異世界に来て10年、伝えられないままの片想い

番外編:婚約時代① 抱きしめられた理由——離さなかった手の温度

あれから1か月。

私は、かなり深刻なバルス不足に陥っていた。

彼は思っていた以上に仕事が忙しくなってしまって、会えるのはせいぜい週に1度。

それだけでも嬉しいはずなのに、顔を合わせるたびに気になってしまう。

――疲れてる。

明らかにそう分かるからこそ、私は抱きつくのを我慢してしまっていて。

結局、あの日以来、きちんと抱きしめてもらえていない。

……そこで、ふと気づいてしまった。

そういえば、バルスのほうから抱きしめてくれたことって、ほとんどないんじゃないか、と。

胸の奥が、じわっと重くなる。

バルスって、あんまりそういうの、好きじゃないのかな。

それとも――私だから?

女性的な魅力なんて、正直あるとは思えないし。

私があまりにもベタベタと付きまとうから、仕方なく奥さんにしてくれるだけだったらどうしよう……。

そんな考えが浮かんでしまって、ため息がこぼれる。

帰ってきたバルスに、ついぽろりと不安をこぼしてしまった。

次の瞬間。

何も言わずに引き寄せられて、抱きしめられる。

額に、頬に、そして唇に――軽く触れるだけの口づけが落ちた。

「ミドリは、オレがどれだけ我慢しているか、本当に分かっていないな」

低く落ちた声に、思考が一瞬止まる。

そのまま頬をぐいっと引っ張られて、私は完全に動揺してしまう。

「え、あ……」

言葉にならない私を見下ろして、バルスはどこか楽しげに目を細めた。

「式が終わったら、覚悟しておいた方がいい」

意地の悪い笑み。

「な……あ……」

何をどう返せばいいのか分からなくて、ただ顔が熱くなるばかりで。

結局、私はそのまま彼の胸に顔を埋めてしまった。

「そ、あ、が、頑張ります……?」

――何を。

言った瞬間に自分で分かって、恥ずかしさでどうにかなりそうになる。

そんな私を、バルスは小さく息をつきながら見下ろしていた。

―――――――――――――――――――

どうしてそういう勘違いにたどり着くのか。

バルスは内心、かなり大きなため息をついた。

一刻も早く手に入れたいと思う気持ちを、結婚式まではと必死に押し込めているだけだというのに。

それなのに。

無防備に胸に顔を埋めて、安心しきった顔をする。

嬉しい。

けれど同時に、これ以上は困るとも思う。

……本当に、無自覚に煽る。

「そういえば、お前はそうだったな」

ぽつりと呟いて、苦笑する。

しばらくして、ミドリが顔を埋めたまま小さく声を出した。

「あの、あのね」

「なんだ?」

「その……早く、奥さんになりたいです」

――だから。

どうしてそういうことを言うのか。

わずかに恨めしさを含んだ視線を向けながら、バルスは短く答える。

「……そうか」

それ以上は、言葉を増やせなかった。

「そうすれば、ここにいる自分を認められる気がして……」

その一言に、息が止まる。

「ミドリ……それは――」

言いかけて、止まる。

彼女の中にあるものの重さを、ようやく理解してしまったからだ。

「違うんです」

ミドリが顔を上げて、慌てて言葉を続ける。

「時々思うんです。もし、帰れるって分かったら、どうするのかなって」

その声は少しだけ揺れていた。

「家族のこと、大好きで……すごく会いたくて。でも同じくらい、あなたのことも好きで……」

その言葉は、想像していたよりもずっと重かった。

二度と戻れない場所に、大切な人たちを残してきた。

その現実を、改めて突きつけられる。

そして。

そんな彼女を、自分の勝手な考えから一度突き放した。

胸の奥に、鈍い痛みが走る。

無言のまま、強く抱きしめる。

ミドリは安心したように、また胸に顔を埋めた。

「でも、結婚したら……ここにいてもいいんだって思えるから。私は、もうここにしか居場所を求めないって決められるから」

少しだけ笑って、続ける。

「それに、私が幸せなら、家族もきっと喜んでくれると思うんです」

その言葉に、静かに息を吐く。

「甘えたければ、好きなだけ甘えていい」

低く、ゆっくりと告げる。

「オレはそのためにいるのだろう?」

ほんの少し間を置いてから、言葉を重ねる。

「ミドリの家族の代わりにはなれないが、寂しい思いはさせないようにする」

ミドリが顔を上げる。

真っ赤なまま、それでも嬉しそうに笑って。

「ずっと寂しかった……すごく、寂しくて」

一瞬、泣きそうな顔になる。

「だから……もっと、いっぱい抱きしめてほしいです」

バルスはそのまま彼女を抱き上げ、ソファに腰を下ろした。

なだめるように、背中をゆっくり撫でる。

ミドリはしばらく黙ったまま、胸に顔を埋めていたが、やがて小さく呟く。

「私、わがままばかりで……呆れてない?」

その言葉に、バルスはふっと笑った。

「むしろ足りないくらいだ」

少しだけからかうように続ける。

「ミドリは、我慢しすぎる」

その言葉に、ミドリはクスクスと笑う。

「やっぱり、甘やかしすぎ。……私がこうなの、半分バルスのせいですからね」

そう言いながらも、表情はやわらかい。

バルスがもう一度強く抱きしめると、腕の中でミドリは本当に幸せそうに笑った。
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