ギミック・ラブ ~年下小悪魔の上手な飼い方~《完》
15 別れの言葉の、選び方
☆☆☆☆☆
お風呂に入る気にも、寝る
気にもなれなかった。
買ってきた夕食もほとんど
喉を通らず、結局ファズに
あげてしまった。
人懐っこいファズはもう
あたしにも懐いてて、大喜びで
おこぼれを食べて、今夜も
ぐっすり眠ってる。
柚木クンの愛犬なのに。
ご主人がしょっちゅう帰りが
遅いから、あたしの方が
真面目に世話してるじゃない。
「どこ行ったのよ……!」
“同居人”になってから
一応交換した電話番号に、
初めて電話した。
_でも、コールはするものの
アイツは出ない。
メールもしたけど、
予想通り返信はなかった。
時刻はもうすぐPM10時。
今日も、前みたいに日付の
変わる頃には帰ってくるん
だろうか。
それとも今夜こそは、もう
ずっと、帰ってこない……?
「……どうして………」
柚木クンが飛び出して
行った後のオフィスは、
もちろん騒然。
みんなが普段とは別人の
ような柚木クンの態度に驚き、
誰一人として出て行った
彼の行く先を理解できる
者はいなかった。
_あたしも動揺してて、
すぐには思いつかなかった。
でも……時間がたって冷静に
なれば、今のあたしには
何となく予想がつく。
柚木クンはきっと、ホワイト・
マリッジの社長――
“蘭子さん”に会いに
行ったんだろう。
彼にはそれができるから。
あのタイミングでなら、
他には考えつかない。
協力的な事業提携から吸収
合併という主張に変えて
きたことを、責めに
行ったに違いない。
_正直、柚木クンは前に仕事に
対してふざけたことも
言ってたから、マジメに
取り組んでる印象がなかった。
だから、例え吸収合併に
なるにしても、彼ならどう
でもいいと笑うんじゃない
かとすら思えるほどで、
はっきり言って今日の態度は、
かなりの驚きだったんだけど。
(でも……アイツの考えてる
ことなんて、あたしには
わかりっこないもんね……)
――いつもそうだった。
別に、今に始まったこと
じゃない。
むしろ柚木クンの頭の中が
理解できたことなんて、
あたしには一度だってないと
言っていいくらい。
_彼はいつも、あたしの理解の
域を超えたとんでもない
行動で、あたしを振り
回してきた。
そういうヤツなんだから。
「ホントに――ぜんっぜん
わかんない――…」
思わず吐き捨てるように
つぶやいたその時、ガチャリと
音がした。
「……………っ!」
いつの間にかすっかり
耳慣れてしまった音。
――帰ってきた。
あたしは矢も盾もたまらず、
座っていたソファから
弾かれたように立ち上がって
リビングを飛び出した。
短い廊下の先、玄関に靴を
脱ごうとしたまま動きを
止めている柚木クンがいる。
「――何、出迎え?
ありがたいね」
_流れるような軽い口調に、
思わずカッと頭に血がのぼって、
「ふざけないで!
一体どういうつもりよ!?
なんであんなことしたのっ!?」
一気に柚木クンの正面まで
距離を詰めて食ってかかると、
柚木クンは大ゲサに背中を
のけぞらせて、
「そんな大声出さなくても
いいだろ。
ていうか、こんな所で話
するつもり?」
まるであたしが非常識だと
でも言わんばかりの声に、
さらに神経が逆撫でされる。
でも、あたしには聞きたい
ことが山のようにある。
冷静さを失っちゃいけないと、
懸命に心をなだめた。
グッと息を飲み込んで一歩
後ろに下がると、すぐに
彼は靴を脱いで玄関に
あがってくる。
_スタスタ歩き出す背中を
慌てて追いかけ、あたしは
もう一度言った。
「どこに行ってたのよ?
あの後、会社じゃ大騒ぎよ。
明日絶対に奈々も色々
聞いて――」
「別にもうどうでもいいよ。
オレ、明日であの仕事は
辞めるから」
「―――――!?」
ちょうどリビングに入ると
同時に、クルッと振り
返って告げられた言葉。
本当に何でもないことの
ようにサラリと告げるその
顔が信じられなくて、
あたしはマジマジと彼の
レンズ越しの瞳を見つめた。
「な、何言ってんの……?」
辞める? なんでいきなり、
そんな話になるのよ?
_(あんなことしちゃったから?
