再会した冷徹上司は、私にだけ過保護です

第12話 俺が冷徹になった日(氷室視点)

 初出社の日、小日向は「大学時代、本屋でバイトをしていた」と話してくれた。
 やっぱり彼女らしいと思う。
 同時に、俺の大学時代の苦い思い出も蘇った。

 俺もやはり、本屋でバイトをしていた。
 大学1年のときから始めて、3年目に入ったときのこと。

「本日からお世話になります! シフトいっぱい入れるのでよろしくお願いします!」

 月丘(つきおか)という新しいバイトが入ってきた。
 元気だが、接客が丁寧で、お客様からの評判もよかった。
 店長もお気に入りで、だいぶ可愛がられていたようだ。
 俺も、特に悪感情は抱いていなかった。

 ただ、そいつはある日、とんでもない失敗を犯すことになる。

「俺、この作家の本めっちゃ好きなんです! 絶対売れますってこれ!」

 彼が見せてきたのは、冒険エンタメ小説だった。
 俺はその本について、あまり詳しくない。
 だが、店長も「月丘くんが好きなら、入荷してみるか」といった感じだった。
 ……この時点で、誰かが止めていたなら、あるいは根拠を尋ねていれば、また話は違ったかもしれない。

「氷室先輩! 発注の仕方、教えてください!」

 俺は月丘に乞われるがまま、発注方法を教えた。

「……この小説、そんなに面白いのか」

「はい! よかったら、1冊買って読んでみてくださいよ!」

 ニカッと笑う。
 純粋に本が好きで、誰かに広めたかったのだろう。
 なんだか、その天真爛漫な感じが、小日向も一緒にバイトしていたらこんな感じなのかなと思った。
 ……いや、小日向と月丘は似ても似つかない。
 少なくとも、小日向は根拠を論理的に説明できるのだから。

 あのとき、俺が止めていれば、少なくとも最悪の結果にはならなかったのではないだろうか。

 結果として、翌月には大変なことになった。

「おい、月丘くん!? この本、5万部も発注したのは君か!?」

「えっ? 俺、500冊頼んだはずですけど……」

「ゼロが2個多いんだよ! 何をどうやったらこうなるんだ!?」

 月丘は発注ミスが発覚しても、キョトンと首を傾げるのみ。

「まあでも、この作家さんなら10万部は売れるはずなので!」

 ニコニコと笑顔を絶やさない。

「うちの本屋で応援すれば、もっと売れっ子作家になるはずです!」

 ……コイツ、とんでもない馬鹿だ……。
 月丘を可愛がっていた店長も、顔を真っ青にしていた。

 結論を話せば、本は売れなかった。
 5万部の在庫は、ワゴンセールにも出しきれず、本屋のほうで廃棄が決まった。
 月丘はクビになって泣いていた。
 俺はワゴンの前で冒険小説を見つめる。

 ――『感情』で仕事をした結果が、この有様か。
 他人や組織が迷惑を被り、こうして可哀想な本が出る。

 俺は、本が好きだった。
 だからこそ、こんな結末を認められない。

「どうしよう、氷室先輩! 俺、こんなつもりじゃなかったんです!」

 月丘が俺に助けを求める。

「先輩からも、店長を説得してください! 俺、クビなんて困ります!」

「――感情で仕事をするな。迷惑だ」

 月丘は、バケモノを見たような目をしていた。
 俺は冷ややかな怒りとともに、小日向に溶かしてもらった心が再び凍りついていた。

 さらによくないことに、月丘は俺と同じ大学の後輩だった。

「氷室先輩はひどい! 俺を罠にはめてバイト先をクビにしたんだ!」

 そんな根も葉もない悪評を広められた。
 月丘は人付き合いがよかったから、あっという間に学内で拡散される。

「氷室先輩ってそんな人だったんだ」
「無表情で何考えてるか分からない、機械人形みたいな人だもんね」
「こわ~……。いつも1人だし、友達いないんじゃないの?」

 ……高校時代に逆戻り、いや、もっとひどい。
 俺は傷だらけの心を麻痺させて、無関心を装うことにした。
 結局、バイト先の本屋は在庫を抱えて赤字になり、現在は残っていない。

 ……こんな話、小日向に言えるわけがない。
 話したとして、反応に困るだろう。
 結局メッセージは一度も送れないまま、俺は大学をなんとか卒業した。

 月丘の件で俺はさらに覚悟を決めた。
 あの事件のように、売れずにワゴン行きになるような可哀想な本を減らしたい。
 であれば、企画段階から売れるか売れないかを徹底するべきだ。
 こうして、俺は編集者を目指し、出版社に入社した――。

 以上が、俺の変わり果てた心の顛末である。
 もう昔のように、小日向と本について純粋に話すことはできないかもしれない。
 小日向は、こんな俺をどう思うだろうか。
 本が好きかどうかよりも、売れるかどうかを重視するようになってしまった俺を……。

「冬馬先輩、お久しぶりです!」

 ――そして、俺と小日向の歩む道が、再び交差することになるとは、予想だにしていなかったのだ。
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