、隠しきれない悔しさが滲んでいる。人々の命を救うためとはいえ、守るべき街を見捨てるという道を選んだのだ。どれだけ苦渋の選択だったのか、痛いほど理解できる。
(わかっているわ。命を犠牲にするわけにはいかない)
レオナールの魔導書が魔力を取り戻すまで、あとどれほどの時間が残されているのか。今はただ被害を最小限に食い止める以外に、抗う術はなかった。
それでも。
「あ、ロゼッタさん! 宰相様も!」
喧騒を突き抜けて、聞き覚えのある声が響いた。
ふたりが振り返った先には、汗だくになりながら走ってくる顔馴染の司書の姿があった。
「はぁ、はぁ……せっかくの休みだったのにさ。家ごと吹き飛ばされるかと思って、肝が冷えたよ」
「お怪我はありませんか!?」
「見ての通り、ピンピンしてるよ。さあ、ふたりも危ないから早く逃げなよ。じゃあね!」
軽く手を挙げると、司書は息を乱しながら再び走り出した。
――王城とは、真逆の方向に向かって。
「ま、待ってください! おじさんは逃げないんですか?」
「うん。図書館の本を地下に避難させなくちゃ。今日いる職員たちだけじゃ、とても運びきれないだろうし」
ロゼッタに呼び止められ、司書が平然と言い切る。
「待て! いつまた攻撃が始まるかわからないんだぞ!」
「無理無理! 貴重な本を見捨てて逃げるなんて、私にはできませんよ!」
エドガーが鋭い声で制止するが、司書は首を激しく横に振った。
「図書館なんてまた建て直せばいい。でも、本は一度燃えちゃったら、それでおしまいなんです。こんな時、彼らを守れるのは私たち司書だけなんですよ!」
そう叫んで、司書は国立図書館に向かって走り去っていく。
どれだけ人手があろうと、館内の膨大な蔵書をすべて地下へ運び込むことなど不可能に近い。彼自身、そんなことは百も承知だろう。
けれど、決して諦めることだけはしない。自分にできることを、最後までやり通そうとしているのだ。
(そうよ。あんな男に屈してたまるものですか)
あの大切な図書館が焼けてしまうなんて、想像しただけで目の前が真っ暗になる。だが同時に、そんな不条理への猛烈な怒りが体の奥底からふつふつと湧き上がってきた。
(いいえ。本だけじゃないわ)
人も、本も、道端に咲く花でさえも。すべてがロゼッタにとって、何物にも代えがたい宝物なのだ。
(これ以上、何も奪わせはしない)
胸のうちで自分を奮い立たせながら、握りしめた魔導書に視線を落とす。
法律を無視して攻撃魔法で反撃する策も思いついたが、姿の見えない敵に対して放つのは流石に無謀すぎる。
そうしている間にも、次なる一撃がいつ空から降り注いできてもおかしくない。
(考えるのよ、ロゼッタ。きっと、レオナール陛下を止める方法があるはずだわ)
その時、ふっと頭をよぎった。
もしかすると、順序が逆なのかもしれない。