追放聖女の帰還

種馬王子、本気を出す

 肌を焦がすような夏の日差しを浴びながら、サーシャを乗せた馬車は西の森へと向かっている。

 逸(はや)る気持ちとは裏腹に、街道を進む馬車の速度はとてもゆっくりだ。

 浄化の代償を告白してから、サーシャの体調は一気に悪化した。もう馬車の座席に一人で座っていることすらできない。

 馬車が揺れるたびに苦痛の声を漏らすサーシャを見ていられず、アズレイトは急遽、大型の救護馬車を手配した。

 そしてアズレイトは、馬車の中でずっとサーシャの世話を焼いている。

 時折、眠るサーシャの手を握り、アズレイトは思いつめた表情を浮かべる。その姿は痛々しいが、それでもサーシャが起きている時は気丈に振舞っている。

 そんな主を目にして、騎士たちは少しでもサーシャが未来に期待が持てるよう、明るい話題を振り、思いつく限りの冗談を口にする。

 騎士たちも、強く願っているのだ。サーシャがもう一度、あの森に戻ることを──

「失礼します。サーシャさま、少しよろしいでしょうか?」

 馴染みのある騎士に声を掛けられ、微睡んていたサーシャはパチリと目を開けた。

「ん?もちろん……いいですよー」

 声がする方に返事をしながらサーシャは、肘を付いて身体を起こそうとする。でもすぐに、ぐらりと身体が傾いてしまった。

 サーシャは、もう一人で起き上がることができなくなっていた。

 それを知っているアズレイトは、サーシャが床に倒れこむ前に腕を伸ばして支える。そしてそのままサーシャの背もたれと化す。

 ほんの少し前まで、騎士達が気を揉んでいたのが馬鹿らしくなるほど、二人は常に密着している。

 でも、騎士達はそれを見て微笑ましいとは思えない。

 くしゃりと泣きそうになる顔を必死に押さえ込んで、騎士のランダは手にしていたものをサーシャに差し出した。

「以前、割ってしまったカップの代わりをお持ちしました。どうぞ受け取ってください」

 サーシャはそれに触れて、苦笑する。

「......そんなの良かったのに」
「いいわけありません。ずっと申し訳なく思っていました。でも同じ柄を探したのですが、どうしても見つからず……申し訳ございません。わたくしの趣味で選んでしまいました。気に入っていただけたら幸いです」
「うん、ありがとう。では遠慮無く使わせてもらいますね──うん、スベスベ。いい肌触りです」
「あ、あの……サーシャさま、恐れながら……それは、わたくしの頭部でございます」
「あっ、え?あの、ご、ご、ごめんなさい!」

 取り返しのつかない失態を犯してしまったサーシャは、オロオロしながら謝罪する。

「お気になさらず。陶磁器のように滑らかだとお褒めいただき、恐悦至極にございます」
「いや、あの、ほんとごめんなさいっ」
「大丈夫でございます。本当に……お気になさらず……」
「っ……!」

 ロイドから涙声で遮られ、サーシャはもう謝ることすらできない。

 互いにフォローしようとすればするほどドツボにはまるこの状況だが、サーシャは悪気があってそう言ったわけじゃない。もう目が見えないだけだ。
 
 だからロイドが涙声なのは、ハゲを弄られたからではない。.

「え、ええーと……サーシャさま、こちらでございますよ」

 収拾がつかなくなりそうな状況を察知したアズレイトは、サーシャの手に本物のカップを置いた。

「アズさん、ありがとうございます──うん。取っ手が大きいから、握りやすいです。これならうっかり落とさないで済みますから、長く使えますね。ありがとうございます、大切にします」

 サーシャは手の中にあるカップに触れ、先程の失態を取り消すように丁寧にロイドに礼を言った。

 言ったそばからサーシャはチクリと胸が痛む。これを使う日は、きっと来ないだろう。

 嘘を吐く罪悪感は、未だに慣れることはない。でも、サーシャは優しい嘘を吐き続ける。

「これで帰ったら、ハチミツ入りのお茶が飲めます。ロイドさんも、他の皆さんも飲んでくださいね。今度はゆっくりと」

 サーシャはにこりと笑って、騎士に嘘を吐く。背中を支えるアズレイトが、微かに震えたのが伝わってきた。

 ”そうしてほしい” ”そうなってほしい”と互いに思っているのに、それが嘘だとわかってしまうのは、なんて残酷なことなのだろう。

 それでもサーシャは、叶わぬ未来を口にする。

「アズも、今度こそハチミツ入りのお茶を飲んでくださいね」
「もちろんです」
「お代わりもしてくれる?」
「ええ、もちろん。でも二杯目は、わたくしに淹れさせてくださいませ」
「うん、楽しみにしてる」

 穏やかに微笑むサーシャだが、胸の内は苦しくてしかたがない。

 今ここにあるのは、優しさしかないのに、どうしてこんなに悲しい空気が充満しているのだろう。

 皆の笑顔が曇らないようにと浄化の儀をしたのに、まったく効果がないことにサーシャは、途方に暮れてしまう。 

 そんな中、少しの間を置いて力強い声が車内に響いた。

「なら、ふもとの村で果実を買ってパイも焼きましょう。こう見えて我々騎士は、料理も得意なんですから。お茶のお礼に、最高のパイをご馳走させて……いただきます……」

 最後に声を震わすロイドは、サーシャに悟られぬよう静かに涙を流していた。 
< 29 / 39 >

この作品をシェア

pagetop