異世界に来て10年、伝えられないままの片想い

第10章 隣にいるべきじゃない――それでも離せなかった

「よ、副師団長。ミドリちゃんとは上手くいっているみたいだな? いや~、よかった、よかった」

軽い口調で、ジェイルはバルスの肩をバシバシと叩いた。

バルスは心底迷惑そうな顔をして、その手をはねのける。

「心配してくれとは頼んでいないが」

睨みつけてから、低く続けた。

「お前だろう。他の奴に言いふらしたのは」

「まぁまぁ、怒るなよ。ったく、相変わらずだな。そんな調子じゃ、ミドリちゃんに飽きられるぞ」

ジェイルは、後輩なら怯えるような視線にもまったく動じず、へらへらと笑う。

「余計なお世話だ」

短く返してから、バルスは話を切り替えた。

「悪いが、偵察に行ってくれるか」

「お前なぁ、いい加減、副師団長の立場に慣れろよ」

呆れたように肩をすくめるジェイルに、

「そもそも、俺は――」

と低くぼやきかけた言葉を遮るように、ジェイルが割って入る。

「へいへい、お前が無茶やりすぎた結果だろ? ……あんまり、ミドリちゃんを泣かせるなよ」

「お前に言われなくてもわかっている」

再び睨みつけてから、バルスは小さく息を吐いた。

「ローレンツ国が、国境付近に兵を集め始めている。密偵から報告があった」

空気が、わずかに変わる。

「……あそこは、最近いい噂を聞かないからな」

「王はもともと好戦的だ。いずれとは思っていたが……動きが早い。正気とは思えない」

「ただ、相手がどうであれ、この国もただでは済まないな」

「ああ……」

短く応じてから、バルスは背を向けたジェイルに声をかける。

「あんまり無茶するなよ」

ジェイルは振り返り、苦笑する。

「それはお前の特権だろ。俺は、お前ほど命知らずじゃねぇよ」

軽く片手を上げ、そのまま去っていった。

――――――――――

「え、あれ、どうか……したんですか?」

台所で夕食の準備をしていた私は、いつのまにかバルスの腕の中に囲われていた。

そのまま、いつもと同じようにソファーへと抱き上げられる。

普段なら、ただ嬉しいだけのはずなのに。

どこか違う空気に、胸の奥がざわめく。

「……何かありましたか?」

不安になり、表情の硬いバルスの顔を見上げる。

彼は一瞬だけ私を見たけれど、すぐに目を逸らした。

「明後日から、オレの部隊は国境付近へ向かう」

低く、淡々と続ける。

「いつ戻れるかはわからない。……婚姻式は、中止になる」

「え……」

頭の中が、真っ白になる。

あと1か月で、奥さんになれるはずだったのに。

言葉が、うまく出てこない。

「ミドリ……」

その声で、ようやく我に返る。

「……でも」

なんとか、言葉を繋ぐ。

「ちゃんと、戻ってきてくれますよね」

願うように見上げる。

――返してほしい言葉は、ひとつだけなのに。

「それは……」

そこで言葉が止まり、沈黙が落ちる。

どうして、答えてくれないんだろう。

いつもなら、そんなの当たり前だって言ってくれるのに。

不安が、じわじわと広がっていく。

私は、ぎゅっとバルスに抱きついた。

「約束してくれるまで、離れませんから」

縋るように言うと、バルスの腕がわずかに強くなった。

一瞬だけ――抱きしめる力が、さっきまでとは違う。

まるで、離さないのではなく、離せなくなっているみたいに。

バルスは小さくため息をつき、私の髪をゆっくりと撫でた。

しばらくの沈黙のあと、

「あまりくっつかれると、押し倒されても文句は言えないぞ」

冗談めかした言葉なのに、声はどこか低かった。

「あの……私はバルスにだったら――」

言いかけて、自分の言葉に顔が熱くなる。

だけど、言い終わる前に、唇に触れられる。

軽く触れたはずなのに、すぐには離れなかった。

ほんのわずかに、ためらうように触れたまま止まる。

更に、顔が真っ赤になって固まる。

心臓が、さっきとは違う意味で暴れ出す。

けれど。

目の前にあるのは――どこか寂しそうな表情だった。

「……すまない」

低く呟いて、視界が手で覆われる。

その声は、私に向けたものというより――自分を押しとどめるような響きを含んでいた。

何かの詠唱が、耳元で小さく響いた。

そのまま、意識が遠のいていった。

――――――――――

バルスは、小さく息を吐いた。

そのまま視線を落とす。

腕の中で眠るミドリの顔を見つめながら、ふと、思う。

正直、遠慮深いミドリがここまで甘えてくるようになったのは意外だった。

もっと甘やかしたいとも思う。

――けれど。

もし、このまま――オレに何かあれば。

ミドリは、一人で大丈夫なのだろうか。

その考えが、ここ最近ずっと頭から離れなかった。

「……やはり、オレのような半獣人の伴侶になるべきではない」

低く、押し殺すように呟く。

その言葉が、胸の奥に残った。

離れようとした、そのとき。

ミドリの指先が、無意識に服を掴んでいるのに気づく。

ほんの少しでも離れまいとするように。

その仕草に、胸の奥が強く締めつけられた。

ミドリの左手薬指にある婚約指輪に、そっと唇を触れる。

そして――

もう、二度と触れられないかもしれないその温もりを、確かめるように抱きしめた。

――この手を、離すと決めているのに。
そのために、選ばなければならない言葉があることも、わかっていた。
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