“会社の顔”じゃない、
本性も見せちゃったし。
だから……?)
「明日、退職願いを出したら
すぐに戻って……
んで荷物まとめて、ここも
出ていく。
ファズも連れてくよ」
「なっ………」
体中の血が、煮立ったように
熱くなった気がした。
グツグツ沸いて体を
溶かしてくような、不快な錯覚。
「……きゅ、急に何無責任な
こと言ってんの?
明日いきなりなんて、そんなの
通用するわけないでしょ」
発した声は少しかすれて
いて、全く張りがなかった。
……わかってる。
きっと今あたしが本当に
言いたいのは、そんなこと
じゃない……。
_「通用するよ。
ていうか、営業マンの一人
くらいいなくなっても、
どうにかなるでしょ。
そこまで人手不足じゃ
ないんだし」
「で、でも今は年末の
忙しい時期じゃない。
こんな時にいきなり辞める
なんて、そんなの……」
―――違う、違う。
見当外れな自分のセリフが
もどかしくて情けない。
あたしは柚木クンを見て
いられなくて、視線をそらした。
俯くようにカーペットを
見つめ、無意識のうちに
唇を噛む。
_「……辞めて、どうするの
……?」
聞きたいのは、そんなこと
じゃない。
仕事のことじゃない。
――だけどそんなの、
自分でも認めたくなくて。
「蘭子さんの会社で――
ホワイト・マリッジで、働く」
「―――――っ!!」
電流が走ったように、ビクッと
肩を弾ませてしまった。
柚木クンはそんなあたしを
見下ろして、曖昧な笑顔で
フッと笑うと、
「何をそんなに驚いてんの?
予想はついてるんでしょ。
オレが、蘭子さんの所へ
行ってたって」
「……………っ」
今さらごまかしたって
何にもならない。
むしろ、今はありがたいの
かもしれない。
_沈黙を答えに変えると、
柚木クンはもう一度ため息の
ような笑みを落として、
「本当に美咲はわかりやすいな。
――好きだよ、そういうとこ」
「な、何言って――…」
不覚にもドキッとしてしまった。
(バカ、何動揺してんのよ。
“好き”なんて、たいした
意味ないでしょ)
懸命に自分にそう言い
聞かせるあたしを知ってか
知らずか、柚木クンは落ち
着いた態度でコートやスーツの
ジャケットを脱ぎながら
話を続ける。
「今日蘭子さんと話して、
決めてきた。
ホワイト・マリッジで
支店マネージャーさせて
くれるってさ。
家も、あの人の所に帰る」
_“アノヒトノトコロニカエル”
その一言に胸が疼くのは、
どうしてなんだろう。
「……随分、急なのね」
(なんでいきなりそんな
ことになるの?
ピュアスプリングの吸収
合併を抗議しに行ったん
じゃなかったの?)
「別に、元からいつかは
そうなるんじゃないかと
思ってたことだ。
急じゃないよ。
オレは、いつそうなっても
いいようにしてきたんだから」
……それはもう、わかってる。
詳しくは聞けなかったけど、
柚木クンがちゃんとした
自分の家を持たないのも、
結婚相談所っていう仕事を
選んだのも、蘭子さんの
ことがあるからなんだろう。
_成人してからも、柚木クンは
蘭子さんと離れる気はない……
ううん、離れられないって
ことを、彼はわかってるんだ。
でも――…。
(本当に、それでいいの?
それが、自分の本心なの?)
あたしにはどうしても、
そんな思いが拭い去れない。
蘭子さんが後見人で、
『自分は彼女のペット』と
話した時のどこか辛そうな
表情は、とてもその関係を
心から受け入れてるようには
見えなかった。
それに彼は、この間は今と
真逆のことを言ってたんだ。
蘭子さんとの関係は続いてる
けれど、自分は“恋人”
じゃないから、ここを
出ていくつもりもないって。
_それなのにどうして、この
タイミングで180度話が
変わってしまうのか。
あたしにはどうしても、
不自然に思えてならない。
それにそもそも、会社を
飛び出してまで蘭子さんの
元に行った理由は、何ひとつ
話してくれてない……。
「柚木クン……」
頭の中に浮かんだひとつの
答えを、問いかけにするのは
少し怖かった。
でも、確かめないわけには
いかない。
あたしはゴクッと息を飲み
込んで、思い切ってその
疑問をぶつける。
「まさかと思うけど、
ホワイト・マリッジが……
蘭子さんが提携の話を急に
変えてきたのには、あなたが
関係してるの……?」
_そんなこと、あるわけない
って思いたい。
だけど、問いかけを聞いた
柚木クンの頬が少しだけ
ピクッと震えたのを、
あたしは見逃さなかった。
「まさか……。
ねぇ、ホントにそうなの!?
