戦場帰りの聖女は「穢れた」と断罪され追放されたけれど、獣人の王に拾われて契約結婚したら溺愛されました~追放した王国が滅びかけて土下座してきましたが私はもう戻りません~

第13話 王妃の館と、小さな手紙

 その館は、王城の中庭から少し離れた位置に建っていた。
 石造りの重厚な本館とは異なり、木の香りが残る白壁の離れ。
 広すぎない敷地に、花壇と小さな果樹園がある、静かな場所だった。

「……こちらが、これからお住まいになる王妃の館です」

 案内の侍女は、丁寧に頭を下げたが、その声音にはわずかに距離があった。
 彼女の視線だけでなく、控えていた護衛たちの目も──遠巻きだった。

 それも無理はない。
 王に突然迎え入れられた異国の女である。
 それが名目上の契約な婚姻であると知られていても、宮廷内では波紋を呼んでいた。

「ありがとうございます。よろしくお願いします」

 セラフィーナは、気後れする心を押し込めて、柔らかく頭を下げた。

 緊張した空気の中で、言葉を選ぶことは簡単ではない。
 けれど、それでも──礼を尽くすことだけは、守ろうと決めていた。

 新しい部屋は、清潔で、明るかった。
 窓からは中庭の木立が見える。
 書き物机と書棚、暖炉と小さなベッド──質素ながらも温かみのある空間だ。

 ひと息ついた時、小さな包みが届けられた。

「……これは?」
「養育舎のノア様とカルミア様からです。お手紙を、と」

 セラフィーナは包みを受け取ると、そっと紐を解いた。

 中には、よれた羊皮紙と、色鉛筆で描かれた絵。

 そこには、笑顔の二人と、セラフィーナを模した人物が並んで手をつないでいる。
 その下には、つたない文字で──

『セラはおひめさまになったの?』
『おまつり、いっしょにいける?』
『あいにきてね!』

「……ふふっ」

 自然と、笑みがこぼれた。
 喉の奥が少し熱くなる。
 遠く離れても、想ってくれる存在がいる。
 その事が何よりも温かかった。

「私は……妻なんて呼ばれるような人間じゃないんだけどな……」

 ぽつりと呟いた声は自嘲にも似ていたが、どこか嬉しそうだった。
 セラフィーナは羊皮紙を抱きしめるようにしばらく胸元に当て、机にしまった。

   ▽ 

 午後の陽射しは柔らかく、空気には初夏の気配が混じっていた。
 王妃の館と呼ばれる離れの庭先で、セラは木桶に汲んだ水を慎重に植え込みへと注いでいた。
 白い手が、小さなじょうろの柄を握る。
 まだ慣れない動作に水が勢いよく出すぎて、土が跳ねた。

「あっ……」

 思わず声がこぼれる。
 泥がはね、草花の根本が崩れてしまった。
 セラフィーナはしゃがみ込み、手でそっと土を寄せ戻す。
 汚れを気にする様子もなく慎重に、丁寧に。

 ──その様子を、離れたところから見ている影があった。

 庭の端、藤棚の影に立つ侍女の一人。
 名はまだ聞いていないが、毎朝淡々と部屋の整備をこなす人物だった。
 彼女は何か言いかけて、口を開き──けれどすぐに目を伏せ、そのまま踵を返して立ち去った。
 セラフィーナは、視線に気づいていた。
 それでも振り返らなかった。

 この国に来てから、言葉にされない感情に触れることが増えた。
 警戒、好奇心、そして──少しの期待。

(すぐに受け入れてもらおうとは思っていない……でも、少しずつでいい。触れあえばきっと変わっていくだろう)

 そう思いながら、セラフィーナはまた手のひらで土を押さえ、ぐらついていた苗をまっすぐに立て直す。
 そっと葉先に触れると、草木の匂いが指に移った。
 戦場では嗅ぐことのなかった、優しい匂い。

(私は、ここで──)

 風が吹き、陽射しが一瞬、葉の影をゆらした。
 セラフィーナは空を仰ぎ、小さく目を閉じる。

(……ここで、生きると決めたんだ)

 どこかに帰るのではなく、ここを帰る場所にするために。
 
    ▽ 

 その様子を、王城の高台から見下ろしていた男がいた。

 長い黒銀の髪を風に揺らし、静かに目を細める。
 ライグ・ヴァルナークだ。

「……もう慣れたか、セラフィーナ」

 遠くを見つめながら、小さく呟いたその声は、風にさらわれて誰にも届かない。
 彼はすぐにその場を離れ、何事もなかったように政務室へと戻っていった。
 その目に映ったのは、庭で水やりをしていた一人の『王妃』の姿。
 その背は、小さく、けれど不思議と心に残った。

 ──名前だけの妻。

 しかしその姿は、確かにこの国の空気に、少しずつ馴染み始めていた。
< 13 / 57 >

この作品をシェア

pagetop