王子様になりたい ~王子様の恋愛指南~

第2話

 二日前の金曜日。二十一時。終電まで残り二時間。
 しかし、月末の華金に浮かれている私——藤島明花(ふじしまあすか)には関係ない。
 今日も同期を誘って、二人で仲良く飲んでいた。
 会社の最寄り駅にある、赤ちょうちんが目印の大衆居酒屋。店内の座敷では、学生が炭火で焼かれた焼き鳥を頬張り、サラリーマンたちはジョッキを片手に肩を組んでいる。あちこちから、途切れることなく人の声が飛び交っていた。

「レモンサワー、追加お願いします」

 偶然通りかかった店員さんへ注文すれば、数分後には卓上に追加のレモンサワーがジョッキで置かれた。
一口、二口、三口。勢いよく喉へ流し込む。室内の熱気で火照った身体に冷えたレモンサワーがよく効いた。

「藤島さん、今日はいつもよりペースが早いね。珍しいものを見させてもらっているよ」

 向かい側に座る同期の男性——齋藤慎司(さいとうしんじ)さんは、頬杖をつきながら私の飲みっぷりを楽しそうに眺めている。

「だって、今日は特別な日なんですから」

 齋藤さんとは、何度も二人で飲みに行ったことがある。
 仕事からプライベートの話まで、お酒を片手に語り合ったことも多い。
 だけど、今日は特別。

「私、初めて営業成績でTOP5に入れたんですよ。浮かれたくもなります」

 私と齋藤さんは、大手ゲーム会社の営業部に配属されて三年目になる。
 三十名ほど所属している営業部では、毎月末に全員の営業成績が上位五名まで発表される。
 そこに、初めて私の名前が上がった。

「そうだったね。ふふっ、おめでとう。同期として嬉しいよ」
「私もです。初めて齋藤さんと名前を並べられました」

 部署内チャットに彼と私の名前を見つけた瞬間は、何物にも代えがたい達成感だった。
入社して三ヶ月目の時、誰よりも早く営業成績で結果を出した同期に向けた宣言を思い出す。
――私も頑張りますから、見ててくださいね。
あれから約三年後の今日、ようやく彼の背中が見えた。随分と時間はかかったが、あと少しで追いつきそうだ。
 私の発言が意外だったのか、齋藤さんが先ほどまでの和やかな表情を一変させ、目を丸くしている。

「……ずっと私のことを、気にかけてくれたんだね」
「当たり前ですよ。だって、私の目標なんですから」

 新卒として採用されたとき、確かに私たちは同じスタート地点にいた。
 しかし——齋藤さんは全てが「完璧」な人だった。
 すっきりと通った鼻立ちや無駄のないシャープな輪郭。すらりとした長身。彼の容姿は、周囲の目を惹くのに十分だ。
 けれど、私が憧れたのは外見じゃない。
 相手の関心を引き出す傾聴力。決して崩れない柔らかな物腰。急なトラブルも迅速に解決へ導く対応力。
 彼の仕事に対する姿勢へ憧れたのだ。
 社内においても齋藤さんの評価は高く、入社三ヶ月目には営業成績上位、半年後には営業成績一位まで駆け上がり、今もその順位は破られていない。
 そんな完璧な人間を、人々は「王子様」と呼んだ。

「目標……とは?」

 齋藤さんは少しだけ身体を前に傾け、じっと私を見つめた。
 そんなに意外だっただろうか。

「今まで言ったことありませんでしたか。私、齋藤さんの背中を追いかけていたんですよ」

 入社してすぐに行われた名刺交換の研修。緊張からマナーを間違えてしまい路頭に迷っていた私へ手を差し伸べてくれたのは、頼れる同期であり完璧な王子様。齋藤さんの存在は、仕事にどう向き合うべきか悩んでいた私の道標となった。

「どんどん前を進んでいく姿に憧れ、隙を見つけては話しかけてしまいました」

 出会った頃から、ずっと彼は優しかった。
 どうしたら齋藤さんのような仕事ができるのか。同期という立場を頼りに本人へ幾度となく相談した。
 それは、定期的に行われる飲み会でも変わらなかった。飲みの場にもかかわらず、私は自身の傾聴力を鍛えるために、お酒を片手に彼から話の引き出し方を教わったこともある。

「もちろん、齋藤さんと肩を並べることが最終目標です。それが……今日、少しだけでも叶えられました」

 じわじわとアルコールで鈍っていく思考力が、私の羞恥心を奪っていく。入社してから三年間、ずっと抱えていた思いを本人へ伝えたくて仕方ない。

「だから、今日は記念日です」

 話し終えて満足した私は、グラスを片手で持ち上げ、齋藤さんのグラスに軽く当てた。カラン、とガラス同士のぶつかる音が響く。

「ふふふ。齋藤さん、乾杯。同期で頑張りましたの会、ですね」

 三割ほど残っていたレモンサワーを一気にあおれば、レモンの酸味が喉を刺激した。

「……少し、酔ってきているみたいだね」

 普段とは違う、どこか低い声。
 不思議に思い、彼の顔を覗き込んでみる。

「齋藤さんも赤くなってますよ」

 心なしか、耳がほんのりと赤くなっているような……。
 だけど、彼の手元を見てもハイボールの量は減っていなかった。

「もしかして、雰囲気酔いですか?どちらにしても酔いが回っているのはお互い様ですね」
「ふふっ、そうだね。……あなたの熱にやられたようなものだけれど」
「なんですか、それ」

 齋藤さんが冗談を言うなんて珍しく、思わずクスッと笑ってしまった。
 その後も、いつものように仕事の相談からプライベートの悩みまで彼と語り合った。
 しかし、この飲み会は記念日。どうしても、浮ついた気持ちが抑えられない。
 終電まで残り一時間。

「ねぇ、王子様。——どうしたら恋愛ってできますか」

——話題は恋愛へと移った。
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