それで、急にうちを辞めて
彼女の所に行くなんて――」
「――提携の話は、予定
通り進むよ。
吸収合併なんかじゃない、
あくまでグループ傘下に
入るって形でね」
「……………っ!!」
その返答が、何よりの
肯定だと思った。
あたしは上擦る声を抑える
こともできず、動揺を
あらわに叫ぶ。
「彼女と取引したのねっ!?
それじゃあ吸収の話も、
最初からあなたを連れ戻す
ための手段ってこと!?」
_「は? 取引?
――違うよ。オレは、吸収
合併の話は本当なのか
確認しに行っただけ。
そしてそれは誤解だって、
蘭子さんの口から聞いてきた。
明日にも、うちの上層部へも
ちゃんと再説明がされるよ」
「嘘! だって緊急会議
開くほどの問題になってたのよ!?
単なる誤解だなんて
ありえないじゃないっ」
「そんなこと言っても、
実際そうだったんだから。
それとオレが辞めること
とは無関係。
オレが移ることを決めたのは、
単にかなりいい条件出して
くれたからだよ」
「嘘。嘘よ……!」
_そんなの信じられるわけがない。
柚木クンのことなんて、
あたしはほとんど知らない。
でも、一緒に過ごした
短い期間でだって、少しは
わかったこともある。
ただの確認のために、
あんなふうに会社を飛び出して。
そして行った先で待遇の
よさだけでコロッと意見を
変えるなんて……そんなの
絶対、柚木クンらしくない。
―――納得、できない。
「……いいじゃん。
美咲は困ることなんて何も
ないだろ。
うっとおしいヤツはいなく
なって、今までどおり仕事を
続けられる。
万々歳じゃないか」
_白々しいほどサバサバと
そう言う姿が、よけいに
嘘っぽく見えた。
体の中を、怒りとも切なさ
ともつかない感情がグルグル
してる。
この感情を、どう言葉に
表せばいいのか。
それがわからなくてジッと
目の前の白い顔を見つめて
いたら、柚木クンはおもむろに
右手をあげ、今日はまだ
かけたままだった眼鏡を外した。
そしてそれをコトリと傍の
テーブルに置きながら、
「そんな顔しないで、
今日くらい笑っててよ。
オレと過ごす、最後の
夜なんだからさ」
『オレが来てから、家でも
会社でもツンツンして
ばっかりだったろ』
そう言って、どこか
さみしげに彼は笑った。
_「何よ、それ………」
笑ってて?
――なんて勝手なお願い。
そもそも同居だって、柚木
クンが無理矢理押しかけて
きて始まったことだった。
もっとさかのぼれば、そんな
関係になったのも、彼の
本性を知ったのも。
きっかけは全部、彼の方。
あたしが自分から動いたり
求めたことなんて、
何ひとつない。
ただの後輩だと思わせてた
仮面を勝手に外して、強引に
あたしの生活に割り込んできて。
困るあたしを、柚木クンは
自分勝手に振り回してきた
だけじゃない。
―――それなのに、どうして。
「どうして、
そんななのよ……!」
_どうして最後だけ、そんなに
寂しそうに笑うのよ。
「勝手すぎるわよ、
柚木クンは……っ」
悔しいのに、声が震える。
……悔しい? 何に?
柚木クンの勝手に、最後の
最後まで振り回されることに?
………違う。
悔しいのは――振り回されてた
だけのはずなのに、いつの
間にかこんな気持ちに
なってる自分にだ。
出て行くと言われると寂しくて。
あの人の所に戻ると言われると
切なくて。
まるで裏切られたような
気分になってる――そんな
自分が、悔しい――…。
_「……そうだよ。勝手だよ」
静かに――だけどどこか
普段とは違う声が、独り言の
ように柚木クンの口からもれた。
目が合うと、彼は音もなく
一歩あたしの方へ踏み出して、
「勝手で悪い?
だけどそうでなきゃ、手に
入らないものだってある。
それでも最後だけは、
守ろうとしたつもりなんだけど」
「ゆ、柚木クン――?」
言葉は淀みなく紡がれて
いるけれど、その声は
かすかに揺れている。
あふれそうな感情を、必死で
押し込めているかのように。
「――全部奪っていいなら、
奪おうか?
