国を追われましたが、文官令嬢としてセカンドライフを送ります!
第八章 隠されし魔法②
カチ、カチ、カチ。どこからか聞こえる時計の音に誘われるように、意識を浮上させる。
(ここは……)
大量の本に囲まれた見覚えのある一室に、ロゼッタは立ち尽くしていた。そこは、幼い頃の自分が過ごした実家の自室だった。
そして、やけに目線が低いことに気づく。思わず自分の手を見下ろすと、そこには丸みを帯びた小さな指があった。
ロゼッタが指定した座標は十数年前。どうやら、無事転移に成功したようだ。
(その時間に直接飛ぶんじゃなくて、当時の自分に意識を同調させるらしいけど……)
これなら、外部の人間として怪しまれることもない。幼い自分の体を借りて、ロゼッタは部屋を出ることにした。
見知った廊下を進んでいく。
甲高いわめき声が飛んできたのは、妹の部屋を通りかかった時だった。
うっすらと開いた扉の隙間から中を覗き込むと、顔を真っ赤にしたシャロンが家庭教師を鋭く睨みつけていた。
「なんでシャロンが勉強なんてしないといけないの!」
「そう仰らずに。立派な淑女になるためでございますよ」
「『シャロンは可愛いから、笑ってるだけでいい』ってお父様もお母様も言ってたもん! 仕事なんてぜーんぶロゼッタにやらせればいいじゃない!」
耳を疑うような言い草に呆れつつも、気にするだけ無駄だとロゼッタはそのまま先を急ぐ。向かった先は祖父オーヴァンの自室だった。
「うひょうひょ~! もうちっとで完成じゃーい!」
部屋に近づくにつれて、陽気な笑い声が聞こえてくる。扉を開けると、顔をインクで汚した祖父が室内をスキップして回っていた。
そしてテーブルの上には、一冊の本が静かに置かれていた。
そう、この日は魔導書が完成した日なのだ。
(おじい様……)
もう一生会えないと思っていた人が、確かに今、目の前にいる。白昼夢を見ているような心地になり、ロゼッタは目頭が熱くなった。
「ぐおっ!」
テーブルの角に思いきり腰をぶつけたらしい。オーヴァンは苦悶の表情を浮かべ、その場に崩れ落ちた。ロゼッタの瞳から零れかけた涙が、一瞬で乾く。
「おじいちゃま、ちょっと落ち着いて」
「おお、ロゼッタか……ちょうどお前を呼びに行こうと思っていたところなんじゃ。ついに魔導書が完成するぞぃ。たたた……」
痛みで冷静さを取り戻したのか、オーヴァンは腰を擦りながら再び椅子に座った。
「さて、ロゼッタも来たことだし、最後の仕上げにタイトルを書き入れるかのう」
そう呟いて、羽ペンにたっぷりとインクを浸していく。
「ねえ、おじいちゃま。ひとつだけお願いがあるのだけど」
その手元をじっと見つめ、ロゼッタは小さく首を傾げた。
「うむ、可愛い孫娘の願い事じゃ。なんだって聞いてあげるぞ」
「あのね、一番最後のページに、今から言うことを書いて欲しいの」
嬉しそうに目尻を下げる祖父に、その内容を伝える。
(こんなことを言い出せば、不審に思われるのはわかっているけど……)
祖父の盲目的な甘さに全幅の信頼を寄せながらも、ロゼッタの声は緊張で震えていた。
「ほうほう……まあ、ワシの手にかかればその程度、造作もないことじゃがな」
ロゼッタの話に耳を傾けていたオーヴァンは、ふいに天井を仰いで黙り込んだ。何かを深く考え込む時の祖父の仕草だ。
「ちと聞いてもいいかのぅ?」
そう言って顔を下ろしたオーヴァンの目から、先ほどまでの甘さは消えていた。すべてを見透かすような達観した眼差しが、ロゼッタをまっすぐ見つめる。
「そなたは今、どこにおるのじゃ?」
「…………」
ロゼッタは一瞬の迷いの後、意を決して口を開いた。
「……ルミナリア王国」
「おお、あの偏屈男が治める国か。よしよし、ならばお前の言う通りにせねばなかろうて」
