異世界に来て10年、伝えられないままの片想い
第17章 戻らない距離――それでも触れてしまう
お姉さんが村にある自宅へ帰ったあと、バルスはすぐに仕事へ戻ったみたいだ。
私はお見舞いに行った日から、バルスがうちの食堂に週に1度来るかどうかの食事のときくらいしか会えていない。ほとんど会えていないのと変わらない。
婚約者でも、恋人でもない。
ただの幼馴染に戻ったのだもの、仕方がない。
そう思おうとしているのに、どうしても寂しくて苦しくなる。
前は、バルスが家を留守にするときには家の管理を任されていたけれど、それもなくなって――ますます接点というものが消えてしまった。
しょうがない、しょうがないと自分に言い聞かせる。そういうときは、鏡を見る。
バルスに釣り合わない自分を、ちゃんと思い出せるから。
婚約指輪は、今も机の引き出しの中に大切にしまってある。バルスが帰るまでは願掛けみたいにネックレスに通していたけれど、さすがに見つかったら気まずいし。
指輪を見ると振られたことを思い出して苦しくなる。
それでも――幻になった新婚生活を、一人で想像してしまうこともある。
そして、そのあとに残るのはどうしようもない虚しさだけ。
彼に他の女性の影が見えないことに、ほっとする自分がいる。
でも結局、私のことを女性として好きではなくなっただけなんだと、思い知らされる。
……それって、致命的でしょ。
離れてしまった心を取り戻す方法なんて、きっとない。
――――――――――
「明日ね、お城へ、食事亭の定期報告書を出しに行くんです。営業の更新もあって」
私はバルスと食事をとりながら、なんとなく自分の予定を話す。
ミレーヌさんたちは、昼時を外した時間にバルスが来ると、私を昼食に送り出してくれる。
「あぁ、そうか。明日夜勤だから、昼からでよければ送っていくが?」
「本当? えっと……迷惑じゃないですか?」
「いや、ついでだしな」
少しだけ苦笑いを浮かべるバルスに、胸が少し軽くなる。
それから――
「その前に、久々に公園にでも寄っていくか?」
思いがけない言葉に、心臓が跳ねた。
どうしたんだろう。何かいいことでもあったのかなと思いながらも、断る理由なんてあるはずがない。
「あ、うん、行く。あの……そこでお弁当食べてもいいですか? 私、サンドイッチ作っていくから」
つい、欲張りなお願いまで口にしてしまう。
バルスは少し目を細めてから、
「あぁ、そうだな。助かる」
と、あっさり受け入れてくれた。
――嬉しい。
久しぶりに、長く一緒にいられる。
もう、こんな機会はないかもしれない。
そう思うと、どうしようもなく胸が高鳴った。
――――――――――
すっかり忘れていたけれど、バルスは仕事に行くとき、馬車ではなく自分の馬に乗る。
そして今、私はバルスの前に同乗している。
乗馬経験がほとんどない私は、どうしてもバルスに身を預ける形になってしまう。
背中に伝わる体温。腕の感触。しっかりとした胸板。
恥ずかしくて、嬉しくて、そして懐かしい。
こんなふうに彼の腕の中に居場所を求めてしまう自分が、どうしようもなく惨めに思えてくる。
……本当に、未練たらしい。
こんなことを考えていると知られたら、また距離を置かれてしまうかもしれない。
そこまで思って、ふっと苦笑する。
――もう、とっくに距離は置かれているのに。
「夜勤前に急きょ会議が入ったから、あまり長居はできない。すまないな」
「え、あ……ううん、大丈夫です」
公園の入り口で、バルスは軽やかに馬を降りる。
そのまま自然な動きで手を伸ばし、私を抱き下ろした。
「あ、ありがとう」
「いや」
そっけない返事。
それでも、その動作はあまりにも自然で――余計に、胸が痛くなる。
――――――――――
「どうですか?」
「あぁ、美味しくできている」
その一言に、ほっと胸をなでおろす。
私もサンドイッチにかぶりつきながら、少しだけ胸が痛んだ。
前は、もっと近くで食べていたはずなのに。
触れ合うくらいの距離で。
人目がなければ、彼の腕の中に埋もれて池を眺めていたこともあった。
――あの時は、二度と戻らない。
今は、きっちりと正しい距離が空いている。
「怪我はもう大丈夫ですか?」
「あぁ、問題ない。訓練にも出ている」
「そうなんだ、よかった」
「ミドリは……」
言葉が途切れる。
「あの?」