言った方がいい?
オレが本当はずっと前から
美咲が好きで、何が何でも
手に入れたかったんだって」
_「え――――…!?」
「見てるだけのつもり
だったけど、できなかった。
振り回しても嫌われても、
それでも近づきたいと
思ってしまった。
それくらい、好きなんだって」
「……………っ!!」
自分の耳を疑う。
柚木クンは何を言ってるの?
彼が……あたしのことを、
好き?
(嘘よ………!)
柚木クンの言葉にはもう
散々振り回されてきた。
好きだなんて……そんなの、
ありえない。
だって彼は常に蘭子さんや
千晶さん、それ以外にも
沢山の女の人と関係を
持ってたような男。
初めてあたしを抱いた時も、
翌朝にはベッドから他の
女に電話したのよ?
_そんなヤツが、あたしを
本気で好きだなんて
信じられない。
信じちゃいけない。
そう思うのに―――なぜ
だろう、鼓動はどんどん
速くなる。
胸を突き破ってしまいそうな
ほど、速く強く波打って。
全身が熱くて、目眩がしそう。
「オレにはそんな資格はない。
そうわかってても――
欲しかったんだ」
「―――――!!」
声が聞こえたと思った時には、
あたしの体は強く抱き
すくめられていた。
見た目より筋肉質の腕が
きつくあたしの体をとらえ、
片方の指で強引に顎を上に
あげさせられる。
拒む間もなく、激しく唇を
重ねられた。
_「んっ………っ」
今まで以上に荒々しい、
熱いキス。
あっという間にあたしの
口内を翻弄する舌に、息が
苦しくなる。
「んんっ……や……っ」
――どうしてこんなキス
するのよ。
冷たい態度からは想像も
つかないほど情熱的で、
あたしの全てを奪い去ろうと
するかのようなキスを。
こんなだから、錯覚して
しまうんだ。
初めてキスをした時も、
その腕に抱かれた時も。
その瞬間だけは、感じてしまう。
まるであたしは、本当に
この人に愛されてるみたい
だって。
_だけどそんなの、嘘なんでしょ?
あなたはそんなふうに、
何人もの女を抱いてきたん
でしょ?
あたしだけ特別だなんて――
そんなこと、信じられない
――…。
「ん………はぁっ」
ようやく唇が解放されて、
あたしは思わず大きな声を
出して呼吸した。
柚木クンの顔は見えない。
彼はあたしの肩口に顔を
うずめて、まだ強くあたしの
体を抱いている。
首を動かそうにも、柚木
クンはそれをさせまいと
しているようだった。
「だけど……奪えない。
オレの大好きな顔を、オレが
消し去ることになる」
_右の耳元で、少しくぐもって
そう聞こえる。
(大好きな顔?
どういうこと?)
疑問を口にするタイミングも
ないまま、唐突に柚木クンの
体があたしから離れた。
そのまま柚木クンは一歩
後ろに下がり、あたしと
距離をとる。
恐る恐る見上げた彼の顔は、
悲しげな笑いを浮かべていた。
「最後の夜はムリそうだな。
さすがに冷静に過ごす
自信がないよ」
自嘲的にそう言って。
柚木クンは素早く周囲に
目をやると、ソファの背に
かけておいたジャケットと
コートをつかんだ。
「ちょっ……どこ行くのよ!?」
_動き出した彼が外に出ようと
していると気づきあわてて
叫ぶと、柚木クンはクルリと
あたしを振り返って、
「心配しなくても、明日は
ちゃんと出勤する。
さすがに電話とかだけで
済ませちゃ失礼だからね」
「違っ……そんなことを
言ってるんじゃ……!」
そうじゃない。
明日会社に来るのかなんて、
そんなことを心配してるん
じゃない。
だけど、それ以上の言葉は
出なくて。
「――だから、そんな顔
しないで、美咲」
非常識なことばかりを
吐いてきた口でそんなことを
言うなんて、反則だ。
いつもいつも、反則ばかり。
_滲みそうになる涙を、
あたしは必死で堪えていた。
そんなあたしにフッと
吐息のような笑いをもらして、
最後に柚木クンが言う。
「大好きな仕事、これからも
頑張りなよ。
いつまでも、人の心に
触れる営業がしたいんだろ」
本当にずるい、優しさで
満ちたセリフを残して。
迷惑なだけだったはずの
同居人は、背中を向けると
静かに部屋を出ていった――…。
☆☆☆☆☆
_
お風呂に入る気にも、寝る
気にもなれなかった。
買ってきた夕食もほとんど
喉を通らず、結局ファズに
あげてしまった。
人懐っこいファズはもう
あたしにも懐いてて、大喜びで
おこぼれを食べて、今夜も
ぐっすり眠ってる。
柚木クンの愛犬なのに。
ご主人がしょっちゅう帰りが
遅いから、あたしの方が
真面目に世話してるじゃない。
「どこ行ったのよ……!」
“同居人”になってから
一応交換した電話番号に、
初めて電話した。
_でも、コールはするものの
アイツは出ない。
メールもしたけど、
予想通り返信はなかった。
時刻はもうすぐPM10時。
今日も、前みたいに日付の
変わる頃には帰ってくるん
だろうか。
それとも今夜こそは、もう
ずっと、帰ってこない……?
