多谷昇太さんの作品一覧

ツイッター和歌集・1

総文字数/46,124

詩・短歌・俳句・川柳66ページ

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ツイッター上で「多谷昇太」の名で数多くの和歌をアップして来ました。人生の折々、喜怒哀楽につけて兎に角和歌を詠んで来たのです。ですから私にとって和歌は連れ合い、そして友達です。和歌のプロムナードを散策するような軽い気持ちで是非目を通してください。ひょっとしてあなたの気持ちや感情に寄り添えるかも知れません。それが出来たなら望外の幸せです。
行きます!ストーカー歌集…😭

総文字数/8,787

詩・短歌・俳句・川柳12ページ

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和歌集ですけど、とても奇異な和歌集…^_^; 中身はぜんぶ実話ですよ。ストーカー被害に遭っている人たち、ぜひ目を通してくっださいね。
渋谷少女A続編・山倉タクシー

総文字数/34,428

ミステリー・サスペンス48ページ

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これは既発表の「渋谷少女Aーイントロダクション」の続編です。霊界の東京から現実の東京に舞台を移しての新たな展開…田中茂平は69才になっていますが現世に復帰したA子とB子は果してあのまま…つまり高校生のままなのでしょうか?以降ざっと筋を述べたいのですがしかし叶いません。なぜか。前作でもそうですが実は私自身が楽しみながら創作をしているので都度の閃きに任せるしかないのです。唯今回も見た夢から物語は始まりました。シャンソン歌手の故・中原美佐緒嬢の歌「河は呼んでいる」、♬〜デュランス河の 流れのように 小鹿のような その足で 駈けろよ 駈けろ かわいいオルタンスよ 小鳥のように いつも自由に〜♬ この歌に感応したような夢を見たのです。そしてこの歌詞内の「オルタンス」を「A子」として構想はみるみる内に広がって行きました…。
バー・アンバー 第一巻

総文字数/80,459

ミステリー・サスペンス108ページ

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この「バー・アンバー」という作品自体が編集部によって規制or削除されないか心配です。U18の設定をしているのですが性的描写などが過激過ぎると判断されたら…。しかし実は決してアダルト本位の小説ではないのです。女流詩人の吉原幸子の詩「オンディーヌ」内にある「ふたつの孤独の接点がスパークしてとびのく…」に見られる、肉体が結ばれても決して完全には理解し得ない、結ばれ得ない人と人との間の絆、なかんずく男女間のそれ。この謂わばブラックホールのごとき得体の知れない人と人との絶対的な隔たりを理解し、(できれば)これを解消したいと、大それた主題を含む小説でもあるのです。さらに一項を持ち出すならかのE・スェーデンボルグの奇書「霊界日記」内にある〝霊界における結婚式〟を上げたい。霊界における結婚とは男女それぞれの霊が結ばれて何と霊体までもが一つになってしまうのだそうです。すなわち2人が1人になるという完全なる合体です。これを上記「オンディーヌ」の隔たりを超え行く上でのゴールと見ますと、その心理的な有り様と経過を私は小説内で模索せねばなりません。以上手前味噌ながらこのような醍醐味を持つ作品ですので、このあたりを読者におかれても、また編集部におかれてもお汲みいただければ幸いです。by多谷昇太。
祇王と仏午前・猫物語

