ギミック・ラブ ~年下小悪魔の上手な飼い方~《完》
15 別れの言葉の、選び方
     ☆☆☆☆☆



お風呂に入る気にも、寝る
気にもなれなかった。


買ってきた夕食もほとんど
喉を通らず、結局ファズに
あげてしまった。


人懐っこいファズはもう
あたしにも懐いてて、大喜びで
おこぼれを食べて、今夜も
ぐっすり眠ってる。


柚木クンの愛犬なのに。

ご主人がしょっちゅう帰りが
遅いから、あたしの方が
真面目に世話してるじゃない。


「どこ行ったのよ……!」


“同居人”になってから
一応交換した電話番号に、
初めて電話した。


_でも、コールはするものの
アイツは出ない。

メールもしたけど、
予想通り返信はなかった。


時刻はもうすぐPM10時。


今日も、前みたいに日付の
変わる頃には帰ってくるん
だろうか。

それとも今夜こそは、もう
ずっと、帰ってこない……?



「……どうして………」


柚木クンが飛び出して
行った後のオフィスは、
もちろん騒然。


みんなが普段とは別人の
ような柚木クンの態度に驚き、
誰一人として出て行った
彼の行く先を理解できる
者はいなかった。


_あたしも動揺してて、
すぐには思いつかなかった。


でも……時間がたって冷静に
なれば、今のあたしには
何となく予想がつく。


柚木クンはきっと、ホワイト・
マリッジの社長――
“蘭子さん”に会いに
行ったんだろう。


彼にはそれができるから。


あのタイミングでなら、
他には考えつかない。

協力的な事業提携から吸収
合併という主張に変えて
きたことを、責めに
行ったに違いない。


_正直、柚木クンは前に仕事に
対してふざけたことも
言ってたから、マジメに
取り組んでる印象がなかった。


だから、例え吸収合併に
なるにしても、彼ならどう
でもいいと笑うんじゃない
かとすら思えるほどで、

はっきり言って今日の態度は、
かなりの驚きだったんだけど。


(でも……アイツの考えてる
ことなんて、あたしには
わかりっこないもんね……)


――いつもそうだった。

別に、今に始まったこと
じゃない。


むしろ柚木クンの頭の中が
理解できたことなんて、
あたしには一度だってないと
言っていいくらい。


_彼はいつも、あたしの理解の
域を超えたとんでもない
行動で、あたしを振り
回してきた。

そういうヤツなんだから。


「ホントに――ぜんっぜん
わかんない――…」


思わず吐き捨てるように
つぶやいたその時、ガチャリと
音がした。


「……………っ!」


いつの間にかすっかり
耳慣れてしまった音。


――帰ってきた。


あたしは矢も盾もたまらず、
座っていたソファから
弾かれたように立ち上がって
リビングを飛び出した。


短い廊下の先、玄関に靴を
脱ごうとしたまま動きを
止めている柚木クンがいる。


「――何、出迎え?

ありがたいね」


_流れるような軽い口調に、
思わずカッと頭に血がのぼって、


「ふざけないで! 
一体どういうつもりよ!?

なんであんなことしたのっ!?」


一気に柚木クンの正面まで
距離を詰めて食ってかかると、
柚木クンは大ゲサに背中を
のけぞらせて、


「そんな大声出さなくても
いいだろ。

ていうか、こんな所で話
するつもり?」


まるであたしが非常識だと
でも言わんばかりの声に、
さらに神経が逆撫でされる。


でも、あたしには聞きたい
ことが山のようにある。
冷静さを失っちゃいけないと、
懸命に心をなだめた。


グッと息を飲み込んで一歩
後ろに下がると、すぐに
彼は靴を脱いで玄関に
あがってくる。


_スタスタ歩き出す背中を
慌てて追いかけ、あたしは
もう一度言った。


「どこに行ってたのよ?

あの後、会社じゃ大騒ぎよ。
明日絶対に奈々も色々
聞いて――」


「別にもうどうでもいいよ。

オレ、明日であの仕事は
辞めるから」


「―――――!?」


ちょうどリビングに入ると
同時に、クルッと振り
返って告げられた言葉。


本当に何でもないことの
ようにサラリと告げるその
顔が信じられなくて、
あたしはマジマジと彼の
レンズ越しの瞳を見つめた。


「な、何言ってんの……?」


辞める? なんでいきなり、
そんな話になるのよ?


_(あんなことしちゃったから?

“会社の顔”じゃない、
本性も見せちゃったし。

だから……?)