「……どうして………」
柚木クンが飛び出して
行った後のオフィスは、
もちろん騒然。
みんなが普段とは別人の
ような柚木クンの態度に驚き、
誰一人として出て行った
彼の行く先を理解できる
者はいなかった。
_あたしも動揺してて、
すぐには思いつかなかった。
でも……時間がたって冷静に
なれば、今のあたしには
何となく予想がつく。
柚木クンはきっと、ホワイト・
マリッジの社長――
“蘭子さん”に会いに
行ったんだろう。
彼にはそれができるから。
あのタイミングでなら、
他には考えつかない。
協力的な事業提携から吸収
合併という主張に変えて
きたことを、責めに
行ったに違いない。
_正直、柚木クンは前に仕事に
対してふざけたことも
言ってたから、マジメに
取り組んでる印象がなかった。
だから、例え吸収合併に
なるにしても、彼ならどう
でもいいと笑うんじゃない
かとすら思えるほどで、
はっきり言って今日の態度は、
かなりの驚きだったんだけど。
(でも……アイツの考えてる
ことなんて、あたしには
わかりっこないもんね……)
――いつもそうだった。
別に、今に始まったこと
じゃない。
むしろ柚木クンの頭の中が
理解できたことなんて、
あたしには一度だってないと
言っていいくらい。
_彼はいつも、あたしの理解の
域を超えたとんでもない
行動で、あたしを振り
回してきた。
そういうヤツなんだから。
「ホントに――ぜんっぜん
わかんない――…」
思わず吐き捨てるように
つぶやいたその時、ガチャリと
音がした。
「……………っ!」
いつの間にかすっかり
耳慣れてしまった音。
――帰ってきた。
あたしは矢も盾もたまらず、
座っていたソファから
弾かれたように立ち上がって
リビングを飛び出した。
短い廊下の先、玄関に靴を
脱ごうとしたまま動きを
止めている柚木クンがいる。
「――何、出迎え?
ありがたいね」
_流れるような軽い口調に、
思わずカッと頭に血がのぼって、
「ふざけないで!
一体どういうつもりよ!?
なんであんなことしたのっ!?」
一気に柚木クンの正面まで
距離を詰めて食ってかかると、
柚木クンは大ゲサに背中を
のけぞらせて、
「そんな大声出さなくても
いいだろ。
ていうか、こんな所で話
するつもり?」
まるであたしが非常識だと
でも言わんばかりの声に、
さらに神経が逆撫でされる。
でも、あたしには聞きたい
ことが山のようにある。
冷静さを失っちゃいけないと、
懸命に心をなだめた。
グッと息を飲み込んで一歩
後ろに下がると、すぐに
彼は靴を脱いで玄関に
あがってくる。
_スタスタ歩き出す背中を
慌てて追いかけ、あたしは
もう一度言った。
「どこに行ってたのよ?
あの後、会社じゃ大騒ぎよ。
明日絶対に奈々も色々
聞いて――」
「別にもうどうでもいいよ。
オレ、明日であの仕事は
辞めるから」
「―――――!?」
ちょうどリビングに入ると
同時に、クルッと振り
返って告げられた言葉。
本当に何でもないことの
ようにサラリと告げるその
顔が信じられなくて、
あたしはマジマジと彼の
レンズ越しの瞳を見つめた。
「な、何言ってんの……?」
辞める? なんでいきなり、
そんな話になるのよ?
_(あんなことしちゃったから?
“会社の顔”じゃない、
本性も見せちゃったし。
だから……?)