私が首をかしげると、バルスは視線を池へと向けたまま、ぽつりと続けた。
「オレが怖くはないのか?」
「えっ……?」
あまりにも予想外で、言葉が出ない。
「オレは、国を守るためとはいえ、多くの命を奪ってきた。これからもきっと……。ミドリのいた国は平和なのだろう?」
その言葉の意味は、なんとなく分かる。
「……後悔していますか? 騎士になったこと」
「いや。この国の王は、無闇な戦を望まない方だからな」
「じゃあ、この国を守るために戦っているんですよね」
「あぁ、そうありたいとは思っている」
その言い方が、いかにもバルスらしくて、少しだけ笑いそうになる。
「私のいた国は、生まれたころには戦争が終わっていて、とても平和だったから……」
言葉を探しながら続ける。
「人を傷つけるのも、傷つけられるのを見るのも、すごく嫌で……」
「そうか」
「戦争は、すごく怖かったです……」
そこまで言って、言葉が詰まる。
「……もういい。変なことを聞いて悪かったな」
そう言って、バルスが軽くポンと頭に触れる。
その手の感触に、胸がぎゅっと締めつけられる。
――違う。
ちゃんと答えないと。
「あの、私は……」
言葉がうまく出てこない。
それでも、なんとか絞り出す。
「バルスのそばが、一番安心するの」
言ってしまってから、慌てて言葉を足す。
「ち、違うの、その、変な意味じゃなくて……友人だし、本当にお世話になってきたし……だから、怖いなんて思うはずがないって」
……言い訳が、下手すぎる。
顔が熱い。
バルスは少しだけ目を細めて、湖の方を見たまま、
「……わかった」
とだけ返した。
「もうそろそろ時間だ。慌ただしくて悪いな」
「あ、うん……」
片付けながら、ちらりと横顔を見る。
――絶対、うざいと思われてる。
そんな考えが浮かんで、思わずため息が出る。
どうして、こんなに簡単に気持ちが零れてしまうんだろう。
どうにかして引き止めたいという思いが、無意識に働いているのかな。
彼に奥さんができたとき、私はちゃんとおめでとうと言えるのだろうか。
最近は、そんな夢ばかり見る。
バルスが幸せそうに、隣の女性を紹介してくる夢を――何度も。
目が覚めるたびに、胸の奥がひどく痛んだ。
……もう戻らないって、分かっているのに。
私はお見舞いに行った日から、バルスがうちの食堂に週に1度来るかどうかの食事のときくらいしか会えていない。ほとんど会えていないのと変わらない。
婚約者でも、恋人でもない。
ただの幼馴染に戻ったのだもの、仕方がない。
そう思おうとしているのに、どうしても寂しくて苦しくなる。
前は、バルスが家を留守にするときには家の管理を任されていたけれど、それもなくなって――ますます接点というものが消えてしまった。
しょうがない、しょうがないと自分に言い聞かせる。そういうときは、鏡を見る。
バルスに釣り合わない自分を、ちゃんと思い出せるから。
婚約指輪は、今も机の引き出しの中に大切にしまってある。バルスが帰るまでは願掛けみたいにネックレスに通していたけれど、さすがに見つかったら気まずいし。
指輪を見ると振られたことを思い出して苦しくなる。
それでも――幻になった新婚生活を、一人で想像してしまうこともある。
そして、そのあとに残るのはどうしようもない虚しさだけ。
彼に他の女性の影が見えないことに、ほっとする自分がいる。
でも結局、私のことを女性として好きではなくなっただけなんだと、思い知らされる。
……それって、致命的でしょ。
離れてしまった心を取り戻す方法なんて、きっとない。
――――――――――
「明日ね、お城へ、食事亭の定期報告書を出しに行くんです。営業の更新もあって」
私はバルスと食事をとりながら、なんとなく自分の予定を話す。
ミレーヌさんたちは、昼時を外した時間にバルスが来ると、私を昼食に送り出してくれる。
「あぁ、そうか。明日夜勤だから、昼からでよければ送っていくが?」
「本当? えっと……迷惑じゃないですか?」
「いや、ついでだしな」
少しだけ苦笑いを浮かべるバルスに、胸が少し軽くなる。
それから――
「その前に、久々に公園にでも寄っていくか?」
思いがけない言葉に、心臓が跳ねた。
どうしたんだろう。何かいいことでもあったのかなと思いながらも、断る理由なんてあるはずがない。