「明日、退職願いを出したら
すぐに戻って……

んで荷物まとめて、ここも
出ていく。

ファズも連れてくよ」


「なっ………」


体中の血が、煮立ったように
熱くなった気がした。

グツグツ沸いて体を
溶かしてくような、不快な錯覚。


「……きゅ、急に何無責任な
こと言ってんの?

明日いきなりなんて、そんなの
通用するわけないでしょ」


発した声は少しかすれて
いて、全く張りがなかった。


……わかってる。

きっと今あたしが本当に
言いたいのは、そんなこと
じゃない……。


_「通用するよ。

ていうか、営業マンの一人
くらいいなくなっても、
どうにかなるでしょ。

そこまで人手不足じゃ
ないんだし」


「で、でも今は年末の
忙しい時期じゃない。

こんな時にいきなり辞める
なんて、そんなの……」


―――違う、違う。


見当外れな自分のセリフが
もどかしくて情けない。


あたしは柚木クンを見て
いられなくて、視線をそらした。

俯くようにカーペットを
見つめ、無意識のうちに
唇を噛む。


_「……辞めて、どうするの
……?」


聞きたいのは、そんなこと
じゃない。
仕事のことじゃない。


――だけどそんなの、
自分でも認めたくなくて。


「蘭子さんの会社で――
ホワイト・マリッジで、働く」


「―――――っ!!」


電流が走ったように、ビクッと
肩を弾ませてしまった。


柚木クンはそんなあたしを
見下ろして、曖昧な笑顔で
フッと笑うと、


「何をそんなに驚いてんの?

予想はついてるんでしょ。

オレが、蘭子さんの所へ
行ってたって」


「……………っ」


今さらごまかしたって
何にもならない。

むしろ、今はありがたいの
かもしれない。


_沈黙を答えに変えると、
柚木クンはもう一度ため息の
ような笑みを落として、


「本当に美咲はわかりやすいな。

――好きだよ、そういうとこ」


「な、何言って――…」


不覚にもドキッとしてしまった。


(バカ、何動揺してんのよ。

“好き”なんて、たいした
意味ないでしょ)


懸命に自分にそう言い
聞かせるあたしを知ってか
知らずか、柚木クンは落ち
着いた態度でコートやスーツの
ジャケットを脱ぎながら
話を続ける。


「今日蘭子さんと話して、
決めてきた。

ホワイト・マリッジで
支店マネージャーさせて
くれるってさ。

家も、あの人の所に帰る」


_“アノヒトノトコロニカエル”


その一言に胸が疼くのは、
どうしてなんだろう。


「……随分、急なのね」


(なんでいきなりそんな
ことになるの?

ピュアスプリングの吸収
合併を抗議しに行ったん
じゃなかったの?)


「別に、元からいつかは
そうなるんじゃないかと
思ってたことだ。

急じゃないよ。

オレは、いつそうなっても
いいようにしてきたんだから」


……それはもう、わかってる。


詳しくは聞けなかったけど、
柚木クンがちゃんとした
自分の家を持たないのも、
結婚相談所っていう仕事を
選んだのも、蘭子さんの
ことがあるからなんだろう。


_成人してからも、柚木クンは
蘭子さんと離れる気はない……
ううん、離れられないって
ことを、彼はわかってるんだ。


でも――…。


(本当に、それでいいの?
それが、自分の本心なの?)


あたしにはどうしても、
そんな思いが拭い去れない。


蘭子さんが後見人で、
『自分は彼女のペット』と
話した時のどこか辛そうな
表情は、とてもその関係を
心から受け入れてるようには
見えなかった。


それに彼は、この間は今と
真逆のことを言ってたんだ。

蘭子さんとの関係は続いてる
けれど、自分は“恋人”
じゃないから、ここを
出ていくつもりもないって。


_それなのにどうして、この
タイミングで180度話が
変わってしまうのか。


あたしにはどうしても、
不自然に思えてならない。

それにそもそも、会社を
飛び出してまで蘭子さんの
元に行った理由は、何ひとつ
話してくれてない……。


「柚木クン……」


頭の中に浮かんだひとつの
答えを、問いかけにするのは
少し怖かった。


でも、確かめないわけには
いかない。


あたしはゴクッと息を飲み
込んで、思い切ってその
疑問をぶつける。


「まさかと思うけど、
ホワイト・マリッジが……
蘭子さんが提携の話を急に
変えてきたのには、あなたが
関係してるの……?」


_そんなこと、あるわけない
って思いたい。


だけど、問いかけを聞いた
柚木クンの頬が少しだけ
ピクッと震えたのを、
あたしは見逃さなかった。


「まさか……。

ねぇ、ホントにそうなの!?
それで、急にうちを辞めて
彼女の所に行くなんて――」


「――提携の話は、予定
通り進むよ。

吸収合併なんかじゃない、
あくまでグループ傘下に
入るって形でね」


「……………っ!!」


その返答が、何よりの
肯定だと思った。


あたしは上擦る声を抑える
こともできず、動揺を
あらわに叫ぶ。


「彼女と取引したのねっ!?