「明日、退職願いを出したら
すぐに戻って……
んで荷物まとめて、ここも
出ていく。
ファズも連れてくよ」
「なっ………」
体中の血が、煮立ったように
熱くなった気がした。
グツグツ沸いて体を
溶かしてくような、不快な錯覚。
「……きゅ、急に何無責任な
こと言ってんの?
明日いきなりなんて、そんなの
通用するわけないでしょ」
発した声は少しかすれて
いて、全く張りがなかった。
……わかってる。
きっと今あたしが本当に
言いたいのは、そんなこと
じゃない……。
_「通用するよ。
ていうか、営業マンの一人
くらいいなくなっても、
どうにかなるでしょ。
そこまで人手不足じゃ
ないんだし」
「で、でも今は年末の
忙しい時期じゃない。
こんな時にいきなり辞める
なんて、そんなの……」
―――違う、違う。
見当外れな自分のセリフが
もどかしくて情けない。
あたしは柚木クンを見て
いられなくて、視線をそらした。
俯くようにカーペットを
見つめ、無意識のうちに
唇を噛む。
_「……辞めて、どうするの
……?」
聞きたいのは、そんなこと
じゃない。
仕事のことじゃない。
――だけどそんなの、
自分でも認めたくなくて。
「蘭子さんの会社で――
ホワイト・マリッジで、働く」
「―――――っ!!」
電流が走ったように、ビクッと
肩を弾ませてしまった。
柚木クンはそんなあたしを
見下ろして、曖昧な笑顔で
フッと笑うと、
「何をそんなに驚いてんの?
予想はついてるんでしょ。
オレが、蘭子さんの所へ
行ってたって」
「……………っ」
今さらごまかしたって
何にもならない。
むしろ、今はありがたいの
かもしれない。
_沈黙を答えに変えると、
柚木クンはもう一度ため息の
ような笑みを落として、
「本当に美咲はわかりやすいな。
――好きだよ、そういうとこ」
「な、何言って――…」
不覚にもドキッとしてしまった。
(バカ、何動揺してんのよ。
“好き”なんて、たいした
意味ないでしょ)
懸命に自分にそう言い
聞かせるあたしを知ってか
知らずか、柚木クンは落ち
着いた態度でコートやスーツの
ジャケットを脱ぎながら
話を続ける。
「今日蘭子さんと話して、
決めてきた。
ホワイト・マリッジで
支店マネージャーさせて
くれるってさ。
家も、あの人の所に帰る」
_“アノヒトノトコロニカエル”
その一言に胸が疼くのは、
どうしてなんだろう。
「……随分、急なのね」
(なんでいきなりそんな
ことになるの?
ピュアスプリングの吸収
合併を抗議しに行ったん
じゃなかったの?)
「別に、元からいつかは
そうなるんじゃないかと
思ってたことだ。
急じゃないよ。
オレは、いつそうなっても
いいようにしてきたんだから」
……それはもう、わかってる。
詳しくは聞けなかったけど、
柚木クンがちゃんとした
自分の家を持たないのも、
結婚相談所っていう仕事を
選んだのも、蘭子さんの
ことがあるからなんだろう。
_成人してからも、柚木クンは
蘭子さんと離れる気はない……
ううん、離れられないって
ことを、彼はわかってるんだ。
でも――…。
(本当に、それでいいの?
それが、自分の本心なの?)
あたしにはどうしても、
そんな思いが拭い去れない。
蘭子さんが後見人で、
『自分は彼女のペット』と
話した時のどこか辛そうな
表情は、とてもその関係を
心から受け入れてるようには
見えなかった。
それに彼は、この間は今と
真逆のことを言ってたんだ。
蘭子さんとの関係は続いてる
けれど、自分は“恋人”
じゃないから、ここを
出ていくつもりもないって。
_それなのにどうして、この
タイミングで180度話が
変わってしまうのか。
あたしにはどうしても、
不自然に思えてならない。
それにそもそも、会社を
飛び出してまで蘭子さんの
元に行った理由は、何ひとつ
話してくれてない……。
「柚木クン……」
頭の中に浮かんだひとつの
答えを、問いかけにするのは
少し怖かった。
でも、確かめないわけには
いかない。
あたしはゴクッと息を飲み
込んで、思い切ってその
疑問をぶつける。
「まさかと思うけど、
ホワイト・マリッジが……
蘭子さんが提携の話を急に
変えてきたのには、あなたが
関係してるの……?」
_そんなこと、あるわけない
って思いたい。
だけど、問いかけを聞いた
柚木クンの頬が少しだけ
ピクッと震えたのを、
あたしは見逃さなかった。
「まさか……。
ねぇ、ホントにそうなの!?
