追放聖女の帰還

種まき農夫と、躾の行き届いたタンポポ

 己の美貌を最大限に発揮して帰還交渉をまとめたアズレイトは、サーシャに荷造りの暇を与えず王都へと出発しようとした。

 しかしこの家には、サーシャがこよなく愛し、育てた、3羽のニワトリがいる。

 西の外れの森から王都までは、本気で馬車を走らせても半月はかかる。どれだけ急いで浄化の義を終えても、1ヶ月以上家を空ける計算となる。

 それまで人の手で育てられてきたニワトリ3羽が、自力で生きていられるかといえば、まず無理だ。

 帰宅早々、干からびた愛鳥などサーシャは見たくはない。それこそ干からびるくらいに泣くだろう。

 そんなわけで騎士2名は、ニワトリの世話をするため居残り班となり、ハンカチを振りながらサーシャ達を見送った。

 馬車が遠ざかっていくなか、「くれぐれもよろしく!食べたら承知しないからっ!」とサーシャは精一杯の脅し文句を叫んだが、騎士2名の胸に届いたかどうかは不明である。

 そんな出発間際のやり取りが終われば、馬車は大変静かである。

 出発して早10日。ずっと舗装されていないガタガタ道が続いているが、馬車は水上を滑るように大変乗り心地が良い。

 ロイヤル級の馬車は内装もゴージャスで、座席はフワフワが過ぎる。控えめに言ってサーシャがが長年愛用していたベッドより座り心地が良い。

 それも少々悲しいが、それよりもイケメン王子の口から、あんなおぞましい単語が飛び出してきた映像が、頭の中でリフレインしていることが一番悲しい。

 この世に生を受けて18年。サーシャは上品な人生を歩んできたとは言えないが、それでも“種馬”などという下品極まりない言葉を耳にしたのは初めてだ。

 しかも光り輝かんばかりのイケメンの口から紡がれたのだから、これはもう衝撃を越えて、悲しい気持ちでいっぱいになる。

 できることなら、あの瞬間に時間を巻き戻して、アズレイトの口に洗い立てのじゃがいもを詰め込みたい。

 などということを考えながら、サーシャは向かいの席に座るアズレイトに目を向ける。腕を組んで目を閉じている姿は、やっぱりカッコいい。 
 
 一方アズレイトは、目を閉じてはいたが眠ってはいなかった。サーシャの視線にすぐに気づくと、目を開けて爽やかな笑みを浮かべた。

「サーシャさま、お疲れですか?では、そろそろ休憩いたしましょう」
「......お任せします」
「かしこまりました」

 下品な言葉をさらっと口にしたことも忘れ、アズレイトは窓を開けて馬で並走している騎士の一人に手短に指示を出した。 

 アズレイトが休憩に選んだ場所は、のどかな田園地帯にポツンと生えている銀杏の木の下だった。

 もう生まれ故郷はどんなに目を凝らしても見えない。ずいぶん遠くに来たものだ。

 着の身着のまま王都へと出発したサーシャの荷物は、聖女の力を解放するために使う代々伝わる竪琴だけ。

 森の中での生活は、着飾る必要などない。丈夫な服が数着あれば事足りる。

 しかし田園風景を見つめるサーシャは、裕福な家庭の娘のような品の良い淡い黄色のワンピースを身にまとっている。

 これはアズレイトが一番最初の大きな町で購入したものだ。サーシャの身なりが見るに堪えないものだったのか、追放した過去への埋め合わせなのかはわからない。

(急いでいるはずなのに、服を買ってたことがバレたら怒られるんじゃないの?)

 余計なお世話とは思いつつ、サーシャはついアズレイトのことを心配してしまう。

「いや、いいし!別に私が欲しいって言ったわけじゃないし……!」

 わざと声に出して、アズレイトへの同情心を消したサーシャは、肩にかかったショールを胸元できつく合わせる。これも彼から贈られたものだ。

 今日は晴天だが、風が強くて肌寒い。ありがたく使わせてもらっている。

 びゅっと強い風が吹いて、サーシャは乱れた前髪を整える。暦の上では春で、至るところに春の花が咲いてはいるけれど、薄いショールでは寒さはしのぎ切れない。

 ぶるっと身体が自然に震える。でも、すぐにふわりと温かい何かがサーシャの身体を包んだ。

 びっくりして見上げれば、いつの間にか近くに来ていたアズレイトが、自分のマントをサーシャに掛けてくれたのだ。

「あの……これ……」
「わたくしのものでご不快かもしれませんが、お使いくださいませ」

 アズレイトは戸惑うサーシャを笑顔で黙らせると、片手に持っていた木製のコップを差し出した。

「今、そこの農夫からミルクを分けてもらいましたので、ミルクティーを用意しました。どうぞ、お飲みください」
「はぁ、どうも」

 ぺこりと頭を下げてサーシャがコップを受けとると、アズレイトは視線を別の方向に移す。

 釣られるようにサーシャもそこに目を向ければ、良く日焼けした一人の農夫が軽く手を挙げ背を向けるところだった。

「あのお方から頂きました。種まきは腰を痛めるそうなので、農夫殿には良く効く湿布薬をお渡ししました」

 王族なら権力にまかせてミルクなどぶん取ってもいいのに、アズレイトはそういった横暴なことはせず対等に接していたようだ。

(私には斬首刑をちらつかせて脅したくせに)

 割られたカップを未だに根に持っているせいで、つい意地悪なことを心の中で呟いてしまったが、サーシャは、アズレイトのそういうところは良いなと思っていたりもする。

 ただ……今しがたアズレイトが紡いだ「種まき」という言葉が、妙に卑猥に聞こえたのは自分だけなのだろうかとも考えてしまう。

 そしてそんなことを考えてしまった自分が恥ずかしくて、ほんのり赤く染まってしまった頬を隠すように、両手でコップを包んでミルクティを飲むことだけに専念する。

 それなのにアズレイトは、はっとした表情になり、心底申し訳なさそうに眉を下げた。

「……失礼しました。種馬がそのようなことを言えば、どうしても夜の営みにしか聞こえませんでした。以後、気を付けます」
「っ……!!!!」

 アズレイトの不意を突いた発言に、サーシャはミルクティーが気管に入り、盛大に噎せてしまった。
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