国を追われましたが、文官令嬢としてセカンドライフを送ります!

第八章 隠されし魔法③

「『満天を焦がす紅き凶星よ、触れるもの悉くを無に還せ』!」

 澄み切った青空の下、しゃがれ声が虚しく響き渡る。
 魔導書の復活を待ち続けながら、レオナールは懸命に呪文を叫び続けていた。特にやることのない兵士たちが、その哀れな光景を期待と不安の入り混じった顔で見守る。

「満天を焦がす紅き……ゲホォッ!」
「陛下!」

 涙目で噎せるレオナールに、宰相が水の入った水筒を差し出す。

「く、くそぉ、まだ魔法は使えないのか……」

 喉を潤し、深く息を吐いてから、レオナールは魔導書を睨みつけた。
 世界の王としての力を見せつけるはずが、これでは無様な姿を晒しているだけではないか。背中に突き刺さる兵士たちの視線が痛い。

「ねえ、まだですの!? お腹がすきましたし、足も疲れてきましたわ!」

 クッキーをザクザクとかじりながら、シャロンが溜まりに溜まった鬱憤をぶちまけるように声を荒らげた。

「シャ、シャロン、さっきも説明しただろう? もうすぐ、本当にあと少しで魔導書が使えるようになるんだ。お願いだから、大人しく待っていてくれないかい?」
「さっきからそればっかり! グズグズしてないで早くしなさいよ、このダメ男!」
「ダメ……っ」

 手厳しい罵倒を浴びせられ、レオナールは口角をひくつかせた。一発ぐらいなら殴っても許されるのではと、思わず拳を握ってしまう。

「陛下。お気持ちはわかりますが、暴力はいけません。どうかお鎮まりください!」

 不穏な気配を察した宰相が、必死の面持ちでレオナールを宥めにかかる。
 ひりついた空気が漂い始める中、兵士のひとりがふとレオナールの右手にある魔導書に目を向ける。

「へ、陛下、魔導書が光っております!」
「は?」

 見れば、魔導書が淡く青白い光を帯び始めていた。製本係が顔にぱっと喜色を浮かべる。

「ご安心くださいませ。恐らく魔力が戻ったものと思われます。これで再び使えるはずです!」
「ふん……本の分際で随分と私を待たせてくれたな」

 先ほどまでの見苦しい醜態はどこへやら、レオナールは気障ったらしくクールに微笑んだ。

「部隊長、ルミナリア王都の様子はどうだ?」
「……現在、結界は張られていないと見受けられます!」

 望遠鏡を覗き込んだ部隊長が上ずった声で報告すると、周囲の兵士たちからも小さな歓声が上がった。
 報告を聞いたレオナールは、美しい顔を伏せながら、くつくつと喉を鳴らした。

「さては、私たちが引き上げたとでも勘違いしているな? 馬鹿な連中め。今こそ一網打尽にできる絶好のチャンスではないか!」

 自信たっぷりに魔導書を構え、大きく息を吸い込む。

「『満天を焦がす紅き凶星よ、触れるもの悉くを無に還せ』!」

 そしてルミナリア王国に引導を渡す呪文が、高らかに放たれた。

「……ん?」

 心地よいそよ風が、レオナールの頬を優しく撫でる。空では白い雲がゆったりと流れ、どこか遠くから小鳥のさえずりが聞こえてきた。

(……どういうことだ。呪文は確かに唱えた。なのになぜ、何も起こらない!?)

 混乱するレオナールの手元で、あり得ない異変が起こった。

「へ、陛下。魔導書が……」

 傍らにいた宰相が声を震わせる。

「いや、これは何かの間違いだ。もう一度唱えて……」
「燃えております」
「だからわかっている。燃えて……って、燃えてる!? ぎゃあああ、熱っ!?」

 激しく燃え始めた魔導書に、レオナールはぎょっと目を剥いた。裏返った悲鳴を上げ、慌てて地面に投げ捨てた。

「何をボサッとしているんだ、貴様ら! 早く消し止めろ!」

 レオナールの怒号で我に返った兵士たちは、携帯していた水を一斉に浴びせかけた。ところが、炎は鎮まるどころか、周囲の酸素を喰らってますます激しさを増していく。
 まるで魔導書そのものが、自ら死を選んだかのように。
 古代文字の綴られたページが瞬く間に真っ黒な灰となり、風にさらわれてどこかへと消えていく。
 やがて一国を滅ぼしかけた本は、焦げた臭いだけを残して跡形もなく焼失してしまった。

「うわぁぁぁっ!!」

 レオナールの絶叫が、絶望に花を添える。宰相はあまりのショックで、今にも卒倒しかけていた。

「わ、私の魔導書、魔導書がぁ……」

 抜け殻のように地面へとへたり込んだレオナールの脳裏には、魔導書を振るっていた時の記憶が、走馬灯のように駆け巡っていた。

「陛下、今すぐ撤退しましょう!」

 部隊長が青ざめた顔で申し出るが、レオナールは頷かない。悔しさに満ちた顔で、八つ当たりするように部下を睨みつけた。

「ここまで来て、帰れるものか! こうなったら、このまま進軍して王都を潰してやる!」
「頭のネジでも外れたのですか!?」

 あまりにも無謀な君主に、部隊長は本気で怒鳴りつけた。

「魔導書なしで勝てるわけがないでしょう! ルミナリア王国から兵が押し寄せてくれば、数で劣る我々はひとたまりもありません!」
「ぐっ……それをなんとかするのが貴様ら兵士の役目だろうが! 王の命令は絶対だ、命を捨ててでも果たせ!」

 利己的な命令に応じる者は誰もいなかった。
 こうしている間にも、ルミナリア王国では迎撃の準備が着々と進んでいるだろう。
 大義名分もないまま、不意打ちで王都を焼こうとしたのだ。報復に燃える彼らの怒りがどれほどか、想像するだけで兵士たちは背筋を凍らせた。

「撤退だ! レオナール陛下を馬車に放り込め!」
「はっ!」

 部隊長の号令に、兵士たちが待ってましたとばかりに動き出す。

「貴様たち、何をする!  離せ、不敬だぞ!」
「いいからとっとと入ってください、陛下っ!」

 抵抗する間もなく、レオナールは数人がかりで馬車に詰め込まれた。その後から、シャロンが鼻唄交じりに乗り込む。

「よくわからないけど、やっと帰れますのね。早く血の滴るようなステーキと、山盛りの甘いケーキが食べたいですわ!」

 この切迫した状況を理解する気などさらさらないようで、頬に両手を当ててはしゃいでいる。

「隊長、捕らえた警備隊はどうします? 人質として連れて行きますか?」
「さらに罪を重ねてどうする! 奴らを放置していけば救助に時間を割くはずだ。構わず置いていけ!」

 こうして覇道への第一歩を踏み出すはずだったエリアン王国は、わずか半日足らずで後退を余儀なくされたのだった。

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