再会した冷徹上司は、私にだけ過保護です

第11話 渇いていたのは(氷室視点)

 小日向春香は、俺の救いだった。

 俺の祖母は英国人らしい。
 会ったことはない。
 ただ、生まれつきの銀髪と灰色の目が、自分が日本人離れしている証だった。

「氷室、何度も言わせるな! 髪を黒く染めてこい! 他の生徒が真似をしたらどうする!」
「3年B組の氷室先輩って不良らしいよ」
「なんかいつも仏頂面だし怖いよね……」

 教師も生徒も、俺に偏見の目を向けてくる。
 説明しても理解はされないので、とうに諦めた。
 誰とも関わりたくない。
 俺は図書室で独り、学校が閉まる時間まで本を読んで過ごすのが当たり前になっていった。

 このまま、ずっと独りでいるんだろうなと思っていた。
 理解者もいない、会話が成立する相手もいない。
 ただ閉塞感だけが支配する、この学校という箱庭の中で。

「――すみません、この本、読んでもいいですか?」

 ……そんな中で、唯一、俺に話しかけた人間がいる。
 その瞬間、俺とあいつの周りだけ時が止まったような心地がした。
 俺の思考がフリーズして、一瞬状況が理解できなかった。
 ……有り体に言えば、俺は動揺していたのだ。

「…………どうぞ」

 口からそう搾り出すのが精一杯。
 それでもあいつは「ありがとうございます」とにっこり笑っていた。
 そのまま、俺が机に積み上げていた本を1冊取り出して、あまつさえ向かいに座ってくる。
 ……信じられなかった。
 俺に普通に話しかけてくる人間がいる。
 普通に接してくれる人間がいる。
 それだけのことなのに、当時の俺には白昼夢を見ているように感じられた。
 ――それが、小日向春香との出会いだった。

 図書室が閉まる時間まで粘って、2人とも追い出された。
 そのときに、俺は小日向の名前を知った。

「こひなた、はるか」

 彼女によく似合う名前だと思う。
 春の日向のように暖かな笑顔が印象的だった。
 俺のことを、俺の評判を知っていて、それにもかかわらず声をかけてきたことにも驚いた。
 そんな希少な人間を、逃がしたくなかったから。

「……また、図書室で会えるか?」

 思わず、すがってしまった。

 小日向が図書室に来る時間を、だいたい把握してしまうほどには、たびたび一緒になった。
 彼女が向かい側ではなく、俺の隣に座ってきたときは、少し緊張した。

「図書室、大きな声では話せませんから」

 ……おそらく、彼女に他意はない。
 だというのに、俺だけ意識してしまったのは、少し悔しい。

 図書室から締め出されたあとも、「もう少し話したい」と最初に言い出したのはどちらだったか。
 学生らしく、ファミレスやバーガーショップ、コンビニのイートインスペースなど、安い店で食事をしながら話し込む。
 お互い、同じ純文学が好きだった。

「他のクラスメイトとこういう話できないから、先輩がいてくれてよかったです」

 小日向はそう言って笑う。
 それはこっちの台詞だ。
 俺の方こそ、お前に救われていたんだ。

 そのうち、小日向の好物がプリンであることを知った。
 彼女と読書談義するときは、ちょっとだけお高めのプリンを買う。
 俺はプリンを選ぶのに3分ほど悩んだが、多分あいつは値段を知らずに、純粋に喜んでいた。

「もう小日向に関わるな。お前が他人と関わると、迷惑なんだよ」

 ……一時期、教師や周りの連中から、彼女との接触を絶たれたこともある。
 それでも、小日向と相談して、それらをまるっきり無視した。
 俺とあいつの問題だ。
 他の奴らに口出しされるいわれはない。

 ただ、小日向に聞きたくて、でも聞けなかったことがある。
 ――お前は、俺と付き合ってると噂されても、平気だったのだろうか。
 そう誤解されてもいいということは、俺が告白しても受け入れてくれたのだろうか。

 ああ、そうだ。
 渇いていたのは、俺の方だ。
 呼吸が浅くなるほど、ずっと小日向に焦がれている。
 図書室の窓際、日の当たる席で、お前と座って。
 俺の心は、ずっとお前の日だまりに溶けていた。

 やがて月日は経って、俺は東京の大学に進学が決まった。
 小日向への連絡先は残していたが、その後、連絡は取らなかった。
 ……告白も出来なかった。
 遠距離恋愛は、自信がない。
 もし小日向が在学中に、他にふさわしい人が出てきたら、俺が重荷になってはいけないと思った。

 俺は独り、大学で勉学に打ち込むことにした。
 机で資料に囲まれながら、ずっとスマホの中に封印されている彼女の連絡先を思った。
 何度もメッセージアプリを開いて、彼女の名前を目でなぞって、また電源を切る。
 送ろうとして送れなかったメッセージも、たくさんある。
 あいつは、元気にしているだろうか。
 あの日向のような笑顔で、誰かを元気づけているだろうか。
 ……俺以外の誰かを?
 そう思うたびに、なぜか胸がチクチクするような、嫌な気分になった。
 今ならその理由がわかる。
 でも、俺はもう卒業して、彼女とは無関係になってしまったと思っていたから。
 連絡して、「この人だれだっけ」と思われるのが怖かった。

 ――そして、その大学在学中。
 小日向に溶かしてもらった心を、再び決定的に凍りつかせてしまう事件が起こる。
 ……俺は、もうあの頃とは変わってしまったんだ、小日向。
 俺のことを、どうか幻滅しないで欲しい。
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