それで、急にうちを辞めて
彼女の所に行くなんて――」
「――提携の話は、予定
通り進むよ。
吸収合併なんかじゃない、
あくまでグループ傘下に
入るって形でね」
「……………っ!!」
その返答が、何よりの
肯定だと思った。
あたしは上擦る声を抑える
こともできず、動揺を
あらわに叫ぶ。
「彼女と取引したのねっ!?
それじゃあ吸収の話も、
最初からあなたを連れ戻す
ための手段ってこと!?」
_「は? 取引?
――違うよ。オレは、吸収
合併の話は本当なのか
確認しに行っただけ。
そしてそれは誤解だって、
蘭子さんの口から聞いてきた。
明日にも、うちの上層部へも
ちゃんと再説明がされるよ」
「嘘! だって緊急会議
開くほどの問題になってたのよ!?
単なる誤解だなんて
ありえないじゃないっ」
「そんなこと言っても、
実際そうだったんだから。
それとオレが辞めること
とは無関係。
オレが移ることを決めたのは、
単にかなりいい条件出して
くれたからだよ」
「嘘。嘘よ……!」
_そんなの信じられるわけがない。
柚木クンのことなんて、
あたしはほとんど知らない。
でも、一緒に過ごした
短い期間でだって、少しは
わかったこともある。
ただの確認のために、
あんなふうに会社を飛び出して。
そして行った先で待遇の
よさだけでコロッと意見を
変えるなんて……そんなの
絶対、柚木クンらしくない。
―――納得、できない。
「……いいじゃん。
美咲は困ることなんて何も
ないだろ。
うっとおしいヤツはいなく
なって、今までどおり仕事を
続けられる。
万々歳じゃないか」
_白々しいほどサバサバと
そう言う姿が、よけいに
嘘っぽく見えた。
体の中を、怒りとも切なさ
ともつかない感情がグルグル
してる。
この感情を、どう言葉に
表せばいいのか。
それがわからなくてジッと
目の前の白い顔を見つめて
いたら、柚木クンはおもむろに
右手をあげ、今日はまだ
かけたままだった眼鏡を外した。
そしてそれをコトリと傍の
テーブルに置きながら、
「そんな顔しないで、
今日くらい笑っててよ。
オレと過ごす、最後の
夜なんだからさ」
『オレが来てから、家でも
会社でもツンツンして
ばっかりだったろ』
そう言って、どこか
さみしげに彼は笑った。
_「何よ、それ………」
笑ってて?
――なんて勝手なお願い。
そもそも同居だって、柚木
クンが無理矢理押しかけて
きて始まったことだった。
もっとさかのぼれば、そんな
関係になったのも、彼の
本性を知ったのも。
きっかけは全部、彼の方。
あたしが自分から動いたり
求めたことなんて、
何ひとつない。
ただの後輩だと思わせてた
仮面を勝手に外して、強引に
あたしの生活に割り込んできて。
困るあたしを、柚木クンは
自分勝手に振り回してきた
だけじゃない。
―――それなのに、どうして。
「どうして、
そんななのよ……!」
_どうして最後だけ、そんなに
寂しそうに笑うのよ。
「勝手すぎるわよ、
柚木クンは……っ」
悔しいのに、声が震える。
……悔しい? 何に?
柚木クンの勝手に、最後の
最後まで振り回されることに?
………違う。
悔しいのは――振り回されてた
だけのはずなのに、いつの
間にかこんな気持ちに
なってる自分にだ。
出て行くと言われると寂しくて。
あの人の所に戻ると言われると
切なくて。
まるで裏切られたような
気分になってる――そんな
自分が、悔しい――…。
_「……そうだよ。勝手だよ」
静かに――だけどどこか
普段とは違う声が、独り言の
ように柚木クンの口からもれた。
目が合うと、彼は音もなく
一歩あたしの方へ踏み出して、
「勝手で悪い?
だけどそうでなきゃ、手に
入らないものだってある。
それでも最後だけは、
守ろうとしたつもりなんだけど」
「ゆ、柚木クン――?」
言葉は淀みなく紡がれて
いるけれど、その声は
かすかに揺れている。
あふれそうな感情を、必死で
押し込めているかのように。
「――全部奪っていいなら、
奪おうか?