「おじいちゃま、本当にそれでいいの?」
あまりにあっさり了承されて、ロゼッタは少し心配になってくる。
けれど、オーヴァンに残念がっている素振りはなく、ただ優しく微笑んでいるだけだった。
「それで皆が救われるのじゃろう? どうやらワシの魔導書が、随分と迷惑をかけたようじゃからな。誰が勝手に使いおったかは知らんが、このぐらいの罪滅ぼしはせんとな」
「ううん、違うの。悪いのはおじいちゃまじゃ……っ」
「ほいほい……っと。ほれ、こんなもんでいいじゃろう」
オーヴァンはペンを置くと、書き込みを加えたばかりのページをロゼッタに向けた。
「……ありがとう、おじいちゃま」
安堵と申し訳なさが入り混じった声で感謝を告げた瞬間、ロゼッタの耳元に重みのある低音が響き渡った。ボーン、ボーン、と左右に揺れる振り子時計の音だ。
時空旅行によってその時代に留まれる時間はそう長くない。ついにその刻限が訪れたのだろう。
「何じゃ、もう帰ってしまうのか」
未来からやってきた孫との別れを悟ったのだろう。オーヴァンは寂しげに眉を下げた。
「もっと色々と聞いておきた……いや、それはよいか。本も未来も先の展開を知ってしまっては、面白くもなんともないからのぅ」
祖父らしい言葉だとロゼッタは小さく噴き出した。
「しかし……その顔、まだ何かやろうとしておるな? 何かを企んでおる時のばあさんと同じ目じゃわい」
ロゼッタの顔をじっと覗き込み、オーヴァンがにやりと笑う。祖父が、若い頃に亡くした妻の話を口にするのは初めてのことだった。
「うん。もう一ヶ所、どうしても行かなきゃいけない場所があるの」
「ならば気をつけて行くのじゃぞ。そして、向こうの連中に派手にぶちかましてやれ!」
オーヴァンの激励を受けながら、ロゼッタの体は内側から溢れ出した白い光に包まれ、溶けるように消えていく。
(さようなら、おじい様。また会えてよかった)
最後に見た祖父の誇らしげな笑顔を胸に、ロゼッタの意識は白い闇へと落ちていった。
(ここは……)
大量の本に囲まれた見覚えのある一室に、ロゼッタは立ち尽くしていた。そこは、幼い頃の自分が過ごした実家の自室だった。
そして、やけに目線が低いことに気づく。思わず自分の手を見下ろすと、そこには丸みを帯びた小さな指があった。
ロゼッタが指定した座標は十数年前。どうやら、無事転移に成功したようだ。
(その時間に直接飛ぶんじゃなくて、当時の自分に意識を同調させるらしいけど……)
これなら、外部の人間として怪しまれることもない。幼い自分の体を借りて、ロゼッタは部屋を出ることにした。
見知った廊下を進んでいく。
甲高いわめき声が飛んできたのは、妹の部屋を通りかかった時だった。
うっすらと開いた扉の隙間から中を覗き込むと、顔を真っ赤にしたシャロンが家庭教師を鋭く睨みつけていた。
「なんでシャロンが勉強なんてしないといけないの!」
「そう仰らずに。立派な淑女になるためでございますよ」
「『シャロンは可愛いから、笑ってるだけでいい』ってお父様もお母様も言ってたもん! 仕事なんてぜーんぶロゼッタにやらせればいいじゃない!」
耳を疑うような言い草に呆れつつも、気にするだけ無駄だとロゼッタはそのまま先を急ぐ。向かった先は祖父オーヴァンの自室だった。
「うひょうひょ~! もうちっとで完成じゃーい!」
部屋に近づくにつれて、陽気な笑い声が聞こえてくる。扉を開けると、顔をインクで汚した祖父が室内をスキップして回っていた。
そしてテーブルの上には、一冊の本が静かに置かれていた。
そう、この日は魔導書が完成した日なのだ。
(おじい様……)
もう一生会えないと思っていた人が、確かに今、目の前にいる。白昼夢を見ているような心地になり、ロゼッタは目頭が熱くなった。
「ぐおっ!」