総文字数/7,574

恋愛(純愛)12ページ

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 平安時代の昔、あの絶大な権力者だった平清盛に囲われた白拍子がいました。名は祇王。白拍子とは今で云えば芸能人となるでしょうか。いまの芸能人たちはステータスシンボルであり、万人の憧れの的ですが、昔の白拍子たちは必ずしもそうではありません。権力者やお金持ちに囲われれば天国ともなりましょうが、飽きられて捨てられたら一転地獄となってしまいかねなかったのです。住む家もなく、野山に庵を建てて住まうことともなったことでしょう。実は他ならぬこの祇王もそうだったのです。自分の妹分だったのでしょうか仏午前というもうひとりの白拍子を清盛に紹介し、自分と同じように取り立ててもらったのですが、清盛はやがてその仏午前ばかりを重用するようになり、祇王は捨てられてしまいます。ひとりわびしく野山に庵住まいをする祇王。ところが…年を経てからこんどはその仏午前も捨てられてしまい、ほかに行く当てもなかったのでしょう、ふたたび姉貴分だった祇王を庵にたずねてまいります。祇王は彼女をやさしく迎えたと思われます。そう云うのには祇王が残した和歌が今に残っているからです。「もえいずるも枯るるも同じ野べの草いづれか秋にあはではつべき」なる一歌。しょせんわたしたちは野べの草、過去は一時の夢とあきらめて、朽ち果てるまでここで仲良く暮らしましょうとでもするようなこの歌にそれが読み取れましょう。さて、実はこの逸話に加えていまひとつ私はこの小説に主題を添えてみたい。それは「シャーロットの女」というイギリスの画家ウォーターハウスが描いた絵の主題をぜひここに入れてみたいのです。それについてはあとのお楽しみ、祇王の逸話とともにどうぞ小説内で存分にご堪能ご確認ください。さあ、ではどうぞ。小説の世界へ。
ストーカー三昧・浪曲、小話、落語

総文字数/39,561

ノンフィクション・実話56ページ

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これは既掲載の「一葉恋慕・大森編」とその続編である「一葉恋慕・明治編」内で縷々描きました、私に付いて離れないヤクザのチンピラストーカーどもを風刺、糾弾する意向で新たに立ち上げたものです。小説では語り切れない、21世紀の現代に於て現れた、愚か極まりないこの一事象を、皆様に広くお伝えしたいが為に創作したものです。私とはPTOが違うかも知れませんがいま問題になっている「集団ストーカー」災禍と多々共通する点もあるかと存じます。その被害に遭われている方々にもぜひお目通しをして頂きたく、伏してご清聴のほどを御願い奉ります。では方々、開演いたしますので、どうぞご着席を…。
喜劇・魔切の渡し

総文字数/24,152

コメディ34ページ

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これは演劇の舞台用に書いたシナリオです。時は現代で場所はあの「矢切の渡し」で有名な葛飾・柴又となります。ヒロインは和子。チャキチャキの江戸っ子娘で、某商事会社のOLです。一方で和子はお米という名の年配の女性が起こした某新興宗教にかぶれていてその教団の熱心な信者でもあります。50年配の父・良夫と母・為子がおり和子はその一人娘です。教団の教え通りにまっすぐ生きようと常日頃から努力しているのですが、何しろ江戸っ子なものですから自分を云うのに「あちし」とか云い、どうかすると「べらんめえ」調子までもが出てしまいます。ところで、いきなりの設定で恐縮ですがこの正しいことに生一本な和子を何とか鬱屈させよう、悪の道に誘い込もうとする〝悪魔〟がなぜか登場致します。和子のような純な魂は悪魔にとっては非常に垂涎を誘われるようで、色々な仕掛けをしては何とか悪の道に誘おうと躍起になる分けです。ところが…です。この悪魔を常日頃から監視し、もし和子のような善なる、光指向の人間を悪魔がたぶらかそうとするならば、その事あるごとに〝天使〟が現れてこれを邪魔(邪天?)致します。天使、悪魔とも年齢は4、50ぐらいですがなぜか悪魔が都会風で、天使はかっぺ丸出しの田舎者という設定となります。あ、そうだ。申し遅れましたがこれは「喜劇」です。随所に笑いを誘うような趣向を凝らしており、お楽しみいただけると思いますが、しかし作者の指向としましては単なる喜劇に留まらず、現代社会における諸々の問題点とシビアなる諸相をそこに込めて、これを弾劾し、正してみようと、大それたことを考えてもいるのです。さあ、それでは「喜劇・魔切の渡し」をお楽しみください。
人生詩集・青少年編

