真夜中にハーブティーを、あなたとふたりで
プロローグ
電車の中でうたた寝をして、最寄り駅の名前を聞いて飛び起きた。
降りたホームで目にしたのは、今年初めての雪だ。
寒いはずだとマフラーを鼻の上まであげながら改札を出て、バスの列に並ぶ。
私の前にいる数人は、白い息を吐きながら身を縮めていた。天気予報では雪が降るなんて言っていなかったから、傘を持つ人はまばらだ。
鞄からスマホを取り出し時間を確認する。バスが到着するまであと五分。
東京都内まで一時間と少し。ベッドタウンとして数十年前に開発されたこの町は、私が子供の頃と比べると人口が減ったらしい。
駅の南口にあるロータリーの横には小さな公園があり、時々そこで子供を遊ばせる親子を見かける。
普段は気にもかけないその公園に視線を向けたのは、偶然だった。
小さな滑り台と、色褪せたパンダとコアラの遊具、それにブランコがふたつ。そのブランコに男の人がひとり座っていた。
街灯に照らされた姿が、なんだかとても寂しげに見える。
彼はこちらに背を向け、線路を見ながらブランコを揺らしていた。
胸がざわりとした。
私は特に親切でもお節介でもない。でも、無性にこのまま立ち去るのは気が咎めた。
もう一度スマホの時間を確認して、私はバスに並ぶ列から離れた。
「あのっ」
突然背後から私に声をかけられた彼は、ゆっくりと振り向く。心ここにあらずというような緩慢な動作に、心臓がバクバクした。
「こ、これ。使ってください」
鞄から折りたたみ傘を取り出し、強引に押し付ける。
彼は手にした折りたたみ傘と私を交互に見て、戸惑ったような表情をした。
長い前髪で顔ははっきりと見えないけれど、乾いた唇が「あの……」とぎこちなく動く。
「私、バスに乗るんです! 家はバス停の近くだから、傘がなくても大丈夫です」
早口でそう告げると、ちょうどバスがロータリーに入ってきた。
「……では失礼します」と軽く頭を下げ、テールランプが光るバスへと走る。
私が乗ると同時に、プシューと扉が閉まる音がした。
空いている席に座って後ろを振り返ると、ちょうど私の傘が闇に開いた瞬間だった。どうやら不審がることなく使ってくれるらしい。
ほっとすると同時に、どうしてあんなことをしたのだろうと自分でも不思議に思う。
単なる気まぐれ、思いつき、ちょっとした親切心。まぁ、そんな日もあるだろう。
そう納得した雪の日を、私――百瀬香帆は随分と長い間忘れていた。
電車の中でうたた寝をして、最寄り駅の名前を聞いて飛び起きた。
降りたホームで目にしたのは、今年初めての雪だ。
寒いはずだとマフラーを鼻の上まであげながら改札を出て、バスの列に並ぶ。
私の前にいる数人は、白い息を吐きながら身を縮めていた。天気予報では雪が降るなんて言っていなかったから、傘を持つ人はまばらだ。
鞄からスマホを取り出し時間を確認する。バスが到着するまであと五分。
東京都内まで一時間と少し。ベッドタウンとして数十年前に開発されたこの町は、私が子供の頃と比べると人口が減ったらしい。
駅の南口にあるロータリーの横には小さな公園があり、時々そこで子供を遊ばせる親子を見かける。
普段は気にもかけないその公園に視線を向けたのは、偶然だった。
小さな滑り台と、色褪せたパンダとコアラの遊具、それにブランコがふたつ。そのブランコに男の人がひとり座っていた。
街灯に照らされた姿が、なんだかとても寂しげに見える。
彼はこちらに背を向け、線路を見ながらブランコを揺らしていた。
胸がざわりとした。
私は特に親切でもお節介でもない。でも、無性にこのまま立ち去るのは気が咎めた。
もう一度スマホの時間を確認して、私はバスに並ぶ列から離れた。
「あのっ」
突然背後から私に声をかけられた彼は、ゆっくりと振り向く。心ここにあらずというような緩慢な動作に、心臓がバクバクした。
「こ、これ。使ってください」
鞄から折りたたみ傘を取り出し、強引に押し付ける。
彼は手にした折りたたみ傘と私を交互に見て、戸惑ったような表情をした。
長い前髪で顔ははっきりと見えないけれど、乾いた唇が「あの……」とぎこちなく動く。
「私、バスに乗るんです! 家はバス停の近くだから、傘がなくても大丈夫です」
早口でそう告げると、ちょうどバスがロータリーに入ってきた。
「……では失礼します」と軽く頭を下げ、テールランプが光るバスへと走る。
私が乗ると同時に、プシューと扉が閉まる音がした。
空いている席に座って後ろを振り返ると、ちょうど私の傘が闇に開いた瞬間だった。どうやら不審がることなく使ってくれるらしい。
ほっとすると同時に、どうしてあんなことをしたのだろうと自分でも不思議に思う。
単なる気まぐれ、思いつき、ちょっとした親切心。まぁ、そんな日もあるだろう。
そう納得した雪の日を、私――百瀬香帆は随分と長い間忘れていた。
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