それじゃあ吸収の話も、
最初からあなたを連れ戻す
ための手段ってこと!?」


_「は? 取引?

――違うよ。オレは、吸収
合併の話は本当なのか
確認しに行っただけ。

そしてそれは誤解だって、
蘭子さんの口から聞いてきた。

明日にも、うちの上層部へも
ちゃんと再説明がされるよ」


「嘘! だって緊急会議
開くほどの問題になってたのよ!?

単なる誤解だなんて
ありえないじゃないっ」


「そんなこと言っても、
実際そうだったんだから。

それとオレが辞めること
とは無関係。

オレが移ることを決めたのは、
単にかなりいい条件出して
くれたからだよ」


「嘘。嘘よ……!」


_そんなの信じられるわけがない。


柚木クンのことなんて、
あたしはほとんど知らない。


でも、一緒に過ごした
短い期間でだって、少しは
わかったこともある。


ただの確認のために、
あんなふうに会社を飛び出して。


そして行った先で待遇の
よさだけでコロッと意見を
変えるなんて……そんなの
絶対、柚木クンらしくない。


―――納得、できない。



「……いいじゃん。
美咲は困ることなんて何も
ないだろ。

うっとおしいヤツはいなく
なって、今までどおり仕事を
続けられる。

万々歳じゃないか」


_白々しいほどサバサバと
そう言う姿が、よけいに
嘘っぽく見えた。


体の中を、怒りとも切なさ
ともつかない感情がグルグル
してる。


この感情を、どう言葉に
表せばいいのか。

それがわからなくてジッと
目の前の白い顔を見つめて
いたら、柚木クンはおもむろに
右手をあげ、今日はまだ
かけたままだった眼鏡を外した。


そしてそれをコトリと傍の
テーブルに置きながら、


「そんな顔しないで、
今日くらい笑っててよ。

オレと過ごす、最後の
夜なんだからさ」


『オレが来てから、家でも
会社でもツンツンして
ばっかりだったろ』


そう言って、どこか
さみしげに彼は笑った。


_「何よ、それ………」


笑ってて? 
――なんて勝手なお願い。


そもそも同居だって、柚木
クンが無理矢理押しかけて
きて始まったことだった。


もっとさかのぼれば、そんな
関係になったのも、彼の
本性を知ったのも。


きっかけは全部、彼の方。

あたしが自分から動いたり
求めたことなんて、
何ひとつない。


ただの後輩だと思わせてた
仮面を勝手に外して、強引に
あたしの生活に割り込んできて。


困るあたしを、柚木クンは
自分勝手に振り回してきた
だけじゃない。


―――それなのに、どうして。


「どうして、
そんななのよ……!」


_どうして最後だけ、そんなに
寂しそうに笑うのよ。


「勝手すぎるわよ、
柚木クンは……っ」


悔しいのに、声が震える。


……悔しい? 何に?

柚木クンの勝手に、最後の
最後まで振り回されることに?



………違う。


悔しいのは――振り回されてた
だけのはずなのに、いつの
間にかこんな気持ちに
なってる自分にだ。



出て行くと言われると寂しくて。

あの人の所に戻ると言われると
切なくて。


まるで裏切られたような
気分になってる――そんな
自分が、悔しい――…。


_「……そうだよ。勝手だよ」


静かに――だけどどこか
普段とは違う声が、独り言の
ように柚木クンの口からもれた。


目が合うと、彼は音もなく
一歩あたしの方へ踏み出して、


「勝手で悪い? 

だけどそうでなきゃ、手に
入らないものだってある。

それでも最後だけは、
守ろうとしたつもりなんだけど」


「ゆ、柚木クン――?」


言葉は淀みなく紡がれて
いるけれど、その声は
かすかに揺れている。

あふれそうな感情を、必死で
押し込めているかのように。


「――全部奪っていいなら、
奪おうか?