総文字数/10,881

詩・短歌・俳句・川柳23ページ

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 これは「人生詩集」と銘打った詩集です。少年・青年編、海外流浪編、壮年・老年編とセパレートしています。それぞれの編でまた内容紹介と云うか前文を置きますのでどうぞこのまま詩集へとお進みください。まずは少年・青春編からです。  見るもの、手に触れるもの、ものみななべて新鮮で、発見の連続という幼児にはとてもかないませんが、青春時における感受性というものにも、そこにはおのずから詩性というものがあるのだと思います。社会人としてなるべきものにまだなっていないがゆえに、その守備範囲も広い。逆に云えばまだ完成されていない未熟者なのですが、すでに各々の視点を完成させた我々が遠の昔に失った、未熟であるがゆえにこそ抱ける事象への直なる視点というものがそこにはまだあり、カオスに裸で立ち向かって行こうとする潔さがあります。成人して各々が業界人となりかつての青春時を思うなら、そこには甘酸っぱいような哀愁や切なさ、あるいは愛しさを感じるのはそこにその詩性を見ればこそのことだと思います。ですから、年に関係なく真の詩人というものは、またそのあるべき姿勢は、年輪とともに重ねた経験や知識に固まるのではなく、むしろそれをともなって感性を逆行すべきものと考えます。理想は幼児時期のそれまで。しかしまあ、とは云うものの、はたして疾風怒涛期だった青春時にさえ戻れるかどうか、詩の生命(いのち)で争えるかものかどうか、至って定かではありません。もしこの先もこの拙詩集をお読みいただけるならば、壮年・実年を経て老年に至ったわたしの詩群と見比べてみてください。
人生詩集・番外編

総文字数/8,187

詩・短歌・俳句・川柳17ページ

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一言で云えば敢て自分を規制せず、気の赴くままに詠んだ詩編と云えましょう。本能や幼少期の感慨などに自分を投げ入れて、これを大人の言葉もて詠んだ…と云えばいいのかな。もとより詩は理知を多分に要する小説と比べれば本能や感情の吐露が求められるジャンルであり、それで云えばセオリー通りと云えるのかも知れません。まあ、とにかく肩が凝りません。気楽に読んでみてください。
わが心なぐさめかねつ

総文字数/20,030

歴史・時代25ページ

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大和物語をご存知ですか?平安時代前期の「姥捨て」を綴ったもの。この作品はそれを私流にアレンジしてみたものです…。 みなさんは講談を聞いたことがありますか?浪曲や落語とともに「語りもの」における日本の芸能を代表するものです。張り扇を打ち鳴らしながら「…さても五条の橋の上、牛若丸は跳び退いて…」などと名調子で語る講談は昔はとても人気があったのです。しかし戦後においては軍国主義を助長させたものなどとして敬遠され、また映画など他の娯楽に押されて、それこそいまは「姥捨て」のような塩梅となっている次第。しかし講談師や原作者の言霊と意がこもった講談は、その内容によっては深く胸にひびき、いつまでも心に残るものと、あいなるやも知れません。なくしてはならない日本の芸能に、お若い皆さん、ひとときでも親しんでみてください。
阿漕の浦奇談