テーブルの角に思いきり腰をぶつけたらしい。オーヴァンは苦悶の表情を浮かべ、その場に崩れ落ちた。ロゼッタの瞳から零れかけた涙が、一瞬で乾く。
「おじいちゃま、ちょっと落ち着いて」
「おお、ロゼッタか……ちょうどお前を呼びに行こうと思っていたところなんじゃ。ついに魔導書が完成するぞぃ。たたた……」
痛みで冷静さを取り戻したのか、オーヴァンは腰を擦りながら再び椅子に座った。
「さて、ロゼッタも来たことだし、最後の仕上げにタイトルを書き入れるかのう」
そう呟いて、羽ペンにたっぷりとインクを浸していく。
「ねえ、おじいちゃま。ひとつだけお願いがあるのだけど」
その手元をじっと見つめ、ロゼッタは小さく首を傾げた。
「うむ、可愛い孫娘の願い事じゃ。なんだって聞いてあげるぞ」
「あのね、一番最後のページに、今から言うことを書いて欲しいの」
嬉しそうに目尻を下げる祖父に、その内容を伝える。
(こんなことを言い出せば、不審に思われるのはわかっているけど……)
祖父の盲目的な甘さに全幅の信頼を寄せながらも、ロゼッタの声は緊張で震えていた。
「ほうほう……まあ、ワシの手にかかればその程度、造作もないことじゃがな」
ロゼッタの話に耳を傾けていたオーヴァンは、ふいに天井を仰いで黙り込んだ。何かを深く考え込む時の祖父の仕草だ。
「ちと聞いてもいいかのぅ?」
そう言って顔を下ろしたオーヴァンの目から、先ほどまでの甘さは消えていた。すべてを見透かすような達観した眼差しが、ロゼッタをまっすぐ見つめる。
「そなたは今、どこにおるのじゃ?」
「…………」
ロゼッタは一瞬の迷いの後、意を決して口を開いた。
「……ルミナリア王国」
「おお、あの偏屈男が治める国か。よしよし、ならばお前の言う通りにせねばなかろうて」
「おじいちゃま、本当にそれでいいの?」
あまりにあっさり了承されて、ロゼッタは少し心配になってくる。
けれど、オーヴァンに残念がっている素振りはなく、ただ優しく微笑んでいるだけだった。
「それで皆が救われるのじゃろう? どうやらワシの魔導書が、随分と迷惑をかけたようじゃからな。誰が勝手に使いおったかは知らんが、このぐらいの罪滅ぼしはせんとな」
「ううん、違うの。悪いのはおじいちゃまじゃ……っ」
「ほいほい……っと。ほれ、こんなもんでいいじゃろう」
オーヴァンはペンを置くと、書き込みを加えたばかりのページをロゼッタに向けた。
「……ありがとう、おじいちゃま」
安堵と申し訳なさが入り混じった声で感謝を告げた瞬間、ロゼッタの耳元に重みのある低音が響き渡った。ボーン、ボーン、と左右に揺れる振り子時計の音だ。
時空旅行によってその時代に留まれる時間はそう長くない。ついにその刻限が訪れたのだろう。
「何じゃ、もう帰ってしまうのか」
未来からやってきた孫との別れを悟ったのだろう。オーヴァンは寂しげに眉を下げた。
「もっと色々と聞いておきた……いや、それはよいか。本も未来も先の展開を知ってしまっては、面白くもなんともないからのぅ」
祖父らしい言葉だとロゼッタは小さく噴き出した。
「しかし……その顔、まだ何かやろうとしておるな? 何かを企んでおる時のばあさんと同じ目じゃわい」
ロゼッタの顔をじっと覗き込み、オーヴァンがにやりと笑う。祖父が、若い頃に亡くした妻の話を口にするのは初めてのことだった。
「うん。もう一ヶ所、どうしても行かなきゃいけない場所があるの」
「ならば気をつけて行くのじゃぞ。そして、向こうの連中に派手にぶちかましてやれ!」
オーヴァンの激励を受けながら、ロゼッタの体は内側から溢れ出した白い光に包まれ、溶けるように消えていく。
(さようなら、おじい様。また会えてよかった)
最後に見た祖父の誇らしげな笑顔を胸に、ロゼッタの意識は白い闇へと落ちていった。