再会した冷徹上司は、私にだけ過保護です
第10話 渇く心は
「先輩、すみません! お待たせしちゃいましたか!?」
私は映画館の前に立っている冬馬先輩のそばに慌てて駆け寄った。
先輩、背が高いし、銀髪がキラキラと日光を反射していて目印にいいな、と失礼ながら思う。
「いや……本を読んでいたら時間が経つのが早いな」
先輩はパタンと文庫本を閉じた。
「……何分前からここに?」
「待ち合わせの30分前には着いた」
「結構前からスタンバイしてましたね!?」
そんなに映画見るのが楽しみだったとは思わなかった。
たしかに、今回見る映画は2人で共通して好きだった純文学作品が原作なので、私もわくわくはしている。
先輩は、閉じた本の表紙に視線を落としながら、ポツリと呟いた。
「お前を待ちぼうけさせるわけにはいかないだろう」
「え……」
「……1人にさせておくと、途中で他の店にでも目移りしてそうだからな」
「子どもですか私は」
なんだ、ちょっとドキドキして損したな。
でも、先輩の読んでた本、映画の原作だった。
私のことを心配しつつ、映画が楽しみなのは本当なのだろう。
「じゃあ、入りましょう、先輩。ポップコーンとかいります?」
「……コーラだけでいい」
私たちは並んで映画館の入口に向かった。
「この原作、10年以上前の作品ですよね」
「ああ。高校時代に俺達も読んでいたものだ」
ロングセラーの作品なら、10年越しに再び映像化、というのも、ありえない話ではない。
私は劇場で買ったパンフレットの表紙をまじまじと眺める。
映画のタイトル、『渇望の温度』の文字が大きく印刷されていた。
映画のネタバレになるかもしれないから、この場で広げて読むわけにはいかない。
私と先輩は既に知ってる作品なのでネタバレも何もないだろう、と思うかもしれない。
しかし、こうして映画館に足を運んでいる客の中には、初めて作品に触れる人もいるだろう。
そんな人達がうっかり目に入れて、映像体験が薄れたら嫌だな、と私は思う。
「俺達の仕事の中には、担当した作品のアニメ化、ドラマ化、映画化といった話も絡んでくることがある」
隣に座る先輩は、映画が始まる前から小さく囁くような声だった。
「今回は勉強として見ておけ。俺達が仕事として関わった作品が、どう羽ばたいていくか」
「はい」
私も小さな声で頷く。
多分、映画館で編集者という立場を知られては困ることもあるのだろう。
ブー、と上映を知らせるブザーが鳴り響く。
私たちは席に座り直し、スクリーンを注視した。
「うっ……うっ……」
「……小日向」
先輩は無表情のまま、隣の私にハンカチを差し出す。
映画はとっくに終了していて、私たちは映画館のロビーにいた。
ベンチに座る私がなぜ泣いているのかといえば……。
「……そういえば、お前は何度読んでもあのシーンで泣いてたな」
「だっで、ずっごいがなじぐでぇ……」
「ティッシュもいるか?」
「いりまず」
渡されたポケットティッシュで、ぷぴーっと鼻をかむ。
うぅ……勉強のつもりで見てたのに、感涙してしまった……。
周りの視線が気になるが、涙が止まらないのは仕方ない。
先輩にも迷惑かけちゃうなあ……。
女の子を泣かせてるの見たら、あまりいい印象はないだろうし……。
「ずみまぜん、ぜんぱい……」
「いい。泣き止んでから喫茶店に移動するぞ。腹も減ってるだろう」
言われて、腕時計を見ると、昼の12時を過ぎていた。
私が泣き止む頃には13時も近くなっている。
先輩は、私の涙でべちょべちょになったハンカチを、嫌な顔ひとつせずにカバンのポケットにしまった。
「やっぱり洗って返します……」
「俺の家で洗ったほうが効率的だろう」
そういう問題じゃないんだけど……。
……まあ、先輩が譲る様子もないから諦めるしかない。
喫茶店に移動して、2人でハンバーグセットを頼んだ。
食事よりも先に来たコーヒーを飲みながら、先輩が尋ねる。
