王子様になりたい ~王子様の恋愛指南~

第6話

 デート当日。日曜日の十二時五十分。
待ち合わせ時刻より十分早く着いた。
 山田駅の改札を抜けると、構内に溢れた人の熱気と夏の暑さが容赦なく身体にまとわりつき、汗が首筋を伝った。
 彼に汗臭い彼女だと思われたくない。齋藤さんと合流する前に拭いてしまおうとバッグの中を漁ってみる。
 その瞬間――

「ひゃっ!」

 首筋に、突然ひんやりとした感触が走った。
 不意打ちの衝撃に間抜けな声が漏れてしまう。
 首筋に手を添えながら、おもむろに振り返った。

「齋藤さん、でしたか……」
「ふふっ。こんにちは。驚かせてごめんね」

 そこには、肩を震わせている齋藤さんが立っていた。
 片手にはペットボトルの水を持っている。

「暑かったでしょう。これ、どうぞ」

 齋藤さんは、手に持っていたペットボトルを渡してくれた。
 指先から冷たさが伝わってくる。どうやら首筋に当てられたのはこのペットボトルのようだ。

「ありがとうございます。いただきます」

 お言葉に甘えて一口飲むと、冷えた水が身体へと流れていき、内側から熱が引いていった。
 ただの水のはずが、普段よりも美味しく感じられる。
 二口、三口。身体が水分を欲していたのか、いつまでも飲み続けてしまう。

「今日の藤島さん、いつもと雰囲気が違うね。……とても可愛い」
「っ!」

 齋藤さんの言葉に、口に含んでいた水を吹き出しそうになった。慌てて水を飲み込めば気管に入ってしまう。呼吸を整えようと無理矢理息を止めてみれば、じわじわと目も潤んできた。

「おや、また驚かせてしまったかな。ごめんね」

 齋藤さんが、背中に手を回してゆっくりとさすってくれた。背中に感じる温もりが、心を落ち着かせてくれる。

「いえ、大丈夫です。私が勝手に動揺してしまっただけなので……」
 そんな彼に心配をかけないよう、目を合わせながら応えた。
 だんだんと呼吸も整ってきた。
 それを察して、齋藤さんも手を離してくれる。

「だけど藤島さん、知っていてほしいな」
「何を、ですか?」

 齋藤さんの意図が読めず、私は首を傾げてしまう。
 そんな私に、彼は溶けるような眼差しを向けた。

「あなたが可愛いのは、本当のことだよ」

 とろりとした甘い声。その声音に、これまでの彼から聞いたことのない感情が滲んでいるように感じた。
 これは、齋藤さんの恋人にしか見せない姿なのだろうか。

「ふふっ。また顔が真っ赤になったね」

 暑さのせいではない。
私を赤くしているのは、目の前の王子様だ。彼の「可愛い」という言葉ひとつで、私の心は振り回されてしまっている。
 それが、とても悔しい。
 お返しに私も恋人同士の会話を考えてみよう。確か、同じ話題で盛り上がることが大事だとSNSに載っていた。
 頭の中で言いたいことを整理すれば、胸に手を当て齋藤さんをまっすぐに見つめた。

「齋藤さんも……かっこいいです」
「……っ」

 私の発言に、齋藤さんが一瞬だけ息を詰まらせた。
 しかし、一瞬。
 一呼吸すれば、彼はいつもの余裕を取り戻してしまう。

「……それは、恋人として言ってくれているのかな?」

 どうやら、社交辞令だと思われてしまったらしい。
 ここは、はっきりと伝えなければいけない場面だ。
 私も一呼吸を置いて、彼ともう一度視線を合わせた。

「いいえ、本心です。……齋藤さんが傍にいるだけでドキドキしてしまうほど」

 今日の齋藤さんは、ファッション誌から飛び出してきたモデルのようだった。
 涼しげな淡い水色のシャツ。その裾を黒のジーンズにしまって上下のバランスを整えれば、スタイルの良さがはっきりと現れていた。また、ピアスやブレスレットは派手すぎず、爽やかな印象を与えている。
 何より目を引くのは、彼の美しい顔。
普段は揃えられている前髪が、今日は額が見えるように分けられている。そのおかげで綺麗な顔立ちが際立っていた。

「……ありがとう」

 柔らかな笑顔なのに、少しだけ視線が合わない。
 あの齋藤さんが動揺するなんて珍しい。
 ……もっと新しい一面を見つけたい。
 そう思った私は、彼をじっと観察してみた。

「ふふっ、齋藤さんも顔が赤くなっていますね」

 彼の新しい一面を指摘すれば、さらに視線を逸らされてしまった。

「藤島さんにやられてしまったね」
「お互い様です。……今日は一日よろしくお願いします」
「ああ、こちらこそ」

 軽く会釈をすれば、齋藤さんも頭を下げた。
 同期なのにどこかお互いによそよそしい態度。
 そんなやりとりが面白くて、二人で笑いあった。
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