総文字数/20,461

歴史・時代20ページ

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阿漕の浦とはめったにない、めったに起きないことの例えです。三重県津市にある海岸の名前です。その昔にはここら一帯が伊勢神宮に供える魚介類の漁場となっていて一般漁民には禁漁区でした。ところが阿漕という名の漁民がたびたび禁を侵して漁をしたため捕えられ、この海に沈められたそうです。以後の「あこぎな奴」とはこの事件に由来するとか。ところで中宮璋子と佐藤義清との密会の有無が歴史に取り沙汰されますが、仮にこれが事実であったとして、すればこれはまさに阿漕の浦の事次第となるわけです。それは身分の違いから云っても、(男なら許されるが)女から密会を仕組んだことからしても、本朝では許されざることとあいなるわけですね。しかし当時本当に「佐藤とは怪しからぬやつ」「女が浮気・密会するとは」と云って轟々と非難されたでしょうか?これより前の古代で、ある女性が詠んだ「誰そこの屋の戸おそぶる新嘗(にひなみ)にわが背を遣りて斎ふこの戸を」という歌が万葉集に残っています。意訳すれば「小屋の戸を叩くのはだれ?男子禁制の新嘗の祭祀を、亭主を外に追い出してわたしが務めているのに、いったい誰よ?ああ、わたしの浮気相手の男ね。待ってて、いま開けるから」となります。この歌の意味するところは当時男女関係が至っておおらかで、女の主導・男の主導云々もなかったように想像されるということです。古代が母系社会だったこともありますが、その伝統をいくらかでも引きずっていただろうこの璋子と義清の時代においても、「阿漕の浦云々」はそれほどに指弾の対象とはならなかったのかも知れません。「男主体、女は隷属」はこれ以降のことと思われます。すれば佐藤が‘あこぎ’なやつで璋子がふしだらであるとも云い切れない。白河上皇始め性の乱脈が宮中で激しかったことからしても尚更です。出家した佐藤、すなわち後の西行法師がその和歌で璋子を月と詠んでいます。そこには手の届かぬもの、高貴をきわめるものへの尊敬とあこがれが感じられる。でははたして二人における阿漕の浦へいたる、その各々の実態はどのようなものであったのか…それを思索したこの小説です。興味本位、欲望本位に取らなかったのはこれひとへに西行法師の残した和歌ゆえのことです。それは素晴らしいもので、そこに嘘はまったく感じられません。情愛から神仏への愛…をも模索した所以です。
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これは前作「阿漕の浦奇談」の時代を超えた続きです。待賢門璋子が現代に生まれ変わってからのストーリーとなります。みなさんは転生輪廻をご存知ですか?同じ人間(魂)が何回も何回も名と身体を変えて生まれ死に生まれ死にすることを云うのです。では人はいったい何のために生まれ死にを繰り返すのでしょうか。おそらくそこには一回の人生ではカバーしきれない、その人なりの、時代を超えた命題があるからではないでしょうか。にもかかわらず一度死んで生まれ変わってしまうと、およそすべての人がその命題の「め」の字も忘れ果ててしまいます。それどころか前生とまったく同じような人生を、同じ過ちを何度でも仕出かしてしまうのかも知れません。この有り様と、しかしそこから少しでも脱しよう、進歩しようとする、時代を超えて人に内在されたもの(それは果してなんでしょうか?)を描きたくペンを起こしました。彼の西行法師の、今に残る和歌に啓発されて書き出したというのが、前作ともどもそもそもの所以でもあります。換言すれば六道輪廻からの脱出、真の出家の心とは?…が小説の命題となりましょうか。凡夫の私には過ぎた命題ですが、それゆえのカオスへ肉迫しようとする姿が、ひょっとしたらそこにあるやも知れません。笑いながらでもご教示がてらにお読みくだされば幸甚です。
一葉恋慕

総文字数/43,952

その他61ページ

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 女性の間で時代を超えて、いつまでも輝きを失わない文学作品と云えば「源氏物語」でしょう。作者は紫式部。生前その紫式部の生まれ変わりではないかと云われた作家が樋口一葉です。こちらも式部同様、女性の間で人気の高い作家だと思われますが、しかし単に女性のみならず、性別や世代までを超えて、我々日本人に広く愛され続ける作家だと云えましょう。彼女の作品がと云うよりは一葉自身が好かれているのだと思います。でもそれはいったいなぜだと思いますか?かくお尋ねする私自身が一葉の大ファンでして、実は自分でもわけのわからないその理由を模索するためにこの小説執筆を思い立ったのです。模索する上でいちばん手っ取り早い方法は一葉本人に会って、暫しの交誼をお願いするのがベストだと思いました。そこで、私は一葉をいっとき平成の御世(この4月で終りますがね)にワープさせて、その上で私と対談してもらうことを思い立ったのです。場所はなぜか大森、東京都大田区の大森です。実はその大森で、なかんずく区内の某公園でこの構想を思い立ったがゆえのことなのですが、その事と次第は小説内でサブ主人公の「私」自身に述べさせることにしましょう。さあ、では論より‘小説’、樋口一葉の真実(まこと)を知るべく、さっそくあなたも奇跡の現場へと赴いてください。大森の夜の公園へと、私がエスコートいたします…。  おっと、これでは筆足らずでした。一葉との現代における邂逅のあとで、実はこんどは私が明治の御世へと一葉を訪ねてまいります。やはり往時の彼女まで確認しませんとね。でも訪ねるとは云ってもある特殊な媒体(こう書くと当人たちに失礼なのですが)を通じてのことで、私自身が小説内に登場することは次の明治編ではありません。彼女の男の友人たちという媒体の中に私は潜り込もうと思っているのです。斉藤緑雨とか平田禿木とかの中にですね。 とにかく、こうした時代を跨いでの模索の末に彼女の実像というか、本懐を描き得ましたらば作家冥利に尽きるというものです。現紙幣になるような国民的作家というよりは、私始め我々日本人に愛され続けて止まない樋口一葉のその実体を、所以を、私は皆様の前でまつぶさにしてみたいのです…。
自らを越えて