「どうだった、映画は」
「いやあ~……大泣きしたなあ……」
「そうだな。お前もいつか、ああいう作品に携われるといいな」
先輩はこういうとき、私を冷やかしたりしない。
そういうところを信用しているし、尊敬している。
映画館で買ったパンフレットを開きながら、2人で感想会を開いた。
「やっぱり、あの原作のシーンの再現がすごかったですね! セリフの瞬間、桜吹雪がバーって!」
『一人で生きていける人もいる。でも、二人でいることを覚えてしまえば――心が渇く』
パンフレットの見開きに、そのセリフが大きく載っている。
この作品の代名詞、名台詞とも言えるシーンだ。
「私、このセリフめっちゃ好きなんですよ」
「お前、ここでも泣いてたもんな」
映画が進んでいくごとに、私は号泣していったのだった。
もし映画のCMに採用されたら、「本当にこんなに泣ける映画なのか?」と逆に疑念を抱いてしまうかもしれないレベル。
「……お前は、渇いたことがあるのか?」
不意に先輩にそう訊かれて、思わずキョトンとしてしまう。
先輩の顔を見ると、灰色の目が真っ直ぐに私を射抜いていた。
問われている内容を、頭の中でこねくり回しながら、なんとか言葉にしようとする。
「えっと……私は一人で生きていけるタイプじゃないので、やっぱり誰かといたほうが落ち着きますね」
「渇望するほど、誰かと一緒にいたかったことがあるのか?」
「えっ……?」
……質問の意図がどうにも掴めない。
なんでそんなこと聞くんだろう……?
困惑しているのが伝わったのか、「……いや。なんでもない」と、先輩はまたコーヒーカップに口をつけた。
「それにしても……」
先輩がコーヒーを飲んで、喉仏が動く。
それに見とれてしまって、スローモーションに見えた。
カップ越しに視線だけ寄越して、
「……あの頃より、今の方が落ち着いて見られるな」
高校時代も、こうして一緒に映画を見に行った。
その記憶を思い返しているのだと気付いたときには、ハンバーグセットが到着していた。
私は映画館の前に立っている冬馬先輩のそばに慌てて駆け寄った。
先輩、背が高いし、銀髪がキラキラと日光を反射していて目印にいいな、と失礼ながら思う。
「いや……本を読んでいたら時間が経つのが早いな」
先輩はパタンと文庫本を閉じた。
「……何分前からここに?」
「待ち合わせの30分前には着いた」
「結構前からスタンバイしてましたね!?」
そんなに映画見るのが楽しみだったとは思わなかった。
たしかに、今回見る映画は2人で共通して好きだった純文学作品が原作なので、私もわくわくはしている。
先輩は、閉じた本の表紙に視線を落としながら、ポツリと呟いた。
「お前を待ちぼうけさせるわけにはいかないだろう」
「え……」
「……1人にさせておくと、途中で他の店にでも目移りしてそうだからな」
「子どもですか私は」
なんだ、ちょっとドキドキして損したな。
でも、先輩の読んでた本、映画の原作だった。
私のことを心配しつつ、映画が楽しみなのは本当なのだろう。
「じゃあ、入りましょう、先輩。ポップコーンとかいります?」
「……コーラだけでいい」
私たちは並んで映画館の入口に向かった。
「この原作、10年以上前の作品ですよね」
「ああ。高校時代に俺達も読んでいたものだ」
ロングセラーの作品なら、10年越しに再び映像化、というのも、ありえない話ではない。
私は劇場で買ったパンフレットの表紙をまじまじと眺める。
映画のタイトル、『渇望の温度』の文字が大きく印刷されていた。
映画のネタバレになるかもしれないから、この場で広げて読むわけにはいかない。
私と先輩は既に知ってる作品なのでネタバレも何もないだろう、と思うかもしれない。
しかし、こうして映画館に足を運んでいる客の中には、初めて作品に触れる人もいるだろう。
そんな人達がうっかり目に入れて、映像体験が薄れたら嫌だな、と私は思う。
