再会した冷徹上司は、私にだけ過保護です

第18話 恋愛禁止令

『編集者と作家、および編集者同士の私的接触には注意すること』

 ――そんなお触れ書きが、編集部の掲示板に貼られていた。

「え、なんですか、これ?」

 昨日までこんなものはなかったはずだ。
 朝に出勤して張り紙を見た私は、思わず素っ頓狂な声を出す。

「はいはい来た来た。編集部名物・建前だけの通達」

 通りかかった犀川さんがお触れ書きを見て鼻で笑った。

「いやでも実際まずいケースもあるからね……」

 一方の田島さんは苦笑いしつつ、若干顔が曇っている。

「こういうの、よくあるんですか?」

「ほぼ毎年出てない?」

「いわゆる『恋愛禁止令』だねえ……。職場恋愛なんて、人間なんだから回避するの難しいんだけどさ」

「へえ~」

 私はいまいち飲み込みきれないまま、間抜けな反応をしてしまった。
 その背後で、バサバサッ……と何かが落ちる音がする。
 振り返ると、同期の小泉さんが「あ、書類が……」と床に散らばった紙の束を見下ろしていた。

「大丈夫?」

「ご、ごめんなさい……」

 一緒に落ちた書類を集めて、小泉さんに渡す。
 彼女はこころなしか、顔色が悪かった。

「体調悪い?」

「いえ、本当に、大丈夫」

 ふるふると首を横に振ると、紙の束を受け取って、シュレッダーに向かっていく。

「ふーん……」

 田島さんはその後ろ姿を見て、顎に手を当てていた。

「どうかしましたか?」

「いや? ちょっと見えてきたなと思って」

「何の話ですか?」

「今回の騒動だよ」

 私は田島さんの言葉の意味がわからず、首を傾げる。

「何を集まっている?」

「うわびっくりした」

 いつの間にか冬馬先輩が背後に立っていた。
 私の肩越しにニュッと腕を伸ばして、掲示板のお触れ書きを読んでいる。

「……」

 サッと顔を曇らせて、「……そう、か」と呟いた。

「氷室ちゃん、マジで気にしなくていいからね?」

「そうよ。こんなの、いつものことじゃない」

「だが……」

 田島さんと犀川さんが冬馬先輩をなにやら説得しているようだが、私には話が全く見えてこない。
 でも、先輩同士の会話に割り込むのも……。
 私はひとまず掲示板から離れて、自分の席に戻ることにした。

 ――それにしても、変なことになったな。
 恋愛禁止令、か。
 私には関係ないこととはいえ、恋愛くらい自由でいいと思うけど……。

 しかし、仕事が始まると、目が回るくらい忙しい業務に追われ、すっかりそのことを忘れてしまった。

「ええ? 恋愛禁止?? 恋愛小説を出版してる会社なのに?」

 お昼休み、いつも通り編集部に遊びに来ていた日暮先生が、コンビニで買ったらしい弁当を盛大に噴き出す。

「おいおい、汚いっすよ、日暮センセ」

「ハハハ、いや、失敬。言葉通りの噴飯物というやつだ」

 苦言を呈した田島さんに、爆笑しながら噴き出したお米をティッシュで拭き取る先生。

「ああ、それで氷室くんは春ちゃんに近寄らないというわけだ?」

「え?」

 言われてみれば、今日は冬馬先輩に一度も声をかけられていない。
 先輩の席を見ると、今日は外食することにしたのか、その姿はなかった。

「あ~……やっぱあの人、恋愛禁止令を真に受けちゃったかなあ」

「あの男は昔から、そういうとこあるよな」

「冬馬先輩って……」

 私は信じがたい気持ちになる。

「……職場に好きな人いるんですね?」

「は?」

「おい、嘘だろ……」

 田島さんと日暮先生が驚愕というかドン引きというか、私の顔を見て目を剥いていた。
 ……え、私なにか変なこと言った?

「……こりゃ、氷室ちゃんも苦労するわ……」

「流石に同情する」

「いまいち話が見えてこないんですけど……」

「いや、まだ知らなくていい。面白いから」

「はあ……」

 今にもお米の第2弾を噴き出しそうな顔をしている日暮先生。

「それにしても、そうだな……今回の恋愛禁止令、誰かが職場恋愛しているのを目撃されてしまったのではないかな?」

「俺もそう思ってたんすよ、日暮センセ」

 田島さんが一転、真剣な顔で頷く。

「それで、掲示板を見た時の編集者たちの態度を見てたんすけどね――」

 彼は、とあるデスクの方へ顔を向けた。

「――もしかしてだけど、小泉ちゃん、心当たりあるんじゃない? 掲示板見た瞬間から様子おかしかったし」

 ビクッと肩を震わせ。
 お箸とお弁当箱を持ったまま、小泉さんは青ざめた顔でうつむいている。

「え、小泉さんが……?」

「……ご、ごめんなさい……。残業してるときに、お付き合いしてる先輩とキスしてるとこ、編集長に見られてしまって……」

 彼女は耳を赤く染めて、泣きそうな顔をしていた。
 そ、そうなんだ……全く気づかなかったな……。
 私は小泉さんが職場恋愛してる事実すら、今初めて知ったという始末。

「ま~でも、厄介なことになったねえ……」

「編集長くんは変なとこ頑固だからなあ」

 田島さんと日暮先生は肩をすくめていた。
 ――こうして、波乱の恋愛禁止令が発布され、編集部には不穏な空気が流れ始めたのである。
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