「あ、うん、行く。あの……そこでお弁当食べてもいいですか? 私、サンドイッチ作っていくから」
つい、欲張りなお願いまで口にしてしまう。
バルスは少し目を細めてから、
「あぁ、そうだな。助かる」
と、あっさり受け入れてくれた。
――嬉しい。
久しぶりに、長く一緒にいられる。
もう、こんな機会はないかもしれない。
そう思うと、どうしようもなく胸が高鳴った。
――――――――――
すっかり忘れていたけれど、バルスは仕事に行くとき、馬車ではなく自分の馬に乗る。
そして今、私はバルスの前に同乗している。
乗馬経験がほとんどない私は、どうしてもバルスに身を預ける形になってしまう。
背中に伝わる体温。腕の感触。しっかりとした胸板。
恥ずかしくて、嬉しくて、そして懐かしい。
こんなふうに彼の腕の中に居場所を求めてしまう自分が、どうしようもなく惨めに思えてくる。
……本当に、未練たらしい。
こんなことを考えていると知られたら、また距離を置かれてしまうかもしれない。
そこまで思って、ふっと苦笑する。
――もう、とっくに距離は置かれているのに。
「夜勤前に急きょ会議が入ったから、あまり長居はできない。すまないな」
「え、あ……ううん、大丈夫です」
公園の入り口で、バルスは軽やかに馬を降りる。
そのまま自然な動きで手を伸ばし、私を抱き下ろした。
「あ、ありがとう」
「いや」
そっけない返事。
それでも、その動作はあまりにも自然で――余計に、胸が痛くなる。
――――――――――
「どうですか?」
「あぁ、美味しくできている」
その一言に、ほっと胸をなでおろす。
私もサンドイッチにかぶりつきながら、少しだけ胸が痛んだ。
前は、もっと近くで食べていたはずなのに。
触れ合うくらいの距離で。
人目がなければ、彼の腕の中に埋もれて池を眺めていたこともあった。
――あの時は、二度と戻らない。
今は、きっちりと正しい距離が空いている。
「怪我はもう大丈夫ですか?」
「あぁ、問題ない。訓練にも出ている」
「そうなんだ、よかった」
「ミドリは……」
言葉が途切れる。
「あの?」
私が首をかしげると、バルスは視線を池へと向けたまま、ぽつりと続けた。
「オレが怖くはないのか?」
「えっ……?」
あまりにも予想外で、言葉が出ない。
「オレは、国を守るためとはいえ、多くの命を奪ってきた。これからもきっと……。ミドリのいた国は平和なのだろう?」
その言葉の意味は、なんとなく分かる。
「……後悔していますか? 騎士になったこと」
「いや。この国の王は、無闇な戦を望まない方だからな」
「じゃあ、この国を守るために戦っているんですよね」
「あぁ、そうありたいとは思っている」
その言い方が、いかにもバルスらしくて、少しだけ笑いそうになる。
「私のいた国は、生まれたころには戦争が終わっていて、とても平和だったから……」
言葉を探しながら続ける。
「人を傷つけるのも、傷つけられるのを見るのも、すごく嫌で……」
「そうか」
「戦争は、すごく怖かったです……」
そこまで言って、言葉が詰まる。
「……もういい。変なことを聞いて悪かったな」
そう言って、バルスが軽くポンと頭に触れる。
その手の感触に、胸がぎゅっと締めつけられる。
――違う。
ちゃんと答えないと。
「あの、私は……」
言葉がうまく出てこない。
それでも、なんとか絞り出す。
「バルスのそばが、一番安心するの」
言ってしまってから、慌てて言葉を足す。
「ち、違うの、その、変な意味じゃなくて……友人だし、本当にお世話になってきたし……だから、怖いなんて思うはずがないって」
……言い訳が、下手すぎる。
顔が熱い。
バルスは少しだけ目を細めて、湖の方を見たまま、
「……わかった」
とだけ返した。
「もうそろそろ時間だ。慌ただしくて悪いな」
「あ、うん……」
片付けながら、ちらりと横顔を見る。
――絶対、うざいと思われてる。
そんな考えが浮かんで、思わずため息が出る。
どうして、こんなに簡単に気持ちが零れてしまうんだろう。
どうにかして引き止めたいという思いが、無意識に働いているのかな。
彼に奥さんができたとき、私はちゃんとおめでとうと言えるのだろうか。
最近は、そんな夢ばかり見る。
バルスが幸せそうに、隣の女性を紹介してくる夢を――何度も。
目が覚めるたびに、胸の奥がひどく痛んだ。
……もう戻らないって、分かっているのに。