「俺達の仕事の中には、担当した作品のアニメ化、ドラマ化、映画化といった話も絡んでくることがある」
隣に座る先輩は、映画が始まる前から小さく囁くような声だった。
「今回は勉強として見ておけ。俺達が仕事として関わった作品が、どう羽ばたいていくか」
「はい」
私も小さな声で頷く。
多分、映画館で編集者という立場を知られては困ることもあるのだろう。
ブー、と上映を知らせるブザーが鳴り響く。
私たちは席に座り直し、スクリーンを注視した。
「うっ……うっ……」
「……小日向」
先輩は無表情のまま、隣の私にハンカチを差し出す。
映画はとっくに終了していて、私たちは映画館のロビーにいた。
ベンチに座る私がなぜ泣いているのかといえば……。
「……そういえば、お前は何度読んでもあのシーンで泣いてたな」
「だっで、ずっごいがなじぐでぇ……」
「ティッシュもいるか?」
「いりまず」
渡されたポケットティッシュで、ぷぴーっと鼻をかむ。
うぅ……勉強のつもりで見てたのに、感涙してしまった……。
周りの視線が気になるが、涙が止まらないのは仕方ない。
先輩にも迷惑かけちゃうなあ……。
女の子を泣かせてるの見たら、あまりいい印象はないだろうし……。
「ずみまぜん、ぜんぱい……」
「いい。泣き止んでから喫茶店に移動するぞ。腹も減ってるだろう」
言われて、腕時計を見ると、昼の12時を過ぎていた。
私が泣き止む頃には13時も近くなっている。
先輩は、私の涙でべちょべちょになったハンカチを、嫌な顔ひとつせずにカバンのポケットにしまった。
「やっぱり洗って返します……」
「俺の家で洗ったほうが効率的だろう」
そういう問題じゃないんだけど……。
……まあ、先輩が譲る様子もないから諦めるしかない。
喫茶店に移動して、2人でハンバーグセットを頼んだ。
食事よりも先に来たコーヒーを飲みながら、先輩が尋ねる。
「どうだった、映画は」
「いやあ~……大泣きしたなあ……」
「そうだな。お前もいつか、ああいう作品に携われるといいな」
先輩はこういうとき、私を冷やかしたりしない。
そういうところを信用しているし、尊敬している。
映画館で買ったパンフレットを開きながら、2人で感想会を開いた。
「やっぱり、あの原作のシーンの再現がすごかったですね! セリフの瞬間、桜吹雪がバーって!」
『一人で生きていける人もいる。でも、二人でいることを覚えてしまえば――心が渇く』
パンフレットの見開きに、そのセリフが大きく載っている。
この作品の代名詞、名台詞とも言えるシーンだ。
「私、このセリフめっちゃ好きなんですよ」
「お前、ここでも泣いてたもんな」
映画が進んでいくごとに、私は号泣していったのだった。
もし映画のCMに採用されたら、「本当にこんなに泣ける映画なのか?」と逆に疑念を抱いてしまうかもしれないレベル。
「……お前は、渇いたことがあるのか?」
不意に先輩にそう訊かれて、思わずキョトンとしてしまう。
先輩の顔を見ると、灰色の目が真っ直ぐに私を射抜いていた。
問われている内容を、頭の中でこねくり回しながら、なんとか言葉にしようとする。
「えっと……私は一人で生きていけるタイプじゃないので、やっぱり誰かといたほうが落ち着きますね」
「渇望するほど、誰かと一緒にいたかったことがあるのか?」
「えっ……?」
……質問の意図がどうにも掴めない。
なんでそんなこと聞くんだろう……?
困惑しているのが伝わったのか、「……いや。なんでもない」と、先輩はまたコーヒーカップに口をつけた。
「それにしても……」
先輩がコーヒーを飲んで、喉仏が動く。
それに見とれてしまって、スローモーションに見えた。
カップ越しに視線だけ寄越して、
「……あの頃より、今の方が落ち着いて見られるな」
高校時代も、こうして一緒に映画を見に行った。
その記憶を思い返しているのだと気付いたときには、ハンバーグセットが到着していた。