言った方がいい?

オレが本当はずっと前から
美咲が好きで、何が何でも
手に入れたかったんだって」


_「え――――…!?」


「見てるだけのつもり
だったけど、できなかった。

振り回しても嫌われても、
それでも近づきたいと
思ってしまった。

それくらい、好きなんだって」


「……………っ!!」


自分の耳を疑う。


柚木クンは何を言ってるの?

彼が……あたしのことを、
好き?


(嘘よ………!)


柚木クンの言葉にはもう
散々振り回されてきた。


好きだなんて……そんなの、
ありえない。


だって彼は常に蘭子さんや
千晶さん、それ以外にも
沢山の女の人と関係を
持ってたような男。


初めてあたしを抱いた時も、
翌朝にはベッドから他の
女に電話したのよ?


_そんなヤツが、あたしを
本気で好きだなんて
信じられない。

信じちゃいけない。


そう思うのに―――なぜ
だろう、鼓動はどんどん
速くなる。


胸を突き破ってしまいそうな
ほど、速く強く波打って。

全身が熱くて、目眩がしそう。



「オレにはそんな資格はない。

そうわかってても――
欲しかったんだ」


「―――――!!」


声が聞こえたと思った時には、
あたしの体は強く抱き
すくめられていた。


見た目より筋肉質の腕が
きつくあたしの体をとらえ、
片方の指で強引に顎を上に
あげさせられる。

拒む間もなく、激しく唇を
重ねられた。


_「んっ………っ」


今まで以上に荒々しい、
熱いキス。

あっという間にあたしの
口内を翻弄する舌に、息が
苦しくなる。


「んんっ……や……っ」


――どうしてこんなキス
するのよ。

冷たい態度からは想像も
つかないほど情熱的で、
あたしの全てを奪い去ろうと
するかのようなキスを。


こんなだから、錯覚して
しまうんだ。


初めてキスをした時も、
その腕に抱かれた時も。


その瞬間だけは、感じてしまう。


まるであたしは、本当に
この人に愛されてるみたい
だって。


_だけどそんなの、嘘なんでしょ?


あなたはそんなふうに、
何人もの女を抱いてきたん
でしょ?


あたしだけ特別だなんて――
そんなこと、信じられない
――…。



「ん………はぁっ」


ようやく唇が解放されて、
あたしは思わず大きな声を
出して呼吸した。


柚木クンの顔は見えない。

彼はあたしの肩口に顔を
うずめて、まだ強くあたしの
体を抱いている。


首を動かそうにも、柚木
クンはそれをさせまいと
しているようだった。


「だけど……奪えない。

オレの大好きな顔を、オレが
消し去ることになる」


_右の耳元で、少しくぐもって
そう聞こえる。


(大好きな顔? 
どういうこと?)


疑問を口にするタイミングも
ないまま、唐突に柚木クンの
体があたしから離れた。


そのまま柚木クンは一歩
後ろに下がり、あたしと
距離をとる。


恐る恐る見上げた彼の顔は、
悲しげな笑いを浮かべていた。


「最後の夜はムリそうだな。

さすがに冷静に過ごす
自信がないよ」


自嘲的にそう言って。


柚木クンは素早く周囲に
目をやると、ソファの背に
かけておいたジャケットと
コートをつかんだ。


「ちょっ……どこ行くのよ!?」


_動き出した彼が外に出ようと
していると気づきあわてて
叫ぶと、柚木クンはクルリと
あたしを振り返って、


「心配しなくても、明日は
ちゃんと出勤する。

さすがに電話とかだけで
済ませちゃ失礼だからね」


「違っ……そんなことを
言ってるんじゃ……!」


そうじゃない。

明日会社に来るのかなんて、
そんなことを心配してるん
じゃない。


だけど、それ以上の言葉は
出なくて。


「――だから、そんな顔
しないで、美咲」


非常識なことばかりを
吐いてきた口でそんなことを
言うなんて、反則だ。

いつもいつも、反則ばかり。


_滲みそうになる涙を、
あたしは必死で堪えていた。


そんなあたしにフッと
吐息のような笑いをもらして、
最後に柚木クンが言う。


「大好きな仕事、これからも
頑張りなよ。

いつまでも、人の心に
触れる営業がしたいんだろ」


本当にずるい、優しさで
満ちたセリフを残して。


迷惑なだけだったはずの
同居人は、背中を向けると
静かに部屋を出ていった――…。





     ☆☆☆☆☆


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