総文字数/91,829

青春・友情116ページ

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 人生を山登りに例えるなら目指すべき、最後に登頂すべき最高峰ははるかかなたにその白銀の峰を輝かせています。その中途の山々を征服するたびに登って来た超し方を眺めるならば、自分が苦労したところ、迷ったところがどんなものであったかがよくわかります。高見に立ったからこそわかるのです。いまだ下方の迷い道のまっただなかにあってはただ苦しいばかりですが、しかしそこで完全にギップアップして、自分と人生を放棄してしまっては如何せんそこまでです。あきらめずに、黙々と人生の山登りを続けるならば、やがて必ずその折々の高見に立てます。苦労したその場所でさえすがすがしく、またなつかしく眺められるものです。  ところで青春時代というものは進路や友人等のことで迷いが尽きない時期だと思います。往々にして都度の障害に負けてしまい、妥協してしまうものなのかも知れません。しかし例えそうではあっても‘自分に負けさえしなければ’、必ず道は続きます。受験に失敗し希望したような進路に進めずとも、劣等意識や敗北意識に引きずり込もうとする自分の中の「己心の魔」に負けさえしなければ、決してそれで終るものではありません。自らの敵は実は自らの心の中にこそ住むものだからです。人生の折々に安易に流れよう、(まわりではなく)自らに妥協して生きようなどとするならば、それは人生の山登りを放棄することとなります。放棄することなく、登り続けようとするならばそこには同伴者が、よき友がきっと現れることでしょう。その友を得るならば登坂の道は例え苦しくとも楽しいものとなることでしょう。さてこの物語の主人公にも同伴者が現れます。闇の心から光のそれへと脱出するべく、主人公は同伴者とともに山を登って行きます。その過程を、道づれを、どうぞご確認ください…。
ゼフィルス、結婚は嫌よ

総文字数/23,706

恋愛(その他)34ページ

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いま、時代は「女性」を呼んでいるようです。見栄っ張りで、最後には戦争という愚挙にまで至ってしまう男社会の専横を拒否しているかのよう。しかしそれは決して軟弱さを指示、指向しているのではなく、まったく逆の、真の強さである「権威と力に屈しない」という、抗いの精神をこそ求めているのだと見える。つながりを失しがちな男社会の中で潤滑油のようにそれを繋いで来た女性たち、しかしそれがゆえに盲目的に男社会に隷属し、その専横と愚挙さえも支えるような結果となっていた。その女性たちが持っている「調和する」という力は失うことなしに、しかしもしそこに「真の」という接頭語をつけようとするならば、そこにはやはり目覚めた、新しい女性たちの力がどうしても必要です。既存の慣習や仕来りに埋没しがちな社会で、どうかすればその最も保守層だった女性たちが目覚めるならば、社会は根本から変わって行くでしょう。その先陣をつけたかも知れない女性たち、就中ゼフィルスの化身たる鳥居惑香をここに描きました…。
バー・アンバー 第二巻

総文字数/903

ミステリー・サスペンス2ページ

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渋谷宇田川町の一画、路地裏の通りに5坪ほどの小さなバーを偶然見つけたフリーライターの田村淳二。バー・アンバーと入口の扉の上にレタリング文字で記されただけの、何のデコレイトもされていない殺風景な店構え。正面にも側面にも窓ひとつない。廃店したバー?とも見える。『アンバー?イエローアンバーか。絵描きが肌色に使う一番自然な色だな。ふん、なんか面白いな…』などと心中でモノローグし、同時に『しかしこんな殺風景な店じゃあ、さぞや生活苦の滲んだ年増のママが待ち受けていることだろうさ。ふふ、ま、それもいいけどな…』とも独白するのだった。しかしそこへ開店のために表れた女はファッションセンスのある、存外に若い女で、のみならず摩訶不思議としか云いいようのない表情を浮かべた、実にイイ女である。開錠したドアを開けてふり向いた女はこのあと田村に〝魔法〟をかけ…アンバーな世界へと彼を誘うのだった。アンバーな世界とは自然?それとも原点…?以降お楽しみください。
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