言った方がいい?
オレが本当はずっと前から
美咲が好きで、何が何でも
手に入れたかったんだって」
_「え――――…!?」
「見てるだけのつもり
だったけど、できなかった。
振り回しても嫌われても、
それでも近づきたいと
思ってしまった。
それくらい、好きなんだって」
「……………っ!!」
自分の耳を疑う。
柚木クンは何を言ってるの?
彼が……あたしのことを、
好き?
(嘘よ………!)
柚木クンの言葉にはもう
散々振り回されてきた。
好きだなんて……そんなの、
ありえない。
だって彼は常に蘭子さんや
千晶さん、それ以外にも
沢山の女の人と関係を
持ってたような男。
初めてあたしを抱いた時も、
翌朝にはベッドから他の
女に電話したのよ?
_そんなヤツが、あたしを
本気で好きだなんて
信じられない。
信じちゃいけない。
そう思うのに―――なぜ
だろう、鼓動はどんどん
速くなる。
胸を突き破ってしまいそうな
ほど、速く強く波打って。
全身が熱くて、目眩がしそう。
「オレにはそんな資格はない。
そうわかってても――
欲しかったんだ」
「―――――!!」
声が聞こえたと思った時には、
あたしの体は強く抱き
すくめられていた。
見た目より筋肉質の腕が
きつくあたしの体をとらえ、
片方の指で強引に顎を上に
あげさせられる。
拒む間もなく、激しく唇を
重ねられた。
_「んっ………っ」
今まで以上に荒々しい、
熱いキス。
あっという間にあたしの
口内を翻弄する舌に、息が
苦しくなる。
「んんっ……や……っ」
――どうしてこんなキス
するのよ。
冷たい態度からは想像も
つかないほど情熱的で、
あたしの全てを奪い去ろうと
するかのようなキスを。
こんなだから、錯覚して
しまうんだ。
初めてキスをした時も、
その腕に抱かれた時も。
その瞬間だけは、感じてしまう。
まるであたしは、本当に
この人に愛されてるみたい
だって。
_だけどそんなの、嘘なんでしょ?
あなたはそんなふうに、
何人もの女を抱いてきたん
でしょ?
あたしだけ特別だなんて――
そんなこと、信じられない
――…。
「ん………はぁっ」
ようやく唇が解放されて、
あたしは思わず大きな声を
出して呼吸した。
柚木クンの顔は見えない。
彼はあたしの肩口に顔を
うずめて、まだ強くあたしの
体を抱いている。
首を動かそうにも、柚木
クンはそれをさせまいと
しているようだった。
「だけど……奪えない。
オレの大好きな顔を、オレが
消し去ることになる」
_右の耳元で、少しくぐもって
そう聞こえる。
(大好きな顔?
どういうこと?)
疑問を口にするタイミングも
ないまま、唐突に柚木クンの
体があたしから離れた。
そのまま柚木クンは一歩
後ろに下がり、あたしと
距離をとる。
恐る恐る見上げた彼の顔は、
悲しげな笑いを浮かべていた。
「最後の夜はムリそうだな。
さすがに冷静に過ごす
自信がないよ」
自嘲的にそう言って。
柚木クンは素早く周囲に
目をやると、ソファの背に
かけておいたジャケットと
コートをつかんだ。
「ちょっ……どこ行くのよ!?」
_動き出した彼が外に出ようと
していると気づきあわてて
叫ぶと、柚木クンはクルリと
あたしを振り返って、
「心配しなくても、明日は
ちゃんと出勤する。
さすがに電話とかだけで
済ませちゃ失礼だからね」
「違っ……そんなことを
言ってるんじゃ……!」
そうじゃない。
明日会社に来るのかなんて、
そんなことを心配してるん
じゃない。
だけど、それ以上の言葉は
出なくて。
「――だから、そんな顔
しないで、美咲」
非常識なことばかりを
吐いてきた口でそんなことを
言うなんて、反則だ。
いつもいつも、反則ばかり。
_滲みそうになる涙を、
あたしは必死で堪えていた。
そんなあたしにフッと
吐息のような笑いをもらして、
最後に柚木クンが言う。
「大好きな仕事、これからも
頑張りなよ。
いつまでも、人の心に
触れる営業がしたいんだろ」
本当にずるい、優しさで
満ちたセリフを残して。
迷惑なだけだったはずの
同居人は、背中を向けると
静かに部屋を出ていった――…。
☆☆☆☆☆
_