孤高の弁護士は、無垢な彼女を手放さない

無言の警告、見えない力

都心の一角にある、高層オフィスビルの一室。
アーバンライフ保険株式会社の人事課には、重たい空気がわずかに漂っていた。

会議室のドアがノックされ、開いた瞬間、スーツ姿の男が姿を見せた。
一条隼人。
都内でも評価の高い法律事務所に籍を置く弁護士であり、同時にいくつかの企業の顧問を務めている。

人事課の室内にいた男女数名が、彼に視線を向ける。
彼は、丁寧に挨拶を交わしながら席に着いた。

「本日は、御社の社内対応に関するご相談を受け、参りました。情報管理に関しても万全を期すよう配慮いたしますので、どうぞご安心ください」

彼がまず話題に上げたのは、昨今多発する労務トラブルに関する実務的な事例だった。
個別の案件名や人物名を出すことは避けつつも、実際に他社で起きた事例をもとに、

—適切な初動が取れなかったことで、会社側が名誉毀損や損害賠償請求を受けた例
—加害者の処分を曖昧にした結果、被害者の退職・訴訟に至ったケース

など、淡々と、だが的確に解説を加えていく。

一通り、求められていた要件と法的助言を終えた後。
一条は一息ついてから、机の上に手を組み、まっすぐに人事課の担当者を見据えた。

「最近、世間でもよく取り上げられていることなので……少しだけ、補足させていただきます」

声のトーンはあくまで柔らかく、だがその瞳には鋭い意思が宿っていた。

「ハラスメント問題、とりわけセクハラやパワハラに対する初動対応を誤れば、会社全体が重大なリスクを負うことになります。社外への情報漏洩、企業イメージの失墜、そして何より、職場環境の悪化は生産性を著しく損ないます」

一同の背筋がわずかに伸びた。

「内部通報制度やコンプライアンス体制の見直し・再整備は、いまやどの企業でも必須の課題です。加えて、従業員一人ひとりを守ることは、結果として会社そのものの価値と信用を守ることにつながる」

「御社のような保険業界においては、なおさら、信頼という土台が最も大切になるはずです」

静かに語るその姿は、情に訴えかけるようでいて、どこまでも理知的だった。
そして、それが彼のもう一つの目的——紬を守るための布石であることを、